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「お願いします」

 かすかに冷気のただよう陽圧手術室から、声の余韻が圧力に従って吐き出されていく。

 プレートやピンなどの生体反応のない異物を埋め込むインプラント手術では、術中の細菌感染が問題を起こしやすく、落下細菌の侵入を防ぐために陽圧手術室を用いることになっていた。大型竜は痛みと感染に強い生き物だが、それでも限度はある。

 プロカインで局所麻酔をした後、マリアの手渡したメスでアデレードが切皮せっぴをはじめた。皮膚に張力テンションをかけながら鱗を切り、三ストロークで狙い通りの長さの切創をつくる。マリアの役割は吸引器とガーゼによる出血の除去とモノポーラ(電気メス)での止血だ。

 マリアが止血している間にアデレードがメス刃を新品に交換する。一部の戦竜種には及ばないものの、竜の鱗は種を問わず非常に高硬度で、メス刃も簡単に毀れてしまう。切皮――切鱗後の交換は原則だ。

 新たな刃で、アデレードは皮下織へと移った。今度は五ストローク。

 一回のストロークはできるだけ長く、回数は少なく。切皮においてはそれがまずひとつ外科医の腕前の証だ。術創が滑らかなほど、縫合後の癒合が早く良好になるからだ。

 その点で言えばアデレードの手技は見事だった。大型手術台に仰向けにされた乗用竜ステラの下腿部、およそ二十センチの術創を八ストローク。出血の除去と止血の要があるから、少なければよいという話でもないが、逆に言えばそれは助手の働き次第だった。ガーゼで拭って出血位置を特定しモノポーラで焼灼する。微細な出血であるかぎり、そのくり返しだが、無数に反復される手順だけに速さと精確さは重要になった。開創器で術創を広げると、適宜止血しつつ、血管や神経を避けて分厚い筋を切っていく。そうして骨折部を明らかにするのが第一段階。患部が見えてくれば次は骨切りに移る。

 アデレードの指示を受け、看護師が手術台にモニタを寄せてきた。ステラのX線画像とCT画像が表示されている。術前に描き込みをしておいたそれらを参考にしつつ、狙い通りの位置と角度になるよう、マリアとアデレードは慎重に切断線を決めていった。

「よし」

 実見を踏まえての検討を終えたところで、アデレードは電鋸とアタッチメント一式を看護師から受け取った。骨切り用のブレードを組み立てながら呼びかける。

「リリカは吸引を頼む」

 なんの因果か、今回の手術には器械出しとしてリリカも参加することになっていた。室内には数人の看護師がいるが、術野で作業ができるのは、手指消毒を済ませて滅菌済みの術衣を身につけたリリカだけだ。彼女が器具台を回って二人のそばにやってくる。

 ステラの右後肢は大型竜用の電動式固定具で支持されているが、それらに人間同等の機微を望むことは難しい。わずかでも切断面がズレれば脛骨高平部の水平化Tibial Plateau Levelingは成功しないし、最悪の場合は、鋸刃によって重要な血管や神経が傷つけられることもある。ステラのような大型竜用の電鋸は相応に大きく取り回しが難しいため、なおさら危険だった。

 アデレードが電鋸を構え、マリアがステラの脚を両手で支える。リリカのほうは、生食(生理食塩水)の入った大型の注射筒シリンジ吸引嘴管きゅういんしかんを手にしていた。骨の切削はかなりの熱と切削片を出す。生食による冷却と吸引器での吸い出しは、過熱による細胞壊死の防止と切削片の除去のために必須だった。低い唸りと共にブレードが動きだした。

「いきます」「はい」

 アデレードが言って二人が答える。わずかな抵抗のあと、振動する鋸刃が骨に食い込みはじめた。アデレードの動作に迷いはない。ステラの剥き出しになった脛骨が切断されていく。鋸屑混じりの濁ったピンクの液体が、吸引器のタンクに溜まっていくのが見えた。

 やがて、鑷子せっしで取り出された骨片がトレーに落とされて音を立てた。

「折り返しだな」

 時計を見たアデレードがつぶやく。ここまでで約四十分が経っていた。

 感染の可能性を下げるため、センターでのインプラント手術における開創時間の目標は二時間前後だ。TPLOは新しい術式だが、この先の手順は通常のインプラントと大差がない。スムーズに進めば達成できるはずだった。

 ステンレスケースからリリカが髄内ピンを取り出した。文字通り骨髄内に挿入する金属ピンで、今回はプレートの屈曲耐性を補助する目的で使う。材質はプレート同様のミスリルチタン製。軽量かつ高強度で高靱性。竜の場合は後からインプラントを抜くことが少ないため、理想的な耐腐食性の高さも備えた合金素材だ。貴重なモリア銀ミスリルだが、幸い王女殿下の愛竜であるステラに関して、コストの心配をする必要はなかった。

 アデレードがピンをある程度挿入したところで、防護エプロンを身につけた技術職員と看護師が透視レントゲン装置を手術台まで移動してきた。ピンの位置を透視画像で確認するためだ。手間ではあるが、誤ってピンが骨を貫通すれば目も当てられない事態になる。

 被曝を避けて術者三人は手術室の外に出た。廊下は手術室以上に冷房が効いていて、マリアは背中に滲んだ汗が冷えていくのを感じた。

 ふと、アデレードが見ている方向が気になった。

「ギャラリーが気になるか?」

 彼女の視線を追ってマリアは尋ねた。

 手術室には三辺の壁に一枚ずつ電動ドアが設けられており、それぞれが現在マリアたちのいる廊下、隣の手術室、手術前室に続いている。残る一辺はガラス張りで、その向こうは見学室になっている。見学者は多いが、マリアに判別がつくのは王女くらいで、後は軍人と上級階級らしいとしか分からない。

 術中にも、ふとした瞬間にアデレードの目がそちらに向くことがあった。集中を欠いているわけではない。それどころか、手術が始まってから普段以上にアデレードは張り詰めていた。だがその様子になんとなく厭な感じを覚えたのだ。

「……終わったようだ」

 マリアの問いには答えず、アデレードはフットスイッチでドアを開けた。見れば「X線照射中」のランプが消えている。声をかける前に彼女は手術室に入っていった。

「なんなんだ……」

「貴女はご存知ないんでしたね」

 ふり返るとリリカだった。マスク越しでも薄笑いがわかる。そういえばいたな、と思いつつも「何を知らないって」とうながした。リリカは澄まし顔で横をすり抜けていく。

「お兄様が来てらっしゃるのよ」

 すれ違いざまの囁きにマリアは眉をしかめた。リリカの粘着質な声が不快だったのもあるが、彼女の言葉が記憶の隅を刺激したからだ。兄。竜医としてのルーツを問うた時、たしかにアデレードは兄のことを口にしていた。彼女の口調はどうだったか。すくなくとも、楽しい思い出には聞こえなかった。マリアは手術室に入りつつ、見学室に目をやった。軍服やスーツ姿に混じって目立った男がいる。黄金に近い金の髪。仕立てのよいオーダースーツにいかにも育ちのよい顔だち。なるほどあいつか、と思う。

 透過画像を確認して所定の位置に戻るとアデレードと目が合った。互いにマスクを付けているため表情は読みにくい。まして彼女の負ってきた「名」の重さなど、想像すらつきはしなかった。

 だが、いまなすべきことなら、はっきりとわかる。

「ピンの位置はいい感じだ。このままの調子で続けよう、

「……つまらない気を回すな」

「他人の顔色窺って生きるのが、われわれ庶民の処世術ってやつでね」

 アデレードは呆れたように首を振り、「続けるぞ」

「ご命令とあらば」

 リリカや看護師の困惑が伝わって来たが、それはそれで、なかなか爽快な気分だった。

 導入開始から二時間十分後、ステラは麻酔ねむりから醒めた。

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