第25話 鞠庭にて 長尾景虎の上洛
義元は、蹴鞠を楽しんでいた。蹴鞠には勝敗がない。鞠を受け止め、ポーンと上に蹴り上げて、三度目に他の
義元はなかなかの
鞠足の一人が受け鞠を失敗し、鞠を後ろに転がしてしまったのを機に、義元は軒を息子の氏真に譲り、
鞠足の待ち場であり休息場でもある
「朝比奈丹波様からお話があるそうです」
権阿弥は囁くような小声で言った。小姓二人は義元の顔と右腕を絹地で軽く叩くように拭きはじめている。
義元が横を向くとそれまで半畳の端に座って見物をしていた朝比奈親徳が目礼してきた。
義元も目線を返すと親徳は立ち上がり、ゆっくりと義元に近づいてきた。親徳は義元の隣に腰を落ち着かせると、
「大御所様もなかなかお若うございますな」
と声を掛けてきた。
そう言う親徳自身、義元より十歳近く年齢が上だが、全体に大き目の体格はいかにも精強で、髪に白髪が目立つようになってはいたが、顔もまだまだ精力的に見える。近頃腹回りが立派になった義元と比べると、見た目にどちらが年上か分からないほどだ。
親徳の口調はのんびりと世間話を始める風に思える。しかし義元は知っていた。親徳が四半時(約三十分)近くも前から鞠庭で待っていたことを。
(ただの見物ではあるまい)
蹴鞠をしていた時からそう思っていた。しかし義元も何気ない素振りのまま、小姓が顔を拭くのを目線で止めると、
「いや、近頃は二座が精一杯。若いときは三座、四座など休みなしでこなせたものだが」
「いやいや、ご謙遜を」
笑顔になって親徳は言った。
二人の何気ない会話が続く間に、氏真を中心とした足慣らしの『小鞠』が終わり、氏真があげ鞠を蹴った。半畳には何人かの公家が座っていたが、側で控える権阿弥と小姓二人を除き、周りには誰もいない。
「ときに、越後が動き出したそうですな」
親徳は顔色を変えず、声だけを落として言った。
「ああ、聞いたか」
義元も声を落とした。
庵原元政からその報告を聞いたのは、蹴鞠の準備をしているときだった。義元はそれを朝比奈親徳と三浦正俊にも伝えるよう指示した。
確かに重要な情報だが、すぐに対応を話し合うものではない。
(なんだ、一体?)
義元、顔には出さないがやや訝しんだ。
長尾景虎(後の上杉謙信)が上洛のために越後春日山城を発ったのは永禄二年四月三日のことだった。総勢約五千。この報は各地の戦国大名にもたらされた。
長尾景虎が上洛をしようとしているという情報は、早くから今川には届いていた。
昨年(一五五八)、永禄に改元されたばかりの三月、義元の元へ将軍義輝からの御内書が届けられた。武田晴信と長尾景虎の和睦を北条氏康と共に仲介して欲しいという内容だった。
元々は天文二十二年(一五五三)から始まる甲州武田氏と越後長尾氏による北信濃の争奪戦が発端だった。総称して『川中島の戦い』と呼ばれるこの長い戦いは、この時期混沌としていた。
第二次合戦と呼ばれる天文二十五年(一五五五)の戦いでは、犀川を挟んで二百日以上の睨み合いが続いた。この戦いは義元が仲介に動き、和睦の成立で双方が退陣した。
そして弘治三年(一五五七)、両軍は再び上野原で対決した。しかしここでも双方大きな戦果もなく互いに引き上げることとなる。
一方、三好長慶との争いに敗れ、近江国朽木谷に逃れていた足利義輝は、京に戻り実権を取り戻そうと画策していた。そのため彼は長尾景虎を上洛させようとした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます