第5話

side.?


 暗い。そして静かだ。身体が鉛のように重い。目蓋を微かに開く。眩しい光に眼を細めた。ここは何処だろう。自分は何をしていたんだったか。ぱちぱちとゆっくりまばたきをした。ドアを開ける様な音が聞こえて、誰かの足音が近付いて来る。

 視界を遮っていたカーテンが開けられ、眼の前が開けた。

「...あっ、ふっ、...うぅ。よかった。良かった。眼が覚めたのねっ」

 嗚咽をこぼしながら、母さんは僕を抱き締めた。





 僕はどうやら学校からの帰宅途中に、交通事故に巻き込まれて、半年も意識が戻らなかったらしい。僕が目覚めてから、家族、友だち、たくさんの人が見舞いに来てくれた。みんな口々に、意識が戻ったことを喜んでくれた。

 半年も眠っていた僕の身体は、随分と弱々しくなっていて、思うように動いてくれなかった。検査をして、リハビリをして、僕はままならない身体に挫けそうだった。だけど、僕にはどうしても確かめたい事がある。その為にも自分を奮い立たせて、周りに支えられながら、僕は少しづつ回復していった。


 それから数ヶ月が経ち、今日は念願の退院日。

お世話になった医師や看護師に挨拶をして、迎えに来てくれた家族と家へ帰る。入院中、学校を休学していた僕は、約一年振りに復学することになった。早く学校に行きたくて、うずうずしている僕に、

「ねえ、学校に行くのは、もう少し休んでからでもいいのよ」と、母さんは微笑みながら、心配そうに言う。

「大丈夫だよ。心配しないで母さん」

「そうだぞ。やっと、ここまで回復できたんだ。早く復学して、友人にも会いたいだろうしな」父さんがそう言った。

「うん。早く会いたいんだ」会って、確かめたい。夢のようで、夢にしてはあまりにも鮮やかで温かなあの人。彼女の事がずっと頭から離れなかった。





 久しぶりに訪れる空間に、緊張と期待を抱いて、一歩踏み出す。本棚を縫って、奥まったテーブルへと歩いていく。こちらに背を向けて座っている、きれいな黒髪が見えた。僕は言葉に出来ない気持ちを堪えながら、

「幸穂。それ、そんなに面白い?」と一言、言った。


 彼女は、大きく眼を見開いて、くしゃりと泣きそうな顔で笑った。確かめるように、震える手で僕にそっと触れて、僕をぎゅっと、抱き締める。彼女を優しく抱きしめ返すと、彼女は眼に涙をいっぱいに貯めて「ねえ、お願いがあるの。あなたの名前を教えて?」と言った。


「僕の名前は、幸哉。黒崎幸哉」

「...幸哉くん、やっとあなたの名前が呼べた...」



幸穂と僕は、お互いを温めあうように抱きしめあった。


彼女の頬に伝う涙をそっと拭うと、彼女は優しく微笑む。


彼女の涙を拭えることが、心から嬉しかった。


                      fin.

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