第21話 信長の日常 老僧天沢の証言

 そんな話をいくつも耳にしていただけに、弟の信勝と家督争いが起こっている、と聞いたとき、義元は『当然だ』と思った。しかも信長にとっても実母である土田どた御前が信勝側に付いているという。

 義元はそんな話を当時、ほくそ笑みながら聞いていた。

 義元としては織田一族が争うことによって、尾張そのものが疲弊することを期待していたからだ。

 当時存命していた義元の軍師といえる太原たいげん崇孚そうふ雪斎せっさいも、

「尾張は様子を見ながら、時々突付き、実の熟れ具合を吟味してみるのが肝要でございましょう」

 と言っていた。

 その後も義元や雪斎の予想通り、信長は肉親を含めた同族や家臣達と骨肉の争いを繰り広げることになる。

 しかし、天文二十二年(一五五三)の舅斎藤道三との会見による美濃との交流。翌々年の清須城奪取など、信長の行動や働きに、

『織田上総介という男、たわけというは見せかけではないか』

 と、その力量を見直す声が聞こえるようになってきた。


 こんな話が残っている。

 甲斐の武田信玄(このエピソードの時の名は晴信と思われる)が挨拶に来た旅の老僧に信長の日常を聞いた話だ。

 僧の名は天沢てんたくといった。天台宗の僧で、すべての経を二度読んだと噂されるほど聡明な人物だった。

 今住んでいる寺が尾張、清須のすぐ近くと聞くと、信玄はすかさず尋ねた。

「御坊の知る織田殿の日常をありのままに話してはくれませぬか」

「毎朝馬に乗られます。また、鉄炮の稽古もなされます。師匠は橋本一巴いっぱという者です。市川大介に弓を習い、また普段は平田三位という者を近づけられ、兵法を学んでおられます。しばしば鷹野にも出掛けられます」

 天沢が答えると、

「ほう、他に趣味などはありませぬか」

 信玄は話しを促す。

「舞と小唄が好きだと聞いております」

「幸若太夫(当時流行していた幸若舞の師匠)は来ておりますか」

「清須の町人に有閑と申すものがおり、度々召し寄せ、舞っておられます。聞くところ、敦盛の一番だけを舞っておられるとのこと。『人間五十年、下天のうちをくらぶれば、夢幻のごとくなり』これに節をつけて舞われます。また、小唄もご自分で唄われます」

「これはこれは、異なものを好かれるものよ」

 信玄は苦笑した。小唄というのは庶民の間で流行っていたもので、一国の武将がたしなむものではない。

「それはどんな唄でござる」

 信玄は重ねて聞いた。

「『死のふは一定、しのび草にはなにをしよぞ、一定かたりをこすよの』このような唄でございます」

 天沢は信玄に請われ、右の小唄を聞き覚えで唄った。

〈死ぬのは定め。後世の語り草となるために何をしようか。きっと人々はそれを元に語り継いでくれるだろう〉

 信玄は、このような意味合いを持つこの唄をじっと聞いていた。

 そして、話は移り、

「鷹野のときは、二十人の者に『鳥見の衆』という役を申しつけられます。二人一組です。この者らを二里、三里先行させ、あそこの村、ここの在所に雁や鶴を見つけると、一人は見張り、一人は注進に走ります」

「ほう」

「また、六人衆を定められ、弓の三人は浅野又右衛門、太田又介、堀田孫七。槍は伊藤清蔵、城戸小左衛門、堀田左内の三人。この人々はお側近くにおります」

「ふむ」

「馬衆が一人、山口太郎兵衛という者がわらを馬の両脇に巻きつけ足元まで垂らし、鳥の周りをそろりそろりと廻りながら徐々に近づきます。織田の殿様は鷹匠をそばに置き、鳥に見つからないよう馬の影に隠れながら近寄ると、走り出て鷹を放たれるのです」

「……」

向待むかいまちという役の者も決めており、鍬を持たせた農夫のような姿で田を耕すふりをさせ、鷹が獲物を捕えた時、鷹にすばやく餌を与え獲物を離す役目をします」

「……」

「織田の殿様は鷹野の達人で、度々鳥を獲っていると聞いております」

 天沢がこのような話をすると、晴信は、

「織田が戦上手なのは道理だな」

 と、感心した表情で言ったという。

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