第4話
「僕は内心舞い上がってた。嬉しかったんだ。それからは君も知っているとおりだよ。最初は久しぶりに人と話せたことが嬉しかったけど、途中からは『君』と会って話せることが何より嬉しかった」
「...僕の言ったこと、信じてくれる?」彼がおそるおそる聞いてくる。
「...確かに、普通だったら信じられないかもしれないけど、あなたが嘘をついてるようには見えないから」私がそういうと、彼はありがとうと呟いた。
「...こうやって話しながら本を読んでたでしょ。何も触れられない僕が、君と居る間だけはこうやって少しの間だけ本に触ることが出来たんだ。不思議だよね。でもね、気を抜くと身体が透けてしまうんだ」そう言って本にそっと触れると、そのまま指先が沈むように透けていた。
「...やっぱり、怖いよね。ごめんね」沈んだ声でそう言う彼。
「そんなこと無いよ」自分でも驚くほどに、怖ろしいだとか、そういう感情は湧かなかった。ただ、彼が生身の人間では無い事がはっきりと分かり悲しかった。
「...君は本当に優しい人だね。君ともっとたくさん、ここで会って話していたかったけど、もう僕はここに居られないみたいだ」
「...どうしてなの?」
「ここに来る前の記憶が無いって言ったよね。それだけじゃなくて、他の記憶も途切れ途切れにしか覚えてないんだ。最近はね、友だちの名前も顔も家族のことも思い出せない。いた事は分かるんだけど。それに、僕は自分の名前さえも、もう思い出せないんだ。...あとね、夢を見る」
「夢?」
「そう。たぶん夢って言ったほうが、一番近いのかもしれない。暗くて静かな夢。僕がここに居ない時はその夢の処へ行ってるみたいなんだ。それがだんだん永くなってきていて、最近じゃ君がいない時はほとんど夢の中なんだよ。たぶん、僕はその夢の中で眠らないといけないと思う。もうそろそろ逝かなきゃいけない。ここじゃない、どこかにね。そう、感じるんだ」寂しそうな瞳で穏やかに彼はそう言う。
「もう、僕には時間が無いと思う。本当は君と出会った初めの頃から、君は生きていて、僕は死んでいるから、会わないほうがいいんじゃないかってずっと思ってた。だけど、君に会えるのが嬉しくて、楽しくて辞められなかった。君に怖がられたくなくて、本当のことも言えなかった。...ごめん」
少し震えた声で謝る、彼越しに後ろの壁が透けて見えた。彼が言うように、私達に残された時間はもう、ほんの僅かしかないようだった。
うっすらと透け始めている彼を見つめながら言う。
「何も謝られることなんてないよ。...私もあなたに伝えたい事があるの。聞いてくれる?」
「もちろん」と彼が頷く。
「私、あなたが好き」
私がそう言うと、彼は一瞬眼をまんまるにして、それからくしゃりと破顔した。彼が見せてくれた笑顔の中でも初めて見る表情だった。
「...君は、ずるいよ...。最期にそんな言葉をくれるなんて。僕は幸せ者だ...」
「私はあなたと出会って救われたの。あなたがたとえ、幽霊だってそれは変わらない。...本当はお別れなんてしたくないけど、これが最期なら、ちゃんと伝えたかった。...大好きだよ。...ありがとう」
「僕も君が好きだ」
そう言って、そっと私の頬に手を伸ばして、包むような仕草をした。触れる感触も、熱も感じないけど、彼の手は優しかった。
「...泣かせちゃったね」
涙を拭うように親指を滑らせる。私の涙は、彼に触れずに流れていった。
「...あなたも泣いてる」
さっきよりも、さらに薄くなった彼の涙は淡く空気に溶けていった。彼の手の上に重ねるように自分の手を添える。
「最期にお願いがあるんだ。君の名前を聞かせて」
最期のお別れに名前を教えるなんて、私達は本当に不思議な関係だ。くすっと、泣きながら笑う。
「...幸穂。...藤永、幸穂」
「ありがとう、幸穂」
最期に見たのは、ふわりと笑う彼の笑顔だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます