滞在三日目 〜中編(1)〜

紅波の運転するボートは花梨とあじさいを乗せてゆったりと進んでいく。

つぅーつぅー洞には小型の船を出してもらい向かうことでしか行くことができない。

穏やかな波の中を小舟はまるで海の上を滑るように進んでいった。

そして程なくしてつぅーつぅー洞の中へと辿り着く。

そこには外の暑さはなく、少しの肌寒さを感じた。

ひんやりとした空気の中、花梨の瞳には美しくも神秘的な景色が広がっていた。


「わぁ。。。」



その光景をみた花梨は無意識に感嘆の声を上げた。


「綺麗でしょう?私、ここ好きなの」


その様子を見ていたあじさいが嬉しそうににっこりと微笑んで声をかける。

自分の好きな場所を、素敵だと思う場所をそう感じてもらえている様子が嬉しいのだろう。


「とっても幻想的ですね。見惚れちゃう。。。」


風景に見惚れたまま、花梨はそう返した。


「そうでしょ〜!暑い日はずっとここにいたくなるくらい!空気も清浄って感じだしね!」


と思ったら、どうやら一番の目的は暑さから逃れることのようだ。

花梨にとっておそらく初めて身にするであろうこの光景も、生まれた頃から見慣れているあじさいにとっては日常の風景なのだろう。

好きな風景ではあるものの、それよりも夏を凌ぐための大事な場所ということの方が重きを置いているような口振りである。

この辺りは田舎あるあるという、価値観の違いとでもいうのだろうか。


「ゆっくり楽しむといいよ」


そう言って紅波は船の端に腰を下ろすと電子タバコを口に運んだ。


「ここは自然洞なんですか?」


目の前に広がる風景の端から端まで見渡して花梨は尋ねる。


「そうらしいわよ!すっごく昔からあるって聞いてるわ!そうよね、おじさん」


本来のガイドは紅波であるはずだが、それよりも早くあじさいが口を開く。

そしてあじさいの言葉に紅波はうんうんと頷いた。


「へぇー。なんだか、頭が冴えますね、考えがすっきりするというか」


「空気が澄んでいるからだと思うわ」


花梨の言葉にあじさいがにこりと笑って応える。

その笑顔に花梨は何を見たのか。


「お姉ちゃ。。。あじさいさんはこの島で住んでるんですか?」


お姉ちゃんと言いかけて慌てて口をつぐみ、隠すようにそう問いかけた。


「ん?そうよ。私の家は村で八百屋さんなの」


少し不思議そうな顔をしたものの、あじさいは笑顔でそう教えてくれた。

八百屋といえばカフェに行った時に見かけた気がしたなと花梨は記憶を辿る。


「そうなんですね、この島に観光で来ましたが、景色もよくてご飯も美味しくて、夜の景色が見れないのが残念だけど、とてもいい島だなって思いました」


「そうねぇ、、、でもこの島は自然以外何もないから夜は星空を眺めるしかないわよ?」


花梨の言葉にあじさいはケラケラと笑って返す。

これも田舎によくあることではある。

そんなことはないというように花梨はにこりと笑って、ふと思い出したかのように紅波に尋ねた。


「洞窟の写真は撮っても大丈夫ですか?」


「俺が撮ろうか」


花梨の言葉に記念写真を撮りたいのだろうと思った紅波はカメラマンを申し出る。


「あ、こっちもお願いします」


カメラを渡しながらそういうと、紅波はつぅーつぅー洞をバックに花梨とあじさいのツーショットを映してくれた。

その後、返してもらったカメラで花梨は数枚、つぅーつぅー洞を写真に納めた。


(頭が冴える…か)


その時ふと、遠くにいる弟子の電波を受信した紫苑がそんなことを思ったとか思っていないとか。

それはさておき、花梨とあじさいはその場で景色を楽しみつつお喋りに花を咲かせ浜辺に戻ったのはそろそろお腹の虫もなく時間であった。








一方その頃、少し時間を遡ることになるが紫苑は当初の目的地である崖にたどり着いた。

するとそこのベンチには先程見かけた老夫婦が仲良さげにベンチで日光浴を楽しんでいるようだった。

その邪魔にならないようにとそっと自転車を置き、崖に近づいてみる。

下を覗き込むと、落ちたら命はないであろう高さであることがわかった。


「あまり覗き込むと危ないよ」


それを心配したのであろう。

男性が紫苑に声を投げかけた。


「高い崖ですね」


男性の方を振り向くと、紫苑はやんわりとした笑みでそう言葉をかける。


「島では一番高い崖だよ」


紫苑の言葉に柔らかな笑みでそう応えた。

昨夜の風に比べると、穏やかで心地よい風が紫苑の肌を撫でては通り過ぎて行く。

紫苑はふと、そのままあたりの風景を見渡した。

田畑の方には数人の島民が何やら作業をしているのが見える。

そして崖の先には広々とした地平線が広がっていた。

先日訪れたお城の方を見ると、見ることができなかった城であろうの、赤い屋根が見える。


「いい天気ですね」


最後に空を見上げて紫苑はぽつりとそう言葉を投げかけた。


「そうだねぇ、ありがたいことだよ」


男性の言葉に紫苑は視線を2人の方へと戻す。

隣に座る女性はニコニコと微笑み紫苑を見ていた。


「おふたりはよくここへ来るんですか?」


2人の方へと歩み寄り、紫苑は問いかけてみる。


「そうだよ、日課みたいなものかな。年寄りのささやかな楽しみだよ」


年寄り、とはいうものの村からここまではそれなりの距離である。

島の生活を考えると、都会の同じ年配の人たちと比べればまだまだ足腰がしっかりしているだろうことは容易に想像できた。


「とてもいい眺めですね」


紫苑はもう一度崖の先へと視線を移し、2人の方をみてにこりと笑う。


「眺めはここが一番だよ」


おそらくここは男性のお気に入りと言える場所なのだろう。

不思議とこの島の人達は、そう言った場所を褒められると嬉しそうに微笑んだ。


「熱い緑茶はお好きかしら?」


水筒を見せながら女性は優しく微笑みながら尋ねる。


「ありがとうございます、いただきますね」


紫苑がそう答えると女性は自分の隣を勧めてきた。

男性がタバコを吸い始めたためだろう。

その隣をすすめるよりはこちらをと気を利かせてくれたようだ。

紫苑は素直にその場所に座り、女性が差し出してくれたお茶を受け取った。

僅かな木陰が紫苑を包む。

柔らかな風と、程よい日差し、そして熱すぎず優しさにも似た温かな緑茶。


「こんな風にゆっくりしていると、なんだか眠くなってきますね」


少しだけ空を仰いで軽く瞳を閉じる。

静かで、穏やかな空間の中にいる気分だ。

夢心地とでもいうのだろうか。


「ここでお昼寝もいいものよ」


女性の言葉から、声から、ふわりと笑うのが紫苑には感じられた。

そういえば昨晩はあまり寝ていなんだっけ。

そんなことがふと思い浮かんだが、木々に止まる小鳥達の歌は心地よく、包まれる風もまるで毛布のような柔らかさを感じる。

そばにいる老夫婦も今日初めて出会ったのにまるで嫌な感じを受けることがない。

その穏やかな時の流れにいつしか紫苑は微睡の中にゆっくりと落ちていった。

フラフラと船を漕ぎ出す紫苑を気遣ったのだろう。

女性は膝に乗せていたバスケットを足元に下ろすと、そっと優しく紫苑の頭を自分の膝へと運んだ。


「眠ってしまったのかい?」


「そうみたいね。こんなにいいお天気ですもの」


「旅の疲れもあるだろう」


「そうですね、そっとしてあげましょう」


そんな2人の会話を夢現に聞きながら、2人の優しさに包まれながら紫苑はゆっくりと夢の世界へと落ちていった。







そしてその頃、さらに時間を遡ることとなる。

崖を後にした葉山と彼は誰は瑠璃城へと向かっていた。


「俺としては関わらない方がいいとしか言えないけどな」


「秘密には惹かれるものさ。珈琲の香りのようにね」


サラリとそんなことを言うものだから、葉山はははっと笑い何かを考えているようだった。

そして少しの沈黙の後、葉山は口を開いた。

先程のものを見て君なら察したかもしれないけれど自分はこの島の出身だ、と。


「偽名?」


「まぁね」


彼は誰の問いに葉山はニヤリと笑って答える。


「まぁ、、、流石に明かせないけどね」


「知らない方が都合は良いかな」


葉山の言葉に彼は誰はにっこりと笑い言葉をつづけた。


「そうだろう、ゆうちゃん」


「侑斗、でいいよ」


流石に彼は誰の言葉は予想外だったのだろう。

苦笑いを浮かべて葉山はそう訂正する。

が、それに特に何も言わず悪い顔をして笑うだけだった。

そしてふと、それにしても、、、と口を開いた。


「確信にまでは、至ってなかったかな」


「それでも流石というところだね」


呟くような彼は誰の言葉に、葉山はニヤリと笑って言葉を投げた。


「それで。午後も俺に付き合う?」


「旅は道連れというだろう」


特に悩む様子も見せず彼は誰は言葉を返した。


「まぁ、そうだけれどね。ただ、あんたには関係のないことだからね」


そう言って葉山はまた、苦笑いを浮かべた。


「興味がある。それに、僕の探し物も見つかりそうだからね」


「探し物、ね」


特に深く聞くわけでもなく、葉山はつぶやくように繰り返す。

お互い察しのいいもの同士である。

ただの観光目的ではないと最初から思っていたのであろう。

そうじゃなければ、忠告などするはずもない、と。

そうこう話しているうちに2人は瑠璃城の城壁へとたどり着いたのだった。


「ここにくるのは初めて?」


「喫茶店に入り浸っていたものでね」


葉山の問いかけに笑って答えながらも彼は誰は彼が一度ここへきたことを思い出していた。


「なるほどね。ほら見てよ。ここは“いい瓦”を使っているよ」


言われて彼は誰は目を細めて瓦を見上げる。

が、少しずつ日も高くなっている時間である。

慣れない日差しに目が眩み、よくわからないと左右に首を振って見せた。


「ん?わからない?あんたならそんなことないと思うよ。よく見て」


言われて再度見上げてみるも、目が眩みそうな空の青さと日差しにくらくらとした感覚を覚えた。


「逆光で意匠が見えないな」


「そっか。じゃあ、少し歩こうか」


そう言われてふと葉山は気づいたようだ。

島の人間にとってこの空は日常にあるものだが、彼は誰にとって眩しすぎるのだと。

ならば、もう少しわかりやすい場所があると言うことなのだろう。

葉山の提案に彼は誰は頷き、2人は並んで歩き始めた。

正面の朱雀門から右回りに歩き始める。

次にたどり着くのは蒼龍門だ。

そしてその次が玄武門、そして白虎門を過ぎると元の朱雀門へと戻ってくる。

その蒼龍門へとたどり着いた頃、程よい日陰のおかげで彼は誰はあることに気づいたようだった。


「やっと気づきた?」


彼は誰の様子に気づいた葉山がニヤリと笑った。


「ああなるほど、これはいいね」


そう言って彼は誰もニヤリと笑った。

葉山が何を伝えたかったのか。

それは、門の瓦と柱の間に受けられた小さな監視カメラのことだった。

おそらく、この島の日差しに慣れているか日差しを避けて意識して見上げない限りは見つけることができないとても小さなものである。

そしてもちろん、彼は誰はそれがどのような全貌をしているのか知っていた。

要は、ストーカーなどが隠し撮りで使用するような、とても小さなカメラだからだ。

そんな話をして歩いていると、向こうから1人の男性が2人に向かって歩いてきているのが見えた。

それは紫苑が二日目にここを訪れた際に出会った男性だが、そんなことを2人が知る由もない。


「やぁ、観光の人だね。朝の散歩かな?」


2人のそばにやってくると男性はにこやかに挨拶を投げかけた。


「暑くなる前に見ておきたくてね。そういうあなたは島民かな」


「日が高くなると都会暮らしの身にはキツくてね」


彼は誰と葉山が言葉を返すと男性はそっかと頷いて笑った。

そして彼は誰の問いにはあぁそうだよとにこやかに笑って頷く。


「工事をしにきた、というわけでもなさそうだけど。あなたもその口かな?」


「そんな感じかな。この島で暮らすには体力も必要だからね」


彼は誰の言葉に城を見上げながら男性はそう答えた。

その様子を彼は誰はじっと観察してみる。

嘘をついているわけではなさそうだ。

しかし、その言葉が全てではなさそうだということが伺えた。


「大変なんだね」


葉山がそんな男性のそぶりを気にする様子もなく声をかけた。


「車もあまり走らせないようだしね」


そう言いながら彼は誰はなんの前触れもなく葉山の腕に自分の腕を絡ませて葉山を見上げ、言葉を続けた。


「なあダーリン、次はどこに連れてってくれるんだい?」


「あ、あぁ、そうだね。車は荷物を運ぶ程度にしか使わないからね」


どこか気まずそうに2人から目を逸らし、男性は少しうわずったような声で先程の彼は誰の言葉にそう返した。

そんな男性の様子をなおも彼は誰は観察していた。

しかし、顔を赤くしていることから男性はそういう色恋にはうぶなんじゃないかということがわかるくらいだった。


(そっちかあ)


どこか残念そうに心の中で彼は誰は呟く。


「それじゃ、観光楽しんで!」


まるでその場から一刻も早く逃げたいと言わんばかりに男性はその言葉を残して走り去ってしまった。

しかし、そのことにより彼は誰はある案が浮かんだ。

そして葉山にそっと耳打ちをする。


「このままでいこうか?」


楽しそうに彼は誰は笑った。


「まぁ、それが無難かもね」


一度目撃されてしまったし、カメラの数を全て把握してはいないがここにはカメラが備えられているのだ。

急に離れるのも逆に怪しまれると観念したのかもしれない。


「じゃ、行こうかダーリン」


そう言って葉山の腕を引くように歩き出す彼は誰は楽しそう、ではなく明らかに楽しんでいるなと葉山は思うのだった。


「、、、ダーリンはやめない?」


「わかった、ゆうとさん」


「侑斗でいいよ」


そう言うものの、彼は誰はこの状況を楽しんでいるものだから葉山の様子もその一つなのだろう。

特に聞く耳を持たないと言った様子でニヤニヤと笑いながら、葉山の腕を引きながら歩いていく。

段々と葉山も諦めたかのようにいつのまにか笑みをこぼしていた。


そうやって2人が歩き進めていると、また1人の男性が向かい側からこちらに歩いてくる様子が見てとれた。

先程の男性ではないようである。

それは同じく紫苑が二日目に出会い隼と名乗った男性であったがこれも2人は知らぬことであった。


「観光の人だね。朝からデートかな?」


さわやかな笑みを携えてそう声をかけてきた。

すると、突然彼は誰の様子がおかしいことに葉山は内心ギョッとしていたが顔に出さなかったのは流石と言うところだろう。


「えー、やっぱりわかるぅ?」


先程とは違い、きゃー恥ずかしーと言わんばかりの勢いで葉山の腕にぎゅっとしがみつくように、甘えるように擦り寄ってくるのだ。


「緋色がどうしても見に行きたいってごねるから朝早くから叩き起こされたんだよ」


平常心を装いつつ、葉山は男性ににこりと笑うと彼は誰の頭を宥めるようにヨシヨシと撫でた。

それに対して彼は誰は嬉しそうにきゃっきゃっと笑った。

側から見ればバカップルといった感じだろうか。


「せっかくの旅行だから女性のわがままも可愛いものだね」


先程の男性ならば顔を真っ赤にしてごゆっくりとでも言って走り去りそうな状況であるが、隼は慣れているのだろうか。

特に焦る様子も、顔を赤くすることもなく最初と変わらぬ爽やかな笑顔で微笑んだ。


「ねーゆうちゃん、早く行こ?」


立ち話もつまらないとでも言うように彼は誰は少し口を尖らせつつ葉山の腕を引っ張って急かし始めた。


「あぁ、そうだね。君、緋色もこう言っていることだし、失礼するよ」


「良い旅を」


申し訳なさそうにそう言う葉山に特に気にする様子もなく隼はそう言って2人を見送った。

そして隼から遠かったのを見計らって彼は誰は葉山にそっと耳打ちをする。


「うまいものだろう?」


そう言った後に葉山と目が合うとにっこりと微笑んだ。


「ははは、そうくるとは思わなかったけどね」


驚いた、というよりは楽しかったとでも言うかのように葉山は笑いながら応えた。

2人は先程の出来事を思い出してか、特に言葉を交わすわけでもなく笑いあった後に葉山が口を開いた。


「時間もいい頃だ。ホテルで昼食でも食べようか」


それに彼は誰が頷くと、そのままゆったりとした足取りで朱雀門まで一周し、ホテルへと向かうのだった。









葉山と彼は誰が城壁の散歩を楽しんでいる頃、ふと誰かに揺り起こされて紫苑は目を覚ます。

本人にしてみれば一瞬なのだろうが2〜3時間ほど眠っていたようだ。

時間はお昼になる少し前、と言ったところだろうか。


「あれ、寝てしまいましたか…」


少し恥ずかしそうにしながら身を起こす。

そして、自分はこの女性に膝枕をしてもらって眠っていたことに気づき余計に恥ずかしさが増していく。

膝枕だなんていつぶりだろうか。

けれども、遠き日の母の温もりのような優しさに包まれていた気がする。


「きっと疲れていたのね。こんなにいい天気だもの。仕方ないわ」


女性は気にするそぶりもなく紫苑に優しい微笑みを見せた。

隣にいた男性も変わらずそこにいて、ニコニコと笑みを向けてくる。

この2人からみれば、紫苑は孫のようなものだろうか。


「昨日はダイビングしたりしてはしゃいでいましたからね、ははは」


どこか言い訳のような言葉が口をついて出た。

寝起きの頭と恥ずかしさからうまく言葉が浮かんできてはくれない。

そもそも、この島に疑いを持っているというのに眠ってしまうなんて。

他人に気を許してしまったと言うことなのだが、不思議とこの2人にはそんな包まれるような、無条件の愛のような優しさを無意識に感じていた。


「何から何までありがとうございます」


「いいのよ。あなたくらいの男の子はたくさん遊んでたくさん眠る方がいいわ」


寝起きに緑茶を勧められ、それを口に運ぶと身体中に染み渡るようだった。

少しずつ頭も冴え始め、そうなると体が空腹を覚えた。

体内時計も正常に活動を始めたようだった。

改めて紫苑は自己紹介をして二人の名前を尋ねた。

すると二人は仮屋崎湊(かりやざき みなと)とあけびだと笑みを絶やさず話してくれた。

湊もあけびも紫苑のことを不快に思ってはいないようだ。

改めて二人にお礼を言った後、紫苑はホテルに向かって元気に自転車を漕ぎ出したのだった。









ちょうど紫苑が目覚める少し前、花梨は元の浜辺へと戻ってきていた。

すると、何やら言い出したそうにもじもじチラチラとあじさいを見ている。

どうしたのかと二人がそんな花梨を見ていると意を決したように口を開いた。


「あじさいさん、よ、良ければこれからお食事しませんか?」


大きな瞳をうるうるさせてそう言う花梨の様子はまるで捨てられた子猫が家へ連れて帰って欲しいと訴える瞳のように見える。

あじさいは少し何かを考えた後、紅波の方を見た。

紅波はそんなあじさいにニコリと微笑んで軽く頷く。

それをまるで確認するような少しの間の後に、花梨に向き直りあじさいは笑顔を見せた。


「うん、一緒に食べよっか!」


「わぁ、ありがとうございます」


あじさいの言葉に満面の笑みを浮かべる花梨。

先程の二人のアイコンタクトとも言える様子が何を意味するのか、深く考える様子ではなかった。








あじさいと花梨がカフェへ向かう頃、ちょうど紫苑はホテルへと到着していた。

ホテルに着くとそのまま紫苑はフロントへと向かった。

いくつか気になることがあるのだ。

それもあってホテルへと戻ってきたのだが、、、

フロントもちょうど昼食の時間なのであろう。

“誤用の際はこちらを押してください”

というベルが置かれ、カーテンを閉められている。

紫苑がそれを鳴らすと中から朝とは別の女性が顔を出した。


「はいはい、お待たせしました」


にこりと笑って顔を出した女性と同時に奥からカレーの良い香りが漂ってくる。

誰かのお昼ご飯がカレーなのであろう。

それはさておき、紫苑はその女性に今朝もらったチラシを見せながら尋ねた。


「巫女姫さんというのはどんな方なのですか?」


「このホテルの支配人の娘さんだよ」


ニコニコとしながら応えてくれる女性は、割とそういったことに慣れているのであろう。

そして女性は続けて祭りについて説明をし始めた。

この祭りでは御使〈みつかい〉と呼ばれる子供(男女問わない)が性別とは逆の格好をして舞を舞う。

祭りの始まり(朝)は村の中央に作られるステージにて行われ、祭りの終わり(夕方)に砂浜に設置されたステージで舞を舞って締め括る。

今回はホテルの支配人の娘、みどりが行うそうだ。

それから、食券のメニューでよければ昼食を出せると言う話も女性は付け加える。

お礼を言った後、紫苑は食堂へと向かった。


「サンマーメンでも食べよう」


などと独り言を言ったもののメニューにはない。

先程のカレーの匂いが鼻に残っていたのだろう。

紫苑は海鮮カレーを選択するとそれを受け取り口へと持っていく。


「大盛りでお願いします」


「若い子はたくさん食べないとね」


本来、大盛りは別料金らしいがサービスだと言ってその女性は笑った。

紫苑は女性の好意を有難く受け取り、静かに席について料理が運ばれてくるのを待つのであった。










さて、そこから少し時間は戻ることになるが、こちらは朱雀門へと向かう葉山と彼は誰である。


「午後は知られたくないところに行くから自転車は使わないよ」


周辺を軽く警戒しながら葉山は彼は誰に告げる。

知られたくないから自転車を使わない。

それはつまり、、、


「そういうことだね」


ニヤリと彼は誰は笑って見せた。

彼は誰の察しの良さが有難いと言わんばかりに葉山もニヤリと笑う。


「あと、常に見られていることを忘れないように」


「だからこそだろう?」


そう言いながら彼は誰はより一層、遠目に見れば仲睦まじく見えるようにと葉山の腕にぎゅっと身体を密着させた。

それには葉山も軽く笑って流すだけだったが。

女性に興味がないのか、彼は誰に興味がないのかはさておき。

二人はそのまま朱雀門に着くと、それぞれの自転車へと歩み寄る。

葉山は自転車に乗るわけでもなく、引いて歩き出したため彼は誰もそれに倣って並んで歩く。


「必要あるかはわからないけれど食事を終えて出る前に着替えや水着、シュノーケルをも持ってるなら持ってくるように」


「自前のものがあるよ。泳ぎに長けてる訳ではないけど」


にこりと笑ってみせる彼は誰に葉山はどこか満足そうに笑った。


「それで十分。まぁ、関わりたくなくなったらいつでも言って。俺は関わらせずに観光していて欲しいけどね」


そう言って苦笑いを浮かべた。


「僕は先程伝えたはずだ。あれが答えさ」


葉山の様子を気にするそぶりも見せずに彼は誰はそう言い切ってにこりと笑みを向ける。

まるで、ただの観光ではつまらない、こう言うのを待っていたと言っているように葉山は感じた。


「まぁ、俺にもまだわかっていないことは多いからね」


小さなため息をついた後、葉山はどこか遠く、前を見ながら呟くように漏らした。


「大分変わってる様子だね」


「約20年ぶりだからね」


「?!!」


流石の彼は誰もその言葉には驚きを隠しきれなかった。

葉山の年齢は見た目からの推定ではあるが20代前後といったところだ。

そうなると赤子の頃にこの島を出たことになる。

確かに赤子の頃の記憶を持ち合わせている者もいないわけではないが、葉山の発言からして少なくとも子供時代はここで過ごしていたのではないかと言うことが窺える。

そんな彼は誰の驚く様子を見て、葉山はどこか楽しそうに笑いを浮かべた。


「アンチエイジングでは片付かないね」


「まぁ、敢えてわかりやすく例えるならば島の呪いだよ」


彼は誰の言葉にそう返しながら、その顔は幾分か曇り苦笑いを浮かべている。

彼は誰はその言葉が本心なのか、からかいなのか、お得意の観察をしようと一瞬頭をよぎった。

が、今のところ葉山が自分に嘘を言っているとも思えない。

ここは相手が話してくれるのを待つか、と彼は誰は好奇心を抑えて笑って見せた。


「ホテルの食堂でいい?まぁ、村のカフェでもいいけど」


自転車小屋に止めながら、葉山は彼は誰に尋ねた。


「臨場感を味わいながら珈琲を楽しみたいね。手間も省けていいんじゃないかな」


ホテルで食事ではなくカフェに行こう、情報も何か得られるんじゃないか。

彼は誰の言いたいことはそう言うことのようだ。


「まぁ、、、そうだな。」


葉山はそれをわかった上ではあるが、どこか歯切れの悪い返事を返す。

村に行くとなると、葉山の顔を覚えているものがあるかもしれないと言うことだろう。

何かを少し考え込んでいる様子だった。


「少し支度をするから部屋に戻るよ。緋色も支度を済ませるといいよ」


「では、また」


二人はそういうとそれぞれの部屋へと向かい、何やら支度を始めるのだった。











その頃、こちらはかふぇへと向かった花梨とあじさいである。

二人が中へ入ると昨日と同じように茶色の目の女の子が出迎えてくれたのだが、、、


「あー!あじさいちゃんサボってるー!」


あじさいの顔を見るや、そんな声を上げた。

そもそもが何か仕事があったのか、祭りの準備があるのか。

サボっていると言うことは本来ならば何かしている時間なのかもしれない。

が、あじさいと昼食をとれる嬉しさで花梨がそんな考えに至ることはない。


「昨日ぶり、今日も可愛いですね、お二人さん」


花梨はにこにこと笑みをこぼしながら話しかけた。

そしてそのことでようやく、あじさいの連れで花梨がいることに気づいたらしかった。


「あら?昨日の女の子?今日は1人なんですね!いらっしゃいませ!」


慌てて接客の態度を取るところは慣れだろうか。

にこりと笑って一礼をする。

あじさいが花梨と昼食をするために来たことを告げると何か考えるように二人を見比べ、席に案内してくれた。

四人がけのテーブルに二人は向かい合って座る。

そしてそれぞれメニューを開いた。


「メニュー決まったかしら?」


「あじさいさんといっしょで」


どこか照れたようにそう答える花梨にあじさいは少し困った顔を見せた。

その理由を花梨はすぐに知ることとなる。

あじさいは呼ぶと今度は黒い目の女の子がやってきてすぐに注文をし始めたのだが、、、


「ミートドリアに照り焼きピザ、それからエビピラフと食後にかき氷の宇治ミルクね」


きっとこれがいつもの食事量なのだろう。

女の子は呆れた顔ではいはいとオーダーを聞いている様子だったが花梨は驚きの表情を見せた。


「風華ちゃん、、、食べれる?」


「うっ。。。」


同じものをとは言ったが花梨の予想をはるかに超えていた。

この量を食べれるのは姉のあぢさいくらいしか花梨には思い浮かばない。


「あじさいさんのオススメありますか?」


流石に自分には無理だと思った花梨はそう問いかけてみる。


「そうねぇ、、、翔君が作るものはなんでも美味しいから選べないのよねー。あ、翔君はここの厨房やってるんだけど」


「翔君、ですか?」


「うん!」


あじさいは満面の笑みを浮かべて頷くが、花梨には誰のことなのかと言った様子だ。

この場に紫苑が居合わせたのならば、昨日見かけたメガネの男性ではないかと言う答えに行き着くことができただろう。


「では、焼きチーズカレーと、瑠璃色さわぁをお願いします」


「かしこまりました〜」


少し悩んだ後、花梨はそう注文すると女の子はすぐにキッチンへと向かった。


「仲いいんですね、もしかして。。。恋人、ですか?」


どこかからかいを含むようににまぁっと笑って花梨は尋ねてみる。


「ん〜、、、そうだったらいいんだけどねっ!」


とはいえ流石あじさいの方が歳上である。

特に気にする様子もなくにこりと笑ってそう返し、言葉をつづけた。


「風華ちゃんは恋人いるの?」


「へ!?い、いまいまいまいませせせせせん!」


そう聞かれて思わず紫苑の顔が浮かんだせいだろうか。

花梨は慌てて否定の言葉を口にした。


「その反応は思う人がいるのね!あ、もしかして一緒にきたっていう師匠さんかしら?」


そう言ってふふっとあじさいは微笑んだ。


「え、えと、えっと。。。」


言われて花梨の頭の中は、紫苑の笑みと学校での友人たちとの会話がぐるぐると周り出す。


「その反応はまんざらでもないってところかしら?」


まるで妹を見守る姉のようにふふっと笑ってあじさいは尋ねてみる。

花梨はその言葉に顔を赤くしながらもわたわたと口を開いた。


「あ、あじさいさんはアタックしないんですか!?」


どうにか自分のことから話題を逸らしたいと言うことだろう。


「風華ちゃんみたいに自由に恋愛できればいいんだけれどね!風華ちゃん、思う人がいるなら早いうちに伝える方がいいわよ?伝えられるうちにね」


どこか意味深な言葉を交えつつ、あじさいはにこりと微笑んだ。


「伝えられるうちに。。。」


「もし彼のことを少しでも思っているなら観光なんてチャンスだもの」


あじさいの言葉を反芻する。

そんな花梨にあじさいはにこりとしてそう返す。

その姿は花梨にとってはあぢさいと重なって見えたのか、今は自分の言葉が届かないあぢさいの姿が浮かんだのか。


「お姉ちゃん。。。」


ぽつりとそう呟いていた。


「おねえちゃん?」


花梨の言葉をおうむ返しに口にしながらあじさいは首を傾げた。


「私、あぢさいっていう元作家のお姉ちゃんがいるんです。」


「あら?私と同じ名前なのね!作家さんだなんて凄いわ」


キラキラとした顔で笑みを向けるあじさいに少し苦笑いのような笑みを浮かべて花梨は話し始めた。

大胆不敵で心配だけど、笑顔の絶えなかった大好きな姉が、あるゲームのβテスト事件に巻き込まれ、心身共に半植物人間となってしまったことをキッカケに、「スノウちゃん」と姉が時折呟く「人物」を探すという使命と、大切な存在を失うような自分と同じ境遇の人を1人でも救いたいという気持ちでボランティア活動などに参加していること。

そして現在は姉のお見舞い中に出会った紫苑と共によく行動をしていることなど。


「そうだったの、、、」


まるで聞いてはいけないことを書いてしまったと言うような顔であじさいはしゅんとしている。

花梨は自分や紫苑が探偵だと言うことは伏せた上で説明をする。

そしてそれをどう説明したものか。

悩んだ末、自分は踊り手生主をしていて紫苑はダンスの師匠だと説明を付け加える。


「そうなのね!それじゃ、踊る姿はかっこいいんでしょうね」


花梨と紫苑が踊る姿でも想像したのか、あじさいはそう言ってまたにこにこと微笑んだ。


「ごめんなさい、重い話しちゃって」


そう言いながら花梨は紫苑が踊るとどうなるだろうと無意識に想像が膨らんだ。

しかしその脳内では紫苑がキレッキレのダンスを踊って花梨に微笑む。

実際に躍る姿を見たことはないのだが、これはこれでとほんわかとした気持ちになる。


「いいのよ、私も聞いてしまったし同じ名前だから思い出させてしまったんでしょうね。なんだかごめんなさいね」


そう言ってあじさいは苦笑いを浮かべた。

そんな話をしていると注文した料理が次々に運ばれてくる。


「お姉ちゃんとあじさいさん、雰囲気もにてて。えへへ。」


「可愛い風華ちゃんのお姉さんだもの。きっと可愛い人なんでしょうね。さぁ、食べましょ」


あじさいの言葉で二人は食事を始めたのだが、、、

花梨はウキウキした気分になってしまったのだろう。

喉に詰まらせて、そのせいで飲み物に手が当たりワンピースが汚れてしまった。


「つめたっ」


「わわっ!風華ちゃん大丈夫?!」


「ごめんなさい、この話、まだ自分でも信じれなくて、ちょっと手が震えちゃいました」


とりあえず白いワンピースにシミが残らないようにとあじさいが手早く処置をする。

手慣れているのか、ジュースの色は綺麗に拭き取られ乾いても色は残っていないだろう。


「ちょっと冷たいかもしれないけれど外は暖かいからすぐ乾くわよ」


一通り処置を終えるとあじさいは笑って花梨にそう言った。

そう言われて花梨はほっと胸を撫で下ろした。








一方その頃、紫苑は食事を終え街へと繰り出した。

そして辺りを見渡してみる。

都市部は最近できたらしく、どの建物もまだ新しいようだ。

元々はなかったようだが、多分観光客向けに開発されたと言う感じなのだろう。

そのままふらふらと街の中を歩いてみるが、空いていない店があるのが分かる。

店の前には『本日店休日』の張り紙があった。

ショッピングモールもどうやら今日は休みのようだ。


「水曜日が休日なのかぁ」


紫苑は店休日なのは祭りのせいなのではないかとチラシのことを思い出す。

その準備のために休みなのでは、と。

紫苑はグルリと街を見て回るとホテルの前に着いた。

すると、紫苑はどこからか視線を感じ、その方向を振り向く。

そして、ホテルの出入り口から紫苑をみている白髪赤眼の女の子と目が合った。

女の子は目が合うと逃げるようにホテルの中へと走り去って行く。

それを追うように紫苑はホテルに入り辺りを見渡すがそこに少女の姿はない。

紫苑はひとまずフロントの女性に話しかけ、少女を見なかったかと尋ねてみることにした。


「みどりちゃんならさっきここに来たけれどもう出て行ったよ」


その言葉にお礼を言って紫苑はホテルを出る。


(なにか悪寒がする…)


「くちゅんっ。」


紫苑がそう思った瞬間、花梨がくしゃみをしたことを二人は知らない。

が、これが以心伝心というものかもしれないが本人達には知り得ないことである。

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