第14話 赤塚の戦い

 信長軍は南下している。

 熱田神宮まで達すると、軍勢は東へと曲がった。笠寺や鳴海は熱田の南に位置するが、信長は大きく迂回して鳴海城を目指した形となる。

 笠寺方面に駐留している今川勢は来ないだろうと信長は見ていた。これは信長の洞察力というよりも、この当時の常識的な見方といえる。

 赴任したばかりの今川の兵は、まだ備えが整っていない。それにこのような状況の場合、戦いの先頭に立つのは旗色を変えた新参者の役目というのが普通だ。

 案の定信長の元へ鳴海城から軍勢が出た、という物見の報告が届いた。

 信長軍は中根村(現瑞穂区中根町)で南に方向転換すると、小鳴海(現古鳴海)を越え、三の山(現三王山)に陣取った。

 山といっても標高三十六・一メートルという台地のよう場所だ。しかし付近では一番高い。

 周囲全体が見渡せるような場所に陣を張るのは戦の基本といえる。信長はここで相手の出方を見た。


 一方、鳴海城城主となったばかりの山口教吉は、約千五百の軍勢を従え北東に向かった。彼は当時二十歳、信長の一歳年上ということになる。

 物見の報告で信長勢が三の山に布陣したことを知った教吉は、三の山から約一・六キロ東、鳴海からは一・七キロほど北の赤塚という地まで押し出してきた。当然信長勢の弓矢が届かない距離に陣を張っている。

 馬上それを見た信長は即断し、大絶叫と共にさいを振る。振り立てられた采の白い紙束が一斉に敵を指した瞬間、ほぼ東にいる山口勢に向けて軍勢は動き出した。兵たちは山を駆け下り、槍衾の体制で赤塚へと進軍する。

 巳の刻(朝十時頃)、ほぼ十mの距離にまで接近した両軍は弓矢や石の礫を飛ばし合う矢合せから戦いを始め、すぐに槍による白兵戦となった。

 入り乱れ、叩き合い、火花を散らす混戦が続く。あまりに敵が近いので首を取る余裕もない。

 戦いは兵数の少ない信長方が押される状態となっていた。しかし、崩れない。

 雌雄の決しないまま一刻(約二時間)ほど続き、午の刻(正午頃)、兵を徒らに損耗させるだけと見た両将が前線を下げることで終了した。

 信長軍の戦死者は騎馬武者だけで三十人位だったという。接近戦だっただけに、死者、負傷者の割合は双方ともに多かったようだ。

 戦いのあとは捕虜の交換、敵陣に紛れてしまった馬の返し合いがあった。

 このあたり、お互い見知った者通しだったから話が早かった。その日のうちに両陣営ともお互いの城に引き返した。

 山口親子や今川勢が守る鳴海、笠寺周辺とはその後、睨み合いの状態が続くことになる。

 山口親子は笠寺周辺の取出造りを進めながら、鳴海城の南にある大高城城主の水野忠氏、東に位置する沓掛城城主近藤景春を調略。今川方に引き込むことに成功する。

 しかし、彼らの予想に反して、織田の家臣が芋づる式に信長を裏切るということはなかった。

 勝利こそは得なかったが、今川勢が後方で見守っている中、敵の半数に近い人数で戦いぬいた信長は、侮れないと内外に思われたのだろう。

 しかし信長も以降安泰という訳にはいかなかった。

 その後、信長は肉親や親族、そして家臣を含む周囲の者たちと、骨肉の争いを繰り広げることになる。

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