第5話 将軍拝謁
「織田家家臣金森五郎八と申す。美濃の方々に物申す。お集まりあれ」
中に入ると、長近は大音声を発した。長近このとき三十六歳、戦場で鍛えた声は宿の隅々にまで響き渡った。
「……」
寸刻の静寂があり、床の軋む音、こちらを窺う気配がした。やがて長近の元へ、手に刀槍をもった連中がのそりのそりと集まってきた。どの目も猜疑心と殺気がないまぜになっている。
(ああ見た顔もあるな)
涼しい顔で美濃勢の動きを見ていた長近は、頃合とみるやさらに声を張り上げて言った。
「昨夕貴方らがご上洛のこと、わが
全員を睨め回しながら、ゆっくりとした口調で言った。どの顔にも明らかに動揺の色が見える。
「今からご一緒しませんか。主は挨拶に来られたしと言っております」
今度は幾分顔を和らげ、やはりゆっくりと言葉を続ける。
信長の正妻は斉藤道三の娘、この時の城主義龍にとっては実の妹にあたる。つまり、主の妹婿が近くにいるのだから挨拶に来い、ということになる。殺気だった全ての目が戸惑いに変わっていた。
信長は宿舎の様子を一目見れば奴らの力量が分かると言った。なるほど、殿の言った通りだ、と長近は可笑しさがこみ上げてきた。
信長は、将軍義輝に拝謁した。
「よう来てくれた」
御簾の向こうの義輝が座る音がしたかと思うと途端に感情のある声が聞こえた。左右に
(ほっ、)
意外な、と信長は思った。
将軍との対面は様々なややこしい作法があると聞いていた。
実際この場に来るまでに礼式を勉強し、
仮御所である本覚寺に来てからは、確かに聞いていた通りの面倒な所作と待ち時間が続いた。だから、将軍が座についてからも定法通りのやりとりが続くのだろうと覚悟していた。
だが、将軍自身が礼法を破り、自ら声を掛けてきた。
(案外、話せる)
板間に鼻先を付けるような体勢のまま、信長は口角を上げた。
室町幕府の十三代将軍である足利義輝は、将軍になった時からずっと傀儡だったといえる。都からの脱出と復帰を繰り返しているような境遇だった。
彼が父義晴から将軍職を譲られたのは天文十五年(一五四六)、まだ十一歳の少年だった。しかも将軍宣下の儀式は京ではなく亡命先の近江坂本で行われた。
天文十七年(一五四八)、父が対立していた管領細川晴元と和睦が成立し、当時は義藤と名乗っていた義輝は、初めて将軍として京に戻ることになった。
しかし、晴元の部下で、当時から畿内に勢力を伸ばしつつあった三好長慶が翌年の天文十八年に叛旗を翻し、その煽りを食った義輝は、父とともに近江坂本に避難した。さらに翌十九年、父義晴が病によって没した。葬儀はかなり簡素だったという。
天文二十一年(一五五二)、三好長慶と細川晴元との間に和議が成立し、義輝は再び京に戻ることができた。
だが京は、事実上三好長慶が政権を支配し、彼の将軍としての立場は有名無実のものだった。
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