第3話

「もう、こんな時間だね。そろそろ帰らなきゃ」彼がそう言い、私も時計に目をやる。

「ほんとだ。じゃあまたね」と、椅子から立ち上がる。

「あのさ、今度いつ会える?」初めて彼から『次』を聞かれた。彼は、どこか緊張してるようだった。私は胸がぽかぽかと温まるような気持ちで「今週の金曜日なら」と一言かえす。

「君に話したいことがあるんだ。待ってるから」彼は、ゆっくりまばたきしながらそう言った。


 約束の金曜日の放課後。どこか、胸が弾むような気持ちで図書館に向かう。友だちには浮かれていたのがばれたようで「なーんか、今日ご機嫌じゃん!いい事でもあった?」なんて言われてしまったくらいだ。それを適当にはぐらかすと、「ケチだなー。言いたくなったら教えてね!」と言われた。

 『読書仲間』つまり、彼のことは誰にも言ってない。なんとなく秘密にしておきたかった。あの穏やかな心地良い時間を気に入っていたし、大事にしたかった。

 

 図書館で彼と出会い、数ヶ月が経つ。以前までの私は曇りガラス越しに世界を見るように生きていた。漠然とした不安、息苦しさを感じ、人を信じられず、傷付かなくていいように初めから人を遠ざける。そんな自分が一番嫌いだった。


 だけど、この数ヶ月の間に私にはある変化が起きていた。穏やかに笑う声、表情。優しくて柔らかな誠実な人。厚くて硬い壁を解いてくれて、心の柔らかい所を包み込んでくれた。前より視界が開けて、仮面を張り付けて接していた周りとも少しづつ素の自分を出せるようになったし、以前よりも良好な関係になった。今では彼は私にとって欠かせない存在になっていた。


 いつも私達が座るテーブルは奥まった所にあり、人の目につきにくい。ひっそりお喋りするにはぴったりの場所。彼はもう座っていて、私をみつけると微笑んだ。

「今日はね、君に聞いて欲しい話があるんだ」

「この前言ってた話?何?」

「信じられないかもしれないし、君を怖がらせてしまうかもしれない...」

 今まで聞いたことのない言葉を聞いて少し不安になる。

「どうしたの?言ってみて」

「...あのね、僕。...人間じゃないんだ」

 真剣な顔だった。彼の言葉を聞き、一瞬どうリアクションするか考えてしまう。

「えっと、冗談?そんなことも言うんだね」

「ううん。...冗談だったら良かったんだけどね」と彼は困ったように微笑んだ。



「本当はずっと悩んでたんだ。君に打ち明けるかどうかを」

 俯きがちにそう言う彼。

「突拍子もない話だしね。それにさっき言ったみたいに、君を怖がらせてしまうかもしれないし...。だけど、何も言わないまま、君の前から消えるなんてことしたくなかったんだ」

 真剣な表情で見つめる彼に、私は嫌な予感を感じ、心臓が跳ねた。





「僕...。もう死んでるんだ...。幽霊なんだよ」彼はぽつりとそう言った。





「そんな...」なんて言えば良いのか分からなくて、言葉がつまる。彼は人を傷つけたり、悪意がある冗談を言う人じゃない。

「...急にこんなこと言われても混乱するよね。僕も君の側だったらなかなか信じられないよ」困ったように眉を下げて微笑んだ。

「だって...あなたは今、私の目の前に居るじゃない。話も出来るし、他の人と何も変わらないよ」きっと、真実なんだろうと頭の片隅では思っているのに、どうしても否定して欲しくて、自分が思っている以上に弱々しい声が出た。

「うん。そうだね...。だけど、これは本当なんだ。何故か分からないけど、僕は君にしか視えていないらしいんだ」

「...どういうこと?」

「君がこの図書館に通い始める前から、僕はここに居たんだ。いつの間にか気付いたらここに居た。最初はね、僕自身も自分が死んでることに気付いていなくて、ここに来る人に話しかけたりしたんだよ。...でも、みんな無反応でさ。なんかおかしいなって。それで、たまたま友だちを見かけてさ、声をかけながら肩を軽く叩こうとしたんだ。...そしたら、どうなったと思う?..僕の手がさ、こう、すーっとそいつの肩をすり抜けちゃったんだよ。自分でもびっくりしちゃって。いよいよおかしいなって、ね」少しおどけたように話すが、彼の瞳は悲しそうだった。


「僕はとにかく自分の現状を知りたくて、図書館の外に出ようとしたんだ。だけどね、不思議なことに出ようとすると元の場所に戻ってしまって、どうしても出られないんだ。ここまでくると僕もだいぶ焦ってきて、どうしてこんな状況になってるのか必死に考えたよ。とりあえず、ここに来る前にどこで何をしていたか思い出そうとするんだけどね、どうしても思い出せないんだ。もしかして、夢を見てるんじゃないかとも思ったけど、ここにずっと居る間にそれはないだろうなって分かってしまった。」ぽつり、ぽつりと話す言葉に私はどうしようもなく悲しくなった。


「そうして、僕がここでふらふらしてる時に君を見かけたんだ。ここの図書館は設備も整ってて、広いだろう?だけど、学生が利用する時間は集中してて、君みたいにまめに通う子なんてほとんどいなかった。僕はずっとここに居たからね。君のことは割とすぐ覚えたよ」目を少し細めて、懐かしそうな瞳をした。

「とにかく何もやることが無くて、僕は暇だった。だから、ここに来る人達を眺めて、人間観察をしてたんだ。」少しいたずらっぽく笑う。


「君はいつも熱心に本を読んでいて、よっぽど読書好きなんだろうって事が分かったし、...どこか寂しそうにも見えた。僕が勝手に親近感を持っちゃったんだ。ある日君が読んでいた本が気になって隣に座ったんだ。どうせ、僕の事は誰も見えてないから一緒に読ませてもらおうと思って。君があんまり夢中で読んでいるものだから、つい『それ、そんなに面白い?』って話しかけちゃった。そしたら、君から反応がかえってきて、言葉を返してくれたから、僕は内心びっくりしてたんだよ」どこか、嬉しそうに話す彼に「...あれは、そういうことだったのね」と少しだけ微笑んだ。

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