永禄二年 秋

第40話 砦づくり、今川の反応

 その口上を初めて聞いたとき、今川義元は笑みを浮かべたという。織田方が鳴海城を囲む砦づくりに着手したという口上だ。

 砦は鳴海城の北と東の二つ。北の丹下という地はそこにあった古い屋敷を、東の善照寺にはその名の通り古寺を利用し、それぞれ柵で囲んでいると使者は言った。

「雨の日も作業は休まず日中は槌音の止むことがありません」

 その後何度目かの続報を告げる使者の口上に、

「ふむ、大儀なことよの」

 義元の口元には相変わらず笑みがこぼれていた。

「いかがいたしましょう」

 脇に座る朝比奈親徳が声をかけてきたときも、

「そうよの」

 義元は脇息にもたれかけ、右手で頬杖をついている。

 そのくせ、頭の中には何度も見た鳴海大高周辺の地図がしっかりと浮かんでおり、

(これは鳴海だけではあるまい。じきに大高にも作るだろう)

 と予測している。


 その後、義元の予測通り砦づくりは大高城周りまで広がった。

 丹下、善照寺の堀や土塁がある程度造られた頃から、中島という鳴海城の南側にある川原に柵が築かれた。この地は元あった集落をそのまま利用しているという。これもある程度形になると、今度は大高城の北にある山並に二つの砦を作り始めている。鷲津、丸根と呼ばれる地で、どちらも山上から大高城を見下ろす位置取りになっているという。

 その日、義元たちの目の前には鳴海・大高の周囲が描かれた大きな絵図面があった。絵図面には朱筆で五ヶ所に丸が描かれている。義元の隣には氏真、そして重臣たちが左右に着座していた。

「まずは三浦殿、この砦づくりをどう思われる」

 最初に義元の側近頭である庵原元政からの状況説明があり、口上を終えた元政が座を下がると、朝比奈親徳が声を放った。彼は義元側の一番上座、義元の斜め前に座を持っている。

 指名された三浦正俊は義元、氏真に一礼し、

「これは見張りの用途しか持たない砦と思われます」

 正面の親徳に顔を向けると、言った。彼は氏真側の一番上座にいる。

「ほう、そなたもそう思うか」

 親徳の言葉に正俊は頷き、

「例えば大高を囲むこの二つの砦は、大高道にしか効いておりません」

 確かに地図上にある鷲津、丸根の両砦はそれぞれ大高城の北東、東に配置され、海のある西はもちろん南の抑えも効いていないようにみえる。実際南には山が続いているそうだが、全体に低く、越すのにさほど苦労しないとのこと。

 また、南からは海岸沿いに大高に行く方法もある。

「確かに、ぬけぬけですな」

 三浦正俊の隣に座る由比ゆい光綱みつつなが言った。彼は五十歳代、親徳らと同世代で、彼の由比氏は源頼朝から駿河東部の地を与えられたという出自をもつ。

「これはまだ砦を増やすつもりではありませんか」

 瀬名氏俊が全体に問いかける。彼は朝比奈親徳、関口親永の次に座を占めている。氏俊は親永の下座に座るが、実の兄にあたる。氏俊の瀬名氏は遠江守護だった今川氏の流れを汲んでいる。親永が養子となった関口家は、駿河今川本家の代々からの重臣であり、元足利幕府の奉公衆という上の家格をもっているため、兄の氏俊は上座を弟に譲っている。

「いや、それはどうでしょう」

 今度は三浦正俊、由比光綱の次に並ぶ安倍あべ元真もとざねが目線をやや上に漂わせながら言う。元真は四十歳代中頃、元々信州諏訪氏の一門で、領土の中に安倍金山を持っていた。義元の父氏親がこの金山によって今川家を発展させ、それに伴って彼の安倍氏もその地位を上げたという経緯がある。

「一度に五ヶ所も砦を作るとすれば、織田家くらいの規模ならばそれぞれの人数が少なくなるのが必定。この場合一ヶ所に五百人にも満たない人数が入ると予想されます」

「一ヶ所五百として総勢二千五百か」

 由比光綱が正面を向いたまま考えるような口調で言うと、

「実際にはもっと少ないとは思われますが、きついでしょう。今の織田では」

 隣の安倍元真も正面を向きながら言った。

 五百という数も総計で考えている。砦を作るということはその場所に多数の兵を二十四時間常駐させるということだ。当時にしても一人の人間が昼夜兼行を続けることは無理だろう。当然交代制になるから実稼働の数はかなり減ることになる。

 今川だけでなく、美濃の斎藤とも敵対関係にある織田家にとって、それだけの人数をずっと手配するのは辛いだろう。

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