第38話 桶狭間の山々

「藤吉郎、この山の名は分かるか」

 信長は馬の轡を別の小者に渡して後から付いてきた小男に声をかけた。

「は、高根山と申します。この山は南にある愛宕山(現幕山)と二つの頂をもつ山でございます」

 信長が指を西、中島の方向に向けると、藤吉郎もすぐに答えた。

御林山おはやしやまでございます」

 次に指を北、東と向けると、

「北、黒末川の手前にあるのが有松山、東は生山はえやまでございます。この山と生山の間の麓から続く平坦地には田圃があるのですが、山々に囲まれているのであまり広くはありません」

 ほう、と信長は声を上げた。この男、周辺を事前に調べていたのか、と思ったが、口にはしない。

「田の向こうに池が見えるな」

 信長が南の方を見ながら言うと、

「この辺り、大小の池が点々とございます」

「ため池か」

「(自然の池と)どちらもあると聞いております。大体の池は下の深田につながっております」

 深田というのは泥の深い田圃のことで、作物がないときも水が抜けない湿田だった。現代主流の乾田のように田を乾かすことが出来ず、水はけが悪いために水質も良くない。

「田の深さは」

「浅いところでも膝まではあるとのことです」、

 藤吉郎は小気味いいほどにタイミングよく信長の質問に答える。しかも信長好みなのは、余計な補足などは一切言わないことだった。


 しばらく山の中を徘徊し、信長は隣の愛宕山頂上に登った。その後元の麓まで戻ると馬に跨り、声を上げた。

「太田又助!」

「はっ、」

 信長の大声に負けないほどの声が上がり、七尺三寸(約二百二十㎝)の大弓を抱えた三十代中間あたりの男が全速力で信長の前まで走り、片膝立ちとなった。

「そなた、あの山の頂上まで飛ばせるか」

 愛宕山の頂上を指差しながら信長が聞くと、

「やってみます」

 太田又助が答えた。

 又助は織田家でも有数の弓の名手で、特に強弓として知られていた。四町(四百メートル強)くらいなら飛ばすことが出来た。

 又助は抱えていた弓を手に持ち、足を開いて安定した姿勢を作ると、背の空穂うつぼと呼ばれる矢筒から矢を取り出してつがえ、頭を大きく上げて愛宕山の山頂を見た。目を正面に戻すと、静かに力強く弓を引く。引き終えると体を大きく反らし、体の角度が先程の頭の角度と同じようになると、静止。

 ピッ、

 と無駄のない音と共に矢が放たれると、頂上近くの木々の中に消えていった。しかも頂上からはやや右にずれていた。

「どうか」

 信長が聞くと、

「角度が急なため、定まりません。願わくばもう一射」

 又助が乞うと、

「いや、よい」

 と馬を出した。

 やはり弓はきついか、と思っている。又助ほどの者でも一回で頂上に達するのは難しい。距離を空け角度を緩めれば何とかなるかもしれないが、どこに置くか分からない今川義元の幔幕に対して弓を当てにするのは間違いだろう。しかし信長はすでに予測していたことなので落胆はなかった。


 東海道を馬は東に向かった。途中太子ヶ根と呼ばれる小高い山の麓を通り過ぎると、信長は馬の方向を北に変えた。

 その道は東海道と鎌倉往還をつなげる道で、そのまま北上すると沓掛に行くことになる。信長はくつろいだ体で馬に跨っている。いつの間にか馬のくつわはちゃっかり藤吉郎が握っていた。

 黒末川を渡ると、沓掛と鳴海をつなぐ鎌倉往還に通じる分かれ道がある。信長と家臣たちは西へ馬首を変え、鎌倉往還を鳴海の方向へ進んだ。鳴海のすぐ手前にある善照寺という場所まで行くと、信長はこの地にある古寺を見、また方向を変えた。

 馬は成海神社、山口教吉と戦った赤塚周辺、そしてその北にある古鳴海という地まで駆けると、一直線で熱田、そして清須へと帰って行った。

 信長としては鳴海城の東に続く丘陵地もこの目で確認しておきたかった。実際に見て、やはり中島から南東に広がるあの山々の方が使えそうだと思っていた。

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