そして、私は出会った

白部令士

そして、私は出会った

「神が存在するというのなら、私の前に出てきてくれ」

 廃屋の陰でゾマニィが唸った。

「どうした? この、ゾマニィの、か弱い人間の、心からの呼び掛けだぞ」

 魔物の数が予想よりも多く、彼女が所属する傭兵団『青羽あおば直刀ちょくとう』は壊滅状態だった。魔物共は、このまま村を襲うだろう。

 ゾマニィは抱いている。命絶えた愛しい人を。

「……どうやら、神はいないらしい。無念だ。喰い散らされる瞬間まで側にいるぞ、ビント」

 ゾマニィは、愛しいビントの頬を撫でた。

 隊長が下した無謀な突撃命令。ビントは命令に従い、且つゾマニィの前に立ち続けたのだ。先に立って得物を振るい、倒れた。魔物の群れを率いる首領に負わされた傷が致命傷だった。

「隊長は村人に関わり過ぎた。傭兵が情に流されればこうなる、か」

 その隊長も、先程両腕を千切られて潰えている。

「ビント――。あぁっ」

 ゾマニィは、ビントの側を離れ難く、離脱出来ないでいた。

 魔物共の眼は村に向いている。狙いは、あくまで、村の人間や家畜であったから。しかし、魔物の一体がゾマニィに眼を止めた。得物を放し、ビントの亡骸を抱くゾマニィは、容易い相手と見えたのだろう。魔物がにじり寄りながら爪を振り上げる。

 その時だった。

 煌めくものがあり、爪を振り上げた魔物が弾き飛ばされた。

 ――一帯の魔物共の動きが止まる。

「呼ばれたようで。どうも」

 ゾマニィの前に、緋色の戦装束に身を包んだ少女が顕れた。

「ヒュリリに御用かな? ゾマニィちゃん?」

 少女が訊いてきた。

 動きを止めていた魔物共が、退くよう逃げて行った。弾き飛ばされた魔物もそう。村へ向かうという流れには違いなかったが。

「ヒュリリ? それはつまり、処女神ヒュリリ?」

 ゾマニィの唇が震えた。ちゃん付けで呼ばれたことなど、頭の隅にも残らない。

 ナルゥ守護六神が一柱、処女神ヒュリリ。少女の姿をした純潔と戦の神。

「ま、そんな風に言うよね。で、御用はなぁに?」

「貴女が処女神ヒュリリであるならば。彼、ビントを生き返らせて。ビントを、生き返らせて」

「あぁ……」

 少女――処女神ヒュリリがビントを一瞥した。

「それは無理。もう、魂が旅立っているもの。入れ物を治したところで、どうしようもない」

 と、ヒュリリはあくびする。いや、かみ殺しはした。

「そんな」

「壊すのが専門だから、面倒だから、言ってるんじゃないから。……ねぇ。この状況だよ? そんなことより、あなたが生き延びられる選択をすれば?」

 ヒュリリが息を吐いた。

「そんなことより――。そんなことより、だと?」

 ゾマニィは怒りを覚えた。表情にも出たが、ヒュリリは素知らぬ顔。

「そんなことより、だよ。今必要なのは、生き延びられる選択なんじゃない?」

「生き延びられる選択……」

 ビントを置いて離脱しろとでも言うのだろうか。自分のことなどは、正直、どうでもよくなっていた。ビントはもう、戻らないのだから。

「代価を払うというのなら、ヒュリリが身体を弄ってあげる。能力を足してあげる。絶望的に不足している魔力だって貸してあげる」

「代価? 能力を足す? 魔力――貸す?」

 ゾマニィは、少女の姿をした神に、考えの及ばぬことを提案された。

「この、魔物の群れを率いているのは、下位とはいえ、魔神。あなたにどうこう出来る相手ではない。でも、ヒュリリなら力になってあげられる。代価を払うならね」

 魔物の群れを率いる首領――ビントに致命傷を負わせたあれは、下位の魔神だったのだ。

「……代価、とは?」

 口から出たのは、自分でも驚く程の暗い声だった。

「子を残す能力を差し出してもらう。種としての鎖を断ち切って、あなたという個を、強化してあげる」

「それで、魔神に勝てるのか?」

「えぇ。取り敢えずは、届く」

「では、お願いする。やってくれ」

「思い切りがいいのね」

「ビントがいないんじゃ、子供なんてどうでもいい」

 結婚し、家に……家庭に入るという未来はもうない。他の男の子供を産むことは、考えられなかった。

「あら、一途。ゼマにそっくりね」

「ゼマ?」

「うん。ゼマ、だよ。彼女のことは、あなたもよく知っている筈」

「むぅ。それは……」

 ゾマニィは記憶を辿った。ゼマという名前の心当たりは一人だけだった。

「私の、祖母のことか?」

「そう、そのゼマ。ヒュリリの親友」

 と、彼女は口の動きだけで笑って見せた。

「親友……」

 ゾマニィの顔に、困惑の色が浮かんだ。しかし、それも僅かな間のこと。

「それじゃ、本当にいいのね?」

「あぁ。やってくれ」

 ゾマニィが立ち上がる。ヒュリリは頷いて寄った。ヒュリリの右手がゾマニィの身体に入り込む。出血したりはしないが、全身を掻き回される。

 やがて――ヒュリリは、ゾマニィから離れた。

「どう?」

「分からない。でも、悪い感じはしない」

「それじゃ、行くといい。調整がてら、ビントの仇を討つんだね」

「そのつもりだ。でも……」

 ゾマニィはビントの亡骸に視線を落とす。

「私が離れている間に、ビントが喰い荒らされたりしたら嫌だな」

「それなら、ヒュリリが一時的に預かってあげる」

 と、彼女は腰を落としてビントの肩に触れる。ビントの姿がぼやけて消えた。

「これでよし。ねっ?」

 腰を上げて笑む。

 その場から失せたのか、見えなくなったのかはしれないが。ヒュリリは自信たっぷりだった。何処か、の部分で問題ないと認識し、ゾマニィは頷いた。

「ああ。では、行かせてもらおう」

「今だったら、村の入り口で防げるかも。首領である魔神を屠れば、他の魔物は散り散りになると思う」

「村なんて、どうでもいいけど。これ以上、あれを存在させておく気はない」

 ゾマニィは得物である直刀を拾い上げ、村に向かって駆けた。

「頑張ってねぇっ」

 ヒュリリは、ゾマニィの背に向け手を振った。

               (おわり)



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