10
「やっぱりそうだ」
マリアとアデレードは並んで座り、データベースからジェフの患肢の画像を呼び出していた。モニタには術前と術後のX線画像が並んでいる。プレートと髄内ピンは問題なく脛骨を固定し、骨折線はしっかりと接合されている。物問いたげな視線を向けるアデレードの前で、マリアは作画機能を使って画像の上に線を引いて見せた。
「角度だよ」
ジェフの場合、ステラのように骨折面が単一の綺麗な骨折ではなかったから、一部、どうしても整復しきれない骨片を取り出す必要があった。そのため脛骨が大腿骨に対してなす角度が変化しているのだ。作画によって計測された術前の数値は24度。それが術後には3度にまで大きく変化していた。
それこそが鍵なのではないかとマリアは言った。
全身で最大の関節である股関節は骨盤の一部である
「だが膝関節はこうだ」
マリアは左手の指を伸ばし、顔の前で水平にすると、その甲に右手の握り拳を載せた。
「右手が大腿骨顆で、左手が脛骨の――そうだな。
「そういう特殊な構造だから、膝関節には靱帯が多い――基本だな」
マリアは頷く。十字靱帯はもちろん側副靱帯、間接的には膝蓋靱帯といった複数の靱帯が膝関節の安定化に寄与している。竜の解剖学における基礎的事実だった。
「しかもこの高平部は、尾側方向に向かって大きく傾いている」
マリアは水平にしていた手を指先を下にして傾けた。ちょうどマリアから見て右側、竜でいう尾側方向に傾いた斜面ができる。その上に、右の握り拳が載っている形だ。
「24度だ。これが直立二足歩行、ヒトなら立てるはずがない。竜のCCLは、24度の傾斜面に載った球体が滑り落ちないように――逆に言えば、加重によって斜面自体が前方に滑り出さないようにつなぎ止めているんだ」
マリアの言い回しに、アデレードがはっとなる。
「高平部の傾斜が緩やかになれば、脛骨は滑り出さない――CCLが切れていても」
マリアは頷いた。
壊れたものを直す、損なわれた機能を取り戻す。それは医療の根源的な考え方だ。だが竜医たちは長らく、問いの立て方そのものを誤っていたのだ。
真に問うべきは、どのようにではなかった。
適切な問いはこうだ――なぜ膝関節は不安定なのか?
「だから、偶然ジェフで起こったような、脛骨高平部の水平状態を意図的に作り出す。今回はジェフと同じように骨折の整復をかねるが、そうでなくとも、骨切りをしてやれば、これは前十字靱帯断裂症全般に適応できる術式になるはずだ」
膝関節という特異な構造そのものが抱える力学的な不安定性を、骨切りによって是正する。アデレードに語るにつれてこれが一番の方法のように思えてきた。マリアはさらに頭の中でアイデアが組み上がるのがわかった。
「そうだな。円鋸を使って切りだした骨片を回転させて、高平部が水平になるように固定する。そうすれば断面同士の接触面積も増え……なんだ。なに笑ってるんだ」
「いや……面白い女だと思ってな」
くつくつと笑うアデレード。「なにがだ」とマリアが尋ねると、
「まさか、そんな大それたアイデアを王女殿下の乗竜で試そうというのかい、君は。まったく、不敬にもほどがあるな」
「やめろと?」
マリアは梯子を外された気分になる。
だがそれは、次の瞬間アデレードが浮かべた不敵な笑みに消し去られる。
「いいや。それでいこう。……アデレード・ハイリヒヘルト――私の名を、今度は君のアイデアに賭けてやろうじゃないか」
アデレードは言い切った。一切の照れも衒いもなかった。あの時と同じ、まるで時代錯誤な騎士の名乗りには、愚かなほどの自信と稚気と高潔さが満ちていた。
だからマリアは束の間、言葉を失ったのだ。
自分の名を賭けることは、その名に価値があると信じる者にしか出来ないことだ。貴種として生まれること。己の生まれ持った価値を知り、信じること。それは、ひたすらにもがくことでしか自らの価値を証明し得なかったマリアには、けしてなしえないことだ。
アデレードはそれすら、ためらいなく擲つことができる。
マリアは竜という生き物の中にいつも、高貴と、同じほどの野蛮を見る。あの日、あの闘技場で見上げた竜の――血と土にまみれながらも、けしてくすむことのなかった美しさ。それと同じ燦然を、同じ強さを、マリアはその時、目の前の女の内に認めた。認めてしまったのだ。
「それで、名前は?」
「……名前?」
「その術式の名だよ。必要だろう」
いずれ発表するときに名前はあったほうがいい。ロデリック含め、センターの上役に説明するにも便利だ。アデレードの言葉にマリアは納得し、すこし悩んでから言う。
「そうだな……
なるほど、とアデレードは相づちを打った。
「洒落の利かない、いかにも君みたいなのが考えそうな名前だな」
「無粋で悪うござんした」
「だが、私は好きだよ。君のそういうところも」
アデレードがおだやかな微笑で言うものだから、マリアの用意していた憎まれ口は引っ込んでしまう。アデレードには他意はないのだろうが、だからこそ見事な意趣返し。これでは、本当にあの頃と同じではないか。
もはやわたしも、十五かそこらの女の子ではないというのに。
「どうした。妙な顔をして」
「気にするな」
たまには初心に返るのも悪くなかった。
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