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「今日は既にオペの予定が入っています。変更はできません」

 法定推定相続人の名前にざわつく職員たちを遮るつもりで、マリアは断固として告げた。

 この返答には男も虚を突かれたのか、

「これは殿下の親書だぞ」

「ルールはルールです。殿下の騎竜については――実際に診てみなければわかりませんが――あるいは骨折や前十字靱帯損傷であれば、万全を期して一晩入院していただき、明日施術ということになります。よほど一般状態が悪化しているのであれば別ですが、ご依頼書からそうとは思えません」

 マリアのしごく冷静な返答に、彼は一瞬、気圧された様子を見せた。

 だが、すぐに威勢を取り戻す。

「ダメだ。殿下のためにも、今日でなければならんのだ」

「しかしですね……」

 今日のオペは二件とも長時間が予想され緊急性も高い。予定の変更は難しかった。

 もちろん手術には準備が要る。現代の高度竜医療は十分な検査と周到な計画があって初めて成立するのだ。極端に一般状態が悪化していないなら、仮にそれが王女殿下の愛竜であっても、強引に予定を繰り上げることはできなかった。

「大尉様、でしたら方法がありますわ」

 そこで会話に割って入った声があった。マリアは振り返る。

「リリカ」

 巻き毛の女が立っていた。昨日ラウンジで会ったアデレードの取り巻きだ。彼女は咎めるマリアを無視して男の前に進み出ると、優雅な仕草で一礼した。

「申し遅れました。リリカ・エーレンフェルトと申します」

「ということは、ウォルムズゲート男爵の娘さんか」

「まさか父をご存知だとは。嬉しいですわ」

「いやいや。私もお父上にはお世話になっているからね。リリカ嬢もお母様と同じく才媛と耳にしていたが、まさか竜医だったとは。驚いたよ。私は――」

「アラン様ですわね」リリカが完璧な笑顔を浮かべて言葉を引き取った。「もちろん存じ上げておりますわ」

「リリカ。ここは社交パーティーじゃない。挨拶は後にしてくれないか」

 儀礼的なやりとりに辟易したマリアが言った。

 リリカが嘲るような目を向ける。「社交のなんたるかも知らないで」マリアにだけわかるように唇を動かすと、すぐにアランに向き直った。

「マリアの言う通り。私としたことがつい夢中になってしまって。申し訳ありません」

「構わないさ」先ほどまでとは打って変わった鷹揚な態度でアランが答える。「それでリリカ嬢。方法というのは? 今すぐに処置ができるのかね」

「できますわ。単純なことです。マリア以外の者が執刀すればいいのです」

「ダメだ。執刀医の変更はカニンガム先生が決めることだ」

 週三日の手術日では日ごとに数人の執刀医が決められ、緊急のオペにおいても基本的にその中で分担することになっている。若手勤務医には技倆の未熟な者もおり、オペを任せられるどうかにはセンター長や外科部長の判断が必要だ。マリアは自らの師でもあるロデリックの名を出したが、アランがそれを制した。

「殿下の勅命に優先されるものなどない。リリカ嬢、他の者というのは貴女のことかね」

 アランの問いに、リリカは見事な謙虚さを見せた。首を振って背後を示したのだ。

「いいえ。もっと適任がいらっしゃいますわ」

 三人の視線が集まった先で、女は軽く頭を下げた。会釈によって流れた金髪を片手でかき上げる。それだけのことで、リリカの媚びを含んだ礼よりも遙かに優雅な動作になった。

「アデレード・ハイリヒヘルト――公爵家の者であれば、王女殿下の騎竜にも、竜医としての格が釣り合いましょう。もちろん腕前も」

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