第2話 丹羽兵蔵の注進

 うら辻は裏築地うらついじという塀が地名化したもので、当時は裏築地町とも呼ばれた。この町名は現在も残っている。

 信長一行は裏築地町内の屋敷や町家に分宿した。

 この町、元々は『花の御所』と呼ばれた足利将軍家の邸宅の一部だった。応仁の乱での焼失後、焼け跡に人々が集まり、出来上がっていった町だといわれている。

 夜、うら辻の木戸門の前で一人の男が足を止めた。男は何かを確認するように左右を見ると、素早く門を叩いた。

「誰か」

 門の向こう側から声が聞こえると、男はやっと聞こえる程度の声を出した。

「田舎より火急の用で参りました。金森様もしくは蜂屋様にお目通り願います」

 門番はすぐに金森長近、蜂屋頼隆が宿泊している町家に走った。二人は同じ部屋にいた。

「田舎より火急の用か」

 報告を聞いた二人は顔を見合わせた。

――美濃で何かがあったということか。

 金森、蜂屋は共に信長の近臣で、美濃出身という共通点がある。男が田舎というキーワードを使い、わざわざ二人の名前を出したのは、そういうことではないか。

 二人は揃って木戸門まで急いだ。


 男は丹羽兵蔵と名乗った。家臣那古野弥五郎の配下で、案の定上洛のために放っていた密偵の一人だった。

 彼は金森、蜂屋の顔色を変えるに十分な知らせを持ってきた。

「美濃よりお屋形様を殺害せんという集団が来ております」

 かなりの使い手と思われる五、六名を含む総勢三十名ばかりという。

 二人は直ちに信長に報告した。信長は兵蔵を連れてくるように命じた。

「宿は覚えておるか」

 丹羽兵蔵が庭先で平伏するとすぐに信長自身が声をかけてきた。

「はっ、二条蛸藥師の一所に全員が入りました。家の門を削り、印をつけておきましたので、間違うことはございません」

 信長はその言葉に頷き、縁側の左右で端座している金森、鉢屋の両人に目をやった後に言った。

「では、詳しく聞かせてもらおうか」

 

 志那しなの渡し(現在の滋賀県草津市)付近だったという。

 京に上がる道中でその集団を見た兵蔵は、ひと目で怪しいと思い、彼らが乗り込んだ舟に同舟した。

 舟は大津へと舳先を向け、ゆるゆると琵琶湖の水面を分けてゆく。

「そのほう、どこから来た」

 しばらくして、中の一人が兵蔵に声をかけてきた。

「三河です」

 兵蔵はそれだけ言うと、口を閉じた。相手はじっとこちらを見ている。

「尾張を通りましたが、織田の殿様の力が街中に行き渡っているようで、妙に気疲れしました」

 あえて尾張を話題に出してみた。男はしばらく黙っていたが、

上総介かずさのすけ(信長)にさほどの甲斐性はあるまい」

 視線を外し、つぶやくように言葉を吐いた。

 舟を降りた後も兵蔵は、つかず離れずの位置取りで怪しい集団を追っていった。

 道々、彼らは人目を避けるようにバラバラに歩いていた。時折仲間内で交わしている会話にも出自がわかる『なまり』が出てこない。

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