第27話 鞠庭にて 葛山氏元と松平元康

「次は、いつだった」

 しばらくの無言の後、義元は蹴鞠に目を向けたまま言った。重臣が集まる評定はいつだったかと聞いている。

「そう、十一日ですか」

 この日は定期の評定がある日で、主に駿河・遠江関係の起訴関連を議題とする。巳の時から申の時までと規定されており、今の朝十時辺りから夕方四時前後までということになる。

 当然義元は知っているが、わざとこういう質問をすることがある。義元の地位ならそんなことを覚える必要がないということだろう。親徳はその辺をよく分かっているので普通に受け流す。

「ではその後、葛山かずらやまに茶でも振舞うか」

「いいですな」

 親徳も同じようなことを考えていたのだろう。ニコリと頷いた。

 葛山備中守びっちゅうのかみ氏元うじもと、彼は今川家の家臣の中では半独立という特殊な地位にあった。葛山氏の本拠地である葛山城(静岡県裾野市)が、駿河・甲斐・相模・伊豆それぞれの国境として交わる位置にあったためだ。

 葛山氏は今川家直属の家臣とはいえなかったが、駿府に屋敷を持つほどの家柄だった。この時代、今川家に限らず一般の家臣はそれぞれの在郷に住んでおり、大名の元に詰める屋敷を持っているのは重臣クラスのみだった。

 葛山氏がそれだけの地位を得ている理由は当然ある。彼らは一族の存続を図るため、甲斐武田氏に一門の御宿みしゅく氏を帰属させていた。また、氏元の正妻が相模・伊豆を統治する北条氏の二代氏綱の娘であり、現当主の北条氏康とは義兄弟といえた。

 元々葛山氏は足利幕府の直臣だった。応仁の乱以降の混乱の中で生き残るため、次第に今の地位を築いていった。今川、北条、武田にとっても葛山氏の領地は同盟を結ぶ前から緩衝地帯となっていた。

 今川家が何も言わないだけでなく屋敷を持つ権利まで与えているのは、葛山家にはそれなりの力があり、利用価値があったということだろう。

 いずれにしても彼の立場は今川にとって『特別』だったといえる。

 そのような境遇を反映してか、まだ四十になったばかりのはずだが、葛山氏元は既に老成した風貌を持っていた。髪は薄く白髪まじり、顔には皴が多く、いつも笑顔だが目は笑っていない。

客組きゃくぐみはいかがいたします」

 親徳がほぼ間を空けることなく聞いてきた。客組とは茶会における客の人選と組み合わせのことをいう。

 義元は一旦考えるような素振りを見せた、が、

「任せる。が、あまりいらんな」

 人数が、だろう。義元の返答に親徳が再び頷く。

「案内はそこな権阿弥を使ってもよろしいでしょうか」

 親徳が聞いた。あくまで亭主である義元が案内を出す形としたいのだろう。

「うん、そうだな」

 義元はうなずき、

「ときに、松平の大将はどうか」

 なにげなく話題を変え、親徳に顔を向けた。

「順調にございます。亡き雪斎和尚も褒めておられたが、なるほど将来が楽しみな御仁ですな」

 松平元康の話になったとき、微妙ではあるが、親徳を纏う空気が変わったように義元には思えた。

 親徳には以前、元康の岳父となる関口親永と共に元康の三河運営を補佐するよう指示した。現在は二人の監督の下、元康は三河の定書さだめがきを書いていると聞いている。

「定書の方は出来ましたら一度ご覧いただこうと思いますが……、ああ、そうそう」

「ん、何か?」

「いや、起訴の条文の中で、松平殿では決着がつかないときの処置ですが、関口殿とそれがしが話を聞くということでよろしいか、と思いまして」

「ほお、うん」

 義元は朝比奈親徳がわざわざ待っていたことの本当の理由がやっと分かった気がした。

 長尾の上洛は重要ではあるが、急いで伝えなければならない情報ではない。親徳は二人だけで話ができる機会を狙っていたのだろうと義元は推測した。

 三月に元康が嫡男誕生の報告に訪れたとき、元康を三河の領主として任命し、親徳と関口親永を後見人とした。

 朝比奈としてはこの機会に、対松平家との関係を確実なものにしておきたかったのだろう。

(そのための根回しだな)

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