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 翌日は手術日で、マリアも午後から二件の執刀に入る予定だった。早朝のオペミーティングを終えて階下に降りたマリアは、処置室の中がざわついているのに気がついた。

 スライドドアを通って処置室に入ると一見して騒ぎの元がわかった。ステンレスの処置台を除けば床から薬品棚まで白で統一された空間には似つかわしくないカーキ色が目に飛び込む。数名の軍人が処置室に踏み込んできていた。竜を抱えた医師や看護師、大型竜の受け入れに向かう途中の技術スタッフも、困惑しながら遠巻きにしている。

 今日はマリアより上役の医師は誰もいない。センター長以下ほとんどが学会のために出払っているからだ。世界で初の騎竜兵部隊が組織されたウェールズは、古来から竜の生息地として名高く、首都カーディフはロンドンに並ぶ竜医学のメッカだ。

 マリアは人と竜を縫って前に進み出た。中心人物らしき背の低い男に声をかける。

「いかがなさいましたか……大尉どの」肩の階級章に目を走らせる。帽章によれば所属は王室騎竜兵連隊。「診療の申し込みでしたら、受付を通してもらわなければ困ります」

 受付の看護師が処置室の入口でおろおろとしていた。

「センター長を出してもらおうか。看護師に用はない」

 軍服の男はうるさいハエでも見るようにマリアを見た。おおかたマリアの発音で出自に気づいたのだろう。王国軍人、特に爵位持ちにはありがちだった。だが、竜医学は戦竜の医学、センターの顧客に軍と軍人が占める割合は大きく、そのような態度にはマリアも慣れていた。マリアより頭ひとつ低い男を、あえて見下ろす格好で答える。

「センター長にご用事であれば、今は出払っています。外科部長代理で不十分となると、今は他に対応できる者がおりませんね」

「お前が部長代理だと?」

 男は鼻白んだ様子だった。マリアはこれ以上ない微笑で返す。「遺憾ながら」

「大尉」

 ここで隣に控えていた青年が口をひらいた。表情を変えず進言する。

「今は言い争っている時ではないかと」

「わかっておるわ! それなら貴様でも構わん。とにかく、今このセンターで一番腕の立つ竜医を連れてこい。今すぐにだ!」

「はあ……」

 マリアが曖昧に笑うと周囲からも同様の苦笑が漏れた。大尉もその雰囲気に気づいたのか眉を痙攣させている。なかなかわかりやすい男だった。

「おそらくは私、ということになるでしょうね」

 言葉に窮した男に、青年が何かを進言しようとする。

「わかっていると言っておろうが! いいだろう、貴様でいい。聞け。なんとしても治してもらわねばならん患者がいるのだ」

「ですからそれは受付を……」

「どうか傾聴くださいませ」

 マリアを遮ったのは青年の声だった。短い言葉だったがよく通り、聴く者の姿勢を正させる。部屋じゅうの視線を集めながら男は懐から封書を取り出した。捺されているのは今時お目にかかれないような時代がかった封蝋だ。その印影にマリアは瞠目した。

 男は開いた封書を、このときばかりは朗々と読み上げた。

 流麗な文体に彩られてはいるものの内容はごくシンプルな診療依頼だ。情報に過不足はなく、症例をよく見ている。主訴は右後肢の挙上を主徴とする急性の跛行からの起立難渋。一聴して、大型竜において好発する前十字靱帯損傷CCLIまたは断裂の疑われる症例だった。

 しかしいかに大型竜種といえど、乗用竜の跛行程度でこれほど性急に、それも尉官クラスの軍人が駆け込んでくるのは異常事態だった。そもそも竜騎兵連隊には部隊専属医がいる。設備の整ったセンターに診療を依頼するにしろ、まずは彼らから連絡が来るはずだった。センター職員はマリア以外の誰もが疑問を覚えたに違いなかった。

 けれど、告げられた差出人の名を耳にすれば誰もが得心した。そしてそれ以上の驚きを覚えただろう。予期していたマリアですら、思わず息を呑まずにはいられなかったのだ。

「――ウェールズ公アーリア・エリザベス・マーガレット」

「皆様には、王女殿下の乗竜を、治していただきたいのです」

 青年が重々しく引き取った。

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