第35話 鷹狩、鳴海原の信長
信長は馬の影にいる。彼の目は一羽の
鷺は川原で羽を休め、時々頭を上げてはきょろきょろと辺りを見回している。馬には藁が足元にまで垂らされているため、鷺からは信長の姿は見えない。
馬の轡を持つ家臣がそろりそろりと馬を鷺に近付けている。信長もその動きに合わせて動く。彼の左手に嵌められた
ある程度まで近づくと信長は眼だけで家臣に合図した。小さく頷いた家臣が馬の動きを止める。
と、
いきなり信長は馬から飛び出した。鷺が一瞬動きを止める。
(今だ)
信長が鷹を放つのと鷺が飛び立つのがほぼ同時だった。鷹は翼を広げると、ツィーッと吸い込まれるように鷺に向かって飛んでいく。
一瞬だった。
鷺が羽を広げ、勢いをつけて舞いあがろうと加速する寸前、鷹の鋭い爪が鷺の体をがっちりと捕らえた。同時に信長の左右から農夫の格好をした
既に絶命した鷺が信長の元へ届けられる。
「うむ」
信長は頷き、川向こうに目を向けた。
高台の上に城がある。鳴海城だ。
吉乃と子どもたちの元を辞してすぐ、信長は明日鷹野に出ると家臣に伝えた。
すぐに準備が整えられた。よくあることなので誰も慌てない。
翌日、日の出と共に清須を出た。
信長は鷹野の場所をそれまで伝えなかったが、熱田との中間地点辺りで初めて鳴海原(鳴海城周辺)に向かうと告げた。
「人数を増やしますか」
馬を隣に添わせ、柴田勝家が進言した。
「まかせる」
信長が即答すると、一礼をもって勝家は反転した。
信長たちは熱田の宮を越え、やや大回りをしながら鳴海城の南側に入った。
そこは川の合流で三角州になっている川原だった。地名は中島。
信長の目の前を東西に流れている川は黒末川(現扇川)という。この川は西側少し先で北から南へと水を運ぶ天白川と合流し、海へと流れ込む。
天白川は鳴海城と笠寺・星崎を分断している。海がすぐ近くのため、鳴海城の下は川原というより砂浜となっていた。今は干潮だが、満潮になると鳴海城の下を波が打つ。
このあたりに信長が来るのは久しぶりだ。家督を継いでからは山口教継・教吉父子の裏切りがあり、
古い記憶しか残っていなかったので、このような場所だったか、という思いが信長にはある。
信長は睨むように目を細めた。
当然、鳴海城の岡部元信はこちらの動きを見つめているだろう。
――が、動けまい。
この鷹野にはかなりの人数を連れてきている。しかも鳴海城からその動きがわざと分かるように編成した。さらに柴田勝家は、鳴海城が下手に動けば挟み撃ちとなるような
鳴海城の岡部元信は、一種の示威行動と受け止めるかもしれない。
しかし信長の目的は別にある。
(やはり、ここにも
信長は鳴海城と大高城を囲む付城、つまりは砦造りを考えている。
鳴海城、大高城を包囲する付城の配置は、すでに頭の中では構想している。あとは実地に見ておきたかった。
付城は鳴海城、そしてここから南の山を越え、次の山の麓に位置する大高城を囲むように配置する。そしてここ中島に中継としての付城を一つ造る。
今川方は単に両城を包囲するための砦だと思うだろう。しかし信長は、この付城造りを別の意図として考えていた。
(要は今川を駿府から呼び込むための餌だ)
父信秀の代から今川家とは幾度も戦いをした。そして今、信長が内乱の中でようやく織田家中を統一することが出来た。当然、今川は黙ってはいないだろう。
五年前の天文二十三年(一五五四)、甲相駿の三国同盟によって駿河の今川は西に集中することが出来るようになった。
そしてこの春、松平元康を名目上の当主に据えたことで、今川は三河の支配体制を内外に知らしめた。
次に今川が目指すのは、間違いなく尾張だ。
(ならば、こちらの思う方向へおびき出すしかない)
そのために当たりを付けたのが、鳴海原と呼ばれるこの周辺だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます