第9話 鉄炮と交易
信長は試射もした。
持っている種子島とはまるで違う、と感嘆した。特に操作性と射程の長さは段違いだ。
鉄炮はこの当時、軍用としては実用的でないと見られていた。一回撃てば次の一発まで装填の時間が掛かり、しかも射程距離が短いためだった。
信長自身、天文十八年(一五四九)十六歳のとき、近江の国友村に五百挺の種子島を発注している。鉄炮伝来といわれる年からわずか六年後のことだ。
その後実戦に使ってはいるが、あまり活用はされていない。確かに扱いづらい武器なのだ。
しかし信長は、
――今後種子島は使い方次第で主力の武器になる。
と、技術力の進化を強烈に感じた。
その夜、信長の宿舎となった納屋宗久の屋敷でささやかな酒宴が開かれた。宴席には宗久の他、何人かの大旦那が集まった。
信長は津島の商人たちに対するような気安さで彼らと膳を囲み、自ら酌をしてまわった。
客人の商人たちは信長に媚びへつらうこともなく、酒と肴と会話を楽しんでいる。
信長にとってそれは、むしろ望むべきことだった。国内、海外の様々な最新情報や今後の予測、考えられる影響などを世間話のような気軽さで彼らは語り合う。普段あまり酒を好まない信長もこのときは盃を持ち、客人の会話に耳を傾けた。
明との貿易が廃れて久しいが、影響は大きくないのか、と信長は聞いた。
日明貿易は勘合貿易ともいわれた。この時期から百年近く前(応仁元年・一四六七)に起こった応仁の乱以降、急速に権力を失っていった幕府に代わり、周防国を本拠に豊前、筑前、長門、石見(現在の山口県、福岡県、島根県の西部あたり)を統括していた大内氏が権益を握るようになった。
しかし大内氏は豊後の大友や出雲の尼子、安芸の毛利などとの戦いの中で徐々に勢力を失った。さらに天文二十年(一五五一)、当主の大内義隆が重臣の反乱によって自害したことにより、大内は急速に衰微した。
このことにより日明貿易そのものが消滅したという話を信長は聞いたことがある。
「いやいや、あれは」
「そう、むしろ好都合ですな」
信長は驚いた。倭寇という海賊や商人が密貿易をしているというのは聞いている。しかし堺の商人から好都合という言葉が出てくるとは思わなかった。
「明との交易に使ってた勘合、あれは実際どんなものかご存知ですか」
明との貿易に使われた証明書のようなものだとは聞いていた。だが信長はその程度の知識しかもっていない。
「勘合は明がこっちに対して本物の使者かどうかを見分けるためのもんですわ。つまり明にすれば貿易ではなく朝貢です。属国の日本から貢ぎ物をもらってお返しをしているっていうことなんですわ」
「そう、いうたらこっちは関所を通るために手形をもろとくようなもんですな」
漢代以降の中国王朝は、君臣関係を外交の基本とした。これを冊封という。
明は勘合という証明書によって朝貢国との位置づけを明確にし、私的な貿易を取り締まることができるようにした。
つまり堺の商人たちにとって日明貿易は、幕府や大内などの元でないと商いが出来ないという〝規制〟でしかなかった。
私的な交易はすべて密貿易になってしまう。
「それと
「そう、もしまだ大内の大将が明国と交易してるとすればどうです。ややこしいことになると思いませんか」
「確かに、大内は南蛮との貿易も自分のもんにしようとしたでしょうな」
元々は胡椒だったという。
料理の味付けはもとより、抗菌・防腐・防虫作用から長期保存するためのものとして胡椒はヨーロッパで古くから珍重されていた。一握りの胡椒は同量の金や牛一頭と取引されたという話が残っている。
大航海時代と呼ばれ、ヨーロッパの海外進出と航路の開拓が世界中におよんだこの時代。スペインは大西洋を南米へ、そしてポルトガルは胡椒の原産地であるインドへの航路を確立し、東南アジアへと海路を開拓していった。
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