滞在1日目〜中編〜

時刻は17時を回った頃。

紅波の操るフェリーは緩やかに島へと到着した。


「さぁついたぞ!ここがみぎわ島だ!!」


フェリーを停泊させると紅波はどこか誇らしげな顔で旅行者達へ告げた。

まるでバス停のような待合所があるだけではあるが、この島ではそれで十分なのであろう。

その先には小型バスが二台用意されていた。

一つはこの島の住民が住む“阿賀村”にある旅館行きでもう一つは“拝頭町”にあるホテル行きのようだった。

そしてそのバスの先には一つの大きめな立て看板が置かれていた。

それはパンフレットにあった簡易的な地図を拡大したようなもののようだ。

それに目を止めたのは紫苑、花梨、彼は誰だけのようだった。


「みぎわ島へようこそ。あちらが旅館行き、こちらがホテル行きです。事前にご予約頂いていると思うのでご予約された方にお乗りください。」


フェリーを降りると出迎えてくれた男性がにこりとして旅行者達にそう告げた。

その声に促されるように紫苑、花梨、彼は誰は荷物を手に持ちホテル行きのバスへと向かう。

その途中、それぞれがチラリと他の旅行者へ目線を向ける。

三原は相変わらず薬師丸を宥めながら旅館行きのバスに乗り込んでいた。

田中と葉山は周りを気にも止めずにホテル行きのバスへと乗り込んでいる。

それほど広くない島なのだからどこかしらで会うこともあるだろう。

そんなことを思いながらもバスへと乗り込んだ。



「本日は拝頭ホテルへのご利用、ありがとうございます。私は支配人を務めております“雲母坂れんげ”(きららざかれんげ)と申します。」


バスが緩やかに動き始めると、一人の女性がそう挨拶を始めた。

そして、島の自然をゆっくり楽しんでほしいという理由から島での移動手段は送迎バス以外ではレンタル自転車のみとなっていることを告げる。

朝食は好きな時間に食券を購入してもらい注文する形式であり、夕食はブッフェを用意していることや男性用の風呂が2階、女性用の風呂が3階にあることなどを説明した。


バスは20分ほど走るととある建物の駐車場らしきところへ入っていく。

おそらくここがホテルなのであろう。


「皆様、お疲れ様でした。フロントへとご案内致しますのでそちらでチェックインをして頂きお部屋の鍵をお受け取りください。」


雲母坂はそうにこやかに締め括るとサッとバスを降りた。

それぞれが自分の荷物を手にバスを降りて行く。

パッと見たところ、まだ新建物のようだ。

とはいえ、観光ツアーでみぎわ島の名前を聞くようになったのは10年ほど前からである。

おそらくその間に建てられた物なのであろう。


「それでは皆様、本日より皆様が快適にお過ごし頂ける様に精一杯勤めさせて頂きます。皆様はご承知頂いていることかとは思いますがこの島のルールは守って頂きますようお願い致します。どうぞ、素敵な1週間をお過ごし下さい」


チェックインを済ませた5人を集めると、雲母坂はそう言ってにこやかに笑った。

島のルールとはおそらくパンフレットに記載されていたことを指すのであろう。


・自然を荒らさない事

・日が落ちた後、日が登る前は出歩かない事

・つぅーつぅー洞にある神域へは立ち入らない事


*守れない観光者の方には神罰が下る事でしょう。


最後の一文が脅し文句の様で印象的だが、特にそれに関する説明などはない。

そしてそれを気にしているものはおそらくこの中で紫苑と彼は誰だけなのではないだろうか。

それはさておき、雲母坂のその一言が解散の合図となって各々割り当てられた部屋へと向かった。

そんな中、彼は誰は雲母坂の元へと向かう。


「日が落ちたあと、とは具体的には何時?」

「そうね、もうこれくらい日が傾いていると危険なので、、、今日はもう外に出ずにホテルでゆっくり過ごされてくださいね」


少し悩んだあと、雲母坂は彼は誰の質問にそう返す。

チラリと彼は誰が外に目を向けると薄暗い夕焼け空が広がっている様だった。


「ありがとう」


彼は誰は笑顔で礼を告げると自分に割り当てられた部屋へと向かった。

途中、喫煙所と張り紙がされた小部屋を見つける。

最近はどこでても吸えるというわけではないため、その辺りのチェックも怠らない。


一方その頃、紫苑と花梨は並んで二階の部屋へと向かっていた。


「師匠、お風呂入ってから夕食いきませんか?」


2時間潮風に当たっていたのだ。

花梨は片手で髪を弄りながらそう問いかけた。

身だしなみには気を遣っている彼女には潮風によってベタつく髪が気になるところなのだろう。

勿論、紫苑も気にならないわけではないが。


「そうしようか」


そんな様子が微笑ましいというかの様にふっと微笑み紫苑は返事を返す。

そんな会話を交わしているうちに二人は部屋の前へとたどり着いた。


「それじゃ、また後で」

「はいっ!」


そう言葉を交わしたのち、2人は部屋へと入っていった。

2人が部屋に入ったあと、少し遅れて彼は誰も割り当てられた部屋へとやってくる。


(ふぅん・・・)


ぐるりと辺りを見渡した後、受け取った鍵で扉を開ける。

そしてふと、何かを考える様に立ち止まったかと思うとスタスタと部屋の中へと入っていった。

入れ違いで部屋から出てきたのは紫苑である。

花梨はまだ入浴の準備でもしているのであろう。

チラリと花梨の部屋の扉に目をやった後、入浴場へと向かっていった。

ちょうどその頃、花梨が部屋から出て3階の入浴場へと鼻歌まじりにご機嫌な様子で向かっていく。

花梨が3階へと続く階段を登る頃に彼は誰が部屋から出てきた。

そして部屋の鍵をかける時に一枚の白い紙を扉へと挟む。


(ま、用心するに越したことはないからね)


そしてゆったりとした足取りで3階へと向かった。



「おや、お風呂かい?」


3階に着くと1人の女性がニコニコとして話しかけてきた。

女性が言うには、お風呂を利用するいる人がいるであろう時間帯は自分の様に女性が見張りのような役目をするそうだ。

覗きなどのトラブル防止のためだという。


「あたしがしっかり見張っているからね、のんびり入っておいで」


女性がそう言ったとき、3階の一室の扉が開き、中から田中が姿を表した。

疲れているのか、どこかぼんやりとした様子であるが、手には入浴のための道具が握られていた。


「あ、田中さん、先程ぶりです」


花梨は部屋から出てきた田中の姿に気づくとにこりとして声をかけた。


「あら・・・」


声をかけられてようやく花梨に気付いたらしい田中は少し何かを考えた後、何を思ったのかくるりと花梨に背を向け部屋へと戻ってしまった。


「………??」


その様子を見た花梨は首を傾げる。

入浴の道具を持っていたのだから自分と同じようにお風呂に入ろうとしていたようだが・・・忘れたのでもしたのだろうか。

そんな感じで田中の消えた扉を見つめていた。


(彼女は、、、一応覚えておこう)


そこにちょうどやってきた彼は誰は声をかけるわけでもなくその様子を観察していた。

そして彼は誰はふと、フェリーでの出来事を思い出す。

意識して聞いていたわけではないが、確かあの時女の子は女性に煙たがられている様子だった。

だからこその行動なのではないか、と。


「どうしたんだろー。田中さん」

「何かあったのかい?」


扉を見つめて花梨がぽつりと呟いた時、彼は誰がそう声をかけるものだから、花梨は驚いたように振り向きどこか戸惑いの表情を見せた。


「え? えっと。。。あ、貴方は。。。?」

「失礼。かはたれだ」


戸惑いの声で問いかける花梨に彼は誰はどこか演技がかったようなお辞儀をして見せるとにこりと笑った。


「かはたれさん。。。珍しい名字ですね。私はかりん かざはなです」


その笑顔に落ち着きを取り戻したのか、花梨もにこりと笑って自己紹介をする。


「彼女、、、田中さんというのか。喧嘩でもしたのかい?」


彼は誰の問いかけに花梨の笑顔は苦笑いのようなものへと変わる。

喧嘩、をしたわけではないが彼女自身思い当たることがないわけではない。


「いえ、船でちょっとぶつかってしまって。でも喧嘩や言い争いとかにはなってないのですが。。。」


その声には戸惑いの色が見えた。

花梨の言うように、そんなことがあったと言うことは彼は誰も先程思い出したところではある。

だが、あれだけのことで避けるというのもなんだか腑に落ちないことだ。


「そうか。そこまででもないだろうに」


何か他に理由があるのではないだろうかと彼は誰は思う。

けれどもあの時、特に注意深く田中と花梨の様子を見ていたわけではない彼は誰には思い当たることもなかった。


「あ、師匠待たせちゃう、それではお先に!また!」


ふと、花梨は思い出したかのようにそういうと彼は誰に可愛らしくぺこりとお礼をした。


「ひきとめてすまないね」


彼は誰も今から入るところではあったが、まぁいいかと笑顔でそう返した。


(忙しない子だな)


容姿も相まって愛らしくはあるが。

パタパタと中へ入っていく花梨の後ろ姿を眺めながら彼は誰はクスリと笑った。



一方その頃、2階の男性用の風呂場へと向かった紫苑は先客である葉山と出会った。

フェリーでは葉山はずっと喫煙場所へいたため、対面するのはこれが初めてと言えなくもない。


「おや、あなたは一緒の船に乗っていた方ですね」

「あー、、、あぁ、そうですね」


紫苑はにこりと営業ススマイルを浮かべ、声をかける。

どこかぼんやりとした様子ではあるが、葉山は少し面倒くさそうに返事を返した。

互いにそれ以上特に話すこともなく、以降は無言であった。


(風華さんは・・・もう暫くかかるだろうな)


女性の入浴時間というものは1時間とみても少ない方だろう。

とはいえ、以前旅行に行った時も長風呂の様子だったなと紫苑は思い出す。

それまでの時間、何をして潰すのか。

紫苑は少し考えた後、一階へと降りていった。


(見張りだろうか・・・)


一階に降りた紫苑の耳に、人の話す声が聞こえてきた。

どうやら2、3人で何やら雑談を話しているのか、時折笑い声も聞こえてくる。


(夜は外に出られないんだったな・・・)


そう思いつつも声のする方へと向かってみる。

入り口に着くと、そこには見知った男性の姿があった。

先ほどフェリーに乗っていた三春である。


「こんばんは、夜は外に出られないんでしたっけ」


紫苑はにこやかな笑みを浮かべてそう三春に声をかける。

そしてチラリとフロントに目をやると、島民と思われる女性が座ってる。

先程まで三春と話していたのはこの女性なのであろう。


「もうこの時間は外を出歩けないよ」


紫苑の問いかけに三春は頷いてそう返した。

紅波ほどではないが、三春も筋肉質な体つきをしている。

仮にこれが外へ出ようとするものに対しての見張りだとするのならば、その体付きだけで言えば同じように鍛えているものでなければ強行突破も無理そうである。


「パンフレットに記載されていた天罰というのはこの島の言い伝えですか?」

「まぁ、そういう感じだな」


何気ない風を装って尋ねる紫苑に三春は特に怪しむ様子もなくニカッと笑い答えてくれる。

チラリと様子を見たフロントの女性はそのやりとりをニコニコとしながら見守っている様子だ。


「なるほど、朝はどのくらいからなら大丈夫ですか?」

「朝7時くらいならもう外に出ても大丈夫だ」


このくらいの質問になら慣れているのだろうか。

三春は続けて質問をする紫苑に対し、嫌な顔一つ見せずに笑顔で答えた。

これほどスムーズに答えが返ってくるのならば紫苑の性格上、色々と質問してみたいところではある。

しかし、それ以上はひとまず口にしないことにした。


「ありがとうございます」


にこりと笑みを浮かべて礼を言うと紫苑はそのまま地下へと向かうようだ。

花梨がやってくるまではきっとまだ時間はあることだろう。

その途中、エレベーターに目を止めた紫苑だったがそのまま通り過ぎて階段を使うことにした。


「おや、師匠」


ちょうど紫苑が階段のところまでやってきた頃、2階から降りてきた誰かがそう声をかけた。

声のした方を見ると、風呂上がりなのであろう。

ラフな格好をした彼は誰がいた。


「あなたを弟子にした覚えははないですが…?」


少し苦笑いのような笑みで紫苑は言葉を返した。

それと同時に少しの警戒心が紫苑の中に生まれる。

勿論、顔に覚えはあった。

那覇空港からここまで、一緒だったのだ。

だが、言葉を交わすのはこれが初めてである。

自分が知る限り、自分のことを師匠と呼ぶのは共にこの地にやってきた花梨だけではあるが。


「花梨さんのお師匠、だろう?」

「よく分かりましたね」


紫苑の返しに彼は誰はふふっと笑みを返す。

職業柄、相手の表情から感情や思考を読み解くのは得意な紫苑である。

が、彼は誰の方がどうやら一枚上手のようだ。


(この人、表情が読めないな…こちらの情報を知っているあたり何かそういう職業についているのだろうか)


紫苑のその考えは当たらずとも遠からずではあるが特定するまでに至ることはなかった。

そして彼は誰も勿論、紫苑と同様に相手の心情を読み解くのは得意とするところである。

紫苑のポーカーフェイスが思わず崩れてしまっていたのであろう。

彼は誰を怪しみ、そのような考えを抱いていることは彼は誰には容易に知ることができた。


「先ほど彼女にあったのでね」


悩む様子を見るのも楽しいものだがと思いつつも彼は誰は紫苑の問いかけにふふふと笑いながら返した。

それを聞いた紫苑はどこかスッキリした顔で笑みを浮かべる。


「なるほど、知っているかもしれないですが僕は紫苑、よろしくね」

「かはたれだ。よろしく」


彼は誰が手を差し出すと、紫苑もそれに答えた。

その時、お互いあることに気がつく。

彼は誰にとっては仕事柄ではあるが、この手は拳銃の扱いに慣れている手である。

彼は誰から見て、紫苑が同業者だとは思えないが。

どちらかと言えば、机に向かって何かをすらことが多い職業。

けれども、勘は鋭そうではあるし察しもよさそうである。

警察のように鍛えている風には見えないが。

その点から挙げるならば探偵、と言ったところだろうか。


「デスクワークばかりじゃいけないよ」


彼は誰はにこりと笑ってそう言った。

その言葉にやや複雑そうな顔をしながらも紫苑は笑顔で答える。


「外に出ることも意外と多いですよ」


紫苑がそう答えた時、彼は誰は誰かが階段を降りてくる音を聞いた。

自分達以外にはあと3人泊まってはいるが。


「うわさの彼女がおりてくるよ」


きっとこの足音は花梨のものだろう。

彼は誰はそう思い、にこりと笑ってみせた。

彼は誰の読み通り、階段を降りてきたのは花梨だ。


「あれ?ここで何してるんです? 師匠、かはたれさん」


キョトンとした顔で花梨は尋ねる。


「やあ、来たね」


紫苑はいつもの笑顔を花梨に向けてそう口を開いた。


「さっきぶりだね」


彼は誰も振り返り、笑顔で花梨にそう言葉を投げかける。

先程までこの2人が互いを探り合っていたことなど花梨には予想できないことだろう。

潮風でべたついた体がさっぱりしたことと、程よく暖まった体にご満悦といったところだろうから。


「風華さん、彼は誰さん。一緒に食事でもどうだろう?」


不意に紫苑がそう提案する。

そもそも、彼は誰もこれから食事をしようとは思っていたところだ。

それに、仕事の時のように急いで済ませる理由もないためそれもいいかとふと思う。


「ご一緒しよう」


紫苑の提案ににこりと笑みを浮かべて返す。


「あ、お腹すきました!いきたいです!」


まるで先程まで空腹を忘れていたかのように花梨がニコニコとしながら答える。

意見が出揃ったところで3人は他愛もない話をしながらも地下にあるというレストランへと向かった。




「わぁ〜!!!」


レストランに着くと、雲母坂が言っていたように多種多様の料理が並べられていて5人がくるのを待ち侘びているかのようだ。


「えんがわ!私えんがわ好きなんです!❤️」


お皿を手に取ると、めざとく見つけた花梨がそう言いながらお目当てのもののところへと駆けて行く。


「バラムツとは珍しい」


紫苑はそう言いながらも刺身や寿司やポテサラといったたくさんの種類を少しずつ皿へと運んでいく。

その主なものは肉ばかりではあるが。

その様子を微笑ましそうに見つめつつも彼は誰はにしんを皿に乗せ、それから目につくものを適当に皿へと運んだ。

そうして3人は同じ席につき、雑談をしながらも食事を始めるとそこへ葉山がやってきた。

3人にチラリと視線を送り、店内を見渡すとささっと料理を選び3人から少し離れた席を選ぶ。

そして黙々と食事を始めた。

葉山が食事を始めた頃に今度は田中がやってきた。

騒がしい場所が嫌いなのか、賑わう3人をみて僅かに眉をひそめたことは誰も知らない。

田中も目的のものをさっさと皿に乗せると空いている席へと座り黙々と食事を始めた。


(おや、彼女は・・・)


ふと、紫苑は田中の姿を目に留めた。

そういえばフェリーで花梨が彼女と話をしていたなと思い出す。

紫苑は2人に断って席を立つと、田中の元へと向かった。


「こんばんは、どうやら船で弟子がご迷惑をかけたようで」


相変わらず営業スマイルを浮かべて声をかけた。

気付いた田中は箸を置き、ふふっと笑みを浮かべてこう返す。


「あら、、、。別に何もないわよ」


そう言って田中は席を進めてくる。

どうもとにこやかに笑みを浮かべて紫苑は勧められた席へと座った。


「そういえば聞いていなかったのですが、お名前を聞いてみても?」

「そうね、私は名刺を頂いたものね。私は田中幸子よ」


紫苑の問いかけにふふっと笑って田中は答えた。

その笑みにどこか含みのようなものを感じる。

もしかしなくとも偽名なのではという考えが紫苑の中で浮かんだ。


「僕はそこまで調べていないのですが、この島のおすすめスポットとか知っていたりしますか?」


疑問が浮んだとはいえ、それを口にすることは避けた。

まずは相手の人柄を知ること。

調査の上ではまずすべきことである。

それを知った上で、どのように接するのか、またどのようにして情報を聞き出すのか。

そしてそれとは別に紫苑の中の好奇心や探究心といったものも疼いていた。


「どうかしら?私は初めてここにきたからパンフレットに載っている情報くらいしか知らないわ」


ふっと笑って田中は答える。

確かに、今人気の島へそう何度も訪れることができる人は少ないかもしれない。


「結構長く滞在するので、もしかしたらパンフレットに乗っていない隠れスポットとかあるかもしれませんねー」

「そうね、あるかもしれないわね」


紫苑の言葉に田中はまたはふふっと笑みを漏らす。

花梨のことがあった為に悪い印象を持たれているかもしれないと杞憂したがそうでもないようだ。

そのことにはどこかホッとしている。

実際に、田中としては紫苑に悪い印象を抱いているわけではないのだが、紫苑本人は気づいていない様子だ。


「あ、ししょー、これ美味しいですよ」


そんな時、席から花梨がそう声をかけた。

好きなもの、美味しいものを食べて上機嫌なのだろう。

声に紫苑が振り向くと満面の笑みを向けている。


「ねんねちゃんが呼んでいるわよ?」


ふっと笑みを漏らして田中がそう言った。

紫苑は苦笑いを浮かべて席を立つと、元いた席へと戻って行く。

そんな賑やかな3人の横をさっさと食事を済ませたらしい葉山が通り過ぎて行く。

彼は誰はその姿をチラリと見ていたがそのことに葉山が気づく素振りはなかった。

花梨はというと、ただひたすらに大好物のえんがわをモリモリと食べ、ご満悦の様子だ。


「僕もえんがわを。食感が絶妙だね」

「それじゃ、僕も。うん、確かに美味しいね」


それに釣られたように紫苑と彼は誰もえんがわを口にして絶賛の声をあげた。

尚もわいわいと食事をする3人の横を今度は田中が通り過ぎて行く。

どうやら食事を終えたらしい。

田中の部屋は三階にあるためか、エレベーターで真っ直ぐ部屋へと帰るようだ。


「お腹いっぱいです。。。」


ひとしきり食べた後に花梨は満足そうにそう呟いた。

けれどもまだデザートを食べる気ではいる様子だ。

そんな花梨を微笑ましく見ながら紫苑は彼は誰に向き直り口を開いた。


「彼は誰さんは観光で?」

「そんなところかなあ。離島に来るくらいだ、ふたりもそうだろう?」


彼は誰は質問に答えながらもにっこりと微笑みそう返す。


「そうですね」


紫苑もにこりとして答えたが、実際のところお互い腹の探り合いと言ったところだろうか。

彼は誰としては例の記憶がなくなる云々の話をこの2人が知っているのかどうかと言ったところではあるし、紫苑としては銃を扱える職業の者がなぜこの島にといったところだろうか。

勿論、職業に関わらず休暇でといえばそれまでなのだが。


「ふたりは彼らをどう見る?」

「彼ら?」


不意に彼は誰が声を潜めて訪ねた者だから、釣られて紫苑も声を潜めた。

そして突然の問いかけに意図がわからないというかのように花梨は首を傾げる。


「席を立った彼らのことさ。あなた方、人を見る目はあるようだしね」


彼は誰はニヤリと笑みを浮かべた。

その問いかけに紫苑の脳裏に田中と葉山の姿が浮かぶ。

葉山とは先程、風呂場で一言交わしはした。

が、特にこれといった印象はない。


「男の人の方は普通に観光にきたのかなと、修道服の彼女は…観光に来るには珍しい服だなぁと思ってますね」


素直に紫苑がそう告げると、それを聞いた花梨はキョトンとした顔をした。


「観光で来られたのではないですか?」


首を傾げてそう問いかける。

確かに観光目的の者しか島に入れないことにはなっているが。

彼は誰から見ればまだ交わした言葉の少ない花梨はただの元気な女子高生に見えたのだろう。

花梨の言葉にふふっと笑みを浮かべた。

そして紫苑に向き直りこう口を開く。


「やっぱり、気になるよね」


そう言ってニヤリと笑った。


「黄色というのも珍しいですよねー。変わった宗派の方でしょうか」


紫苑に特に思いつくところはないらしく、うーんと悩んでいる様子だ。

宗派、と言われて彼は誰はあぁそうかと何かを思い出したようだ。

以前、何かの事件で参考人に呼ばれた者がやはり同じように黄色の服を纏っていた。

言われてみればあの格好は『銀の黄昏』という宗教の制服のような、独特の格好だと気づく。


「大きい宗教法人かもね」


特にその名を出すことなく彼は誰はそう告げる。

今、特に伝える必要もないだろうという判断からだ。


「意外と有名な所なのですか?」


その言葉に、紫苑は彼は誰が何か心当たりがあると思ったのだろう。

そう聞き返すが、彼は誰はまぁねと言ってにこりと笑うだけだった。


「どちらも含みはありそうだね」


話題の対象を2人に戻すかのように彼は誰はそう口にした。

特に事件が起こっているわけでも、勧誘を受けたわけでもないのだ。

あの宗教団体について掘り下げて話す意味はないだろう。


「なるほど」


その意図を感じ取ったのか、紫苑はそう言って頷いた。

自身の中で何かを自己完結させたのかもしれない。

そして不意に何かを思い出したような顔をして口を開いた。


「そういえば、夜は外ては行けないというのは、掟のようなものらしいですね」

「郷土信仰みたいなものなのかな」


それを聞いてそれまでお腹いっぱいと言いながらも尚も食事に夢中だった花梨が口を開いた。


「外にでなかったら天罰は受けないってことですよね」

「罰って何をを指すんだろうね」


その言葉に彼は誰が少し笑みを浮かべて答える。

神域、神罰、記憶喪失、巨大なコウモリ。

記憶していることが彼は誰の脳内に浮かんだが、今のところそれらを繋ぐ糸は見つかっていない。


「天罰と言うと雷のイメージですが…」


うーんと紫苑は何かを考えている様子だ。

それを見て彼は誰はふっと笑みを漏らす。


「ふたりは神を信じるのかな?」


彼は誰のその言葉に花梨はピクリと動きを止めた。


「キリスト教や仏教のようなものがそのままいるとは思っていません」


「大仰なものではないけど、密教なんかがあるのかもね」


「なるほど、お詳しいのですね」


2人のそんな会話が耳に入っているのかいないのか、花梨は少し俯いてぽつりと呟くように言葉を漏らした。


「神様は、いるといいな。」


そういうと顔を上げてにこりと笑った。

しかし、彼は誰にはその笑顔がどこか泣き出しそうにも感じられた。

泣くことを我慢して笑顔を見せているような、そんな感じだ。


「まずいこと、聞いちゃったかな」


彼は誰のその言葉に紫苑は苦笑いを漏らす。


「いえ、気にしないでください。風華さん、彼女なら、そのうち治るさ、きっとね」


紫苑の言葉に花梨はコクリと頷いてまた食事を再開した。

3人の間に少しの沈黙が流れる。

その沈黙を破ったのは彼は誰であった。


「怪しいといえば。この島は取材禁止のはずだよね」


「取材はともかく、研究者や警察も立ち入り禁止とは珍しいですね」


「探偵とかもダメなんでしょうか?」


彼は誰の言葉に頷きながら紫苑は答える。

そして、自分の身の上を心配してなのか花梨がぽつりと不安そうにそう漏らした。


「そうだね、探偵のおふたりさま」


彼は誰は小声でそういうと花梨にウインクをした。

その言葉に花梨は驚いている様子ではあったが紫苑は薄々そう思われていると思ったのだろう。

苦笑いを浮かべているだけだった。


「何か機密情報があるような気はしています」


そう言って紫苑はメモ帳を取り出して何かをサラサラと書くとそっと彼は誰に差し出した。


ー そうですね、警察の方 ー


その一文と共に恐らく紫苑のものであろう連絡先が記載されていた。

それを目にした彼は誰は紫苑を見てニヤリと笑うと紫苑はにっこりと笑い返した。

そして彼は誰は食器を手に取るふりをしてそのメモを回収する。


「???」


そんな2人の様子を何があったのかわからないという顔で花梨は見つめている。


「彼は誰さんを見ていると勉強になるかもね」


そんな弟子の様子に紫苑は笑みを浮かべてそう投げかける。


「男性の二人組も、ね」


「そういえば、教授みたいな方とそのお付の人は向こうの旅館に泊まっているようですね」


彼は誰が何かを思っているのだろうと言うことは紫苑にはそれとなく伝わったのであろう。

そう答えるとなるほどと彼は誰は頷いた。


(通じるか、なるほどね)


流石は探偵、と彼は誰はニヤリとする。

こちらが何かを知りたいという意図は伝わるようだ。


「旅館もあったね。おふたりはなぜホテルに?」


この問いは彼は誰としては特に意味はなかった。

純粋な疑問とでも言うのだろうか。

それには花梨が笑顔で答えた。


「知り合いの方にチケットを貰って遊びに来ました!」


「高いところが好きでね」


紫苑も特に何を感じたわけでもないようでそう答える。


「チケットをくれたのか、いい人だね」


花梨の答えに彼は誰はにこりとして返す。

チケットを取ることは難しいだろうに、奇特な人もいるもんだなと言った感じである。

とはいえ、自分の上司がどうやって手に入れたのかは知らないわけだが。


「旅情気分ということなら、あちらの方がそれらしいとも思うけどね」


「迷ったのですけど、風華さんに合わせたのですよ」


彼は誰が疑問を口にすると、紫苑はにこりとして答える。

それは納得といった感じだ。

これまでみたところ、2人の関係はそんな感じで成り立っているかもしれないと言うことは彼は誰には容易に想像できることではある。


「旅館よりも、ホテルのほうがセキュリティ的にいいかなーって」


「あはは、確かにね」


花梨の言葉に思わず吹き出すように彼は誰は笑った。

少しずつ花梨の性格が見えてきたと言うところだろうか。

年相応な行動をするものの、そういったものの見方をできるところもあるらしい。

師匠と弟子、探偵の弟子だからこそだろうか。


「話も尽きたね。では、また」


その後、何気ない雑談を交わし区切りがついた頃に彼は誰はそう言って立ち上がった。


「夜景が綺麗らしいので、見てみるといいかもしれませんね」


「ぜひ見てみるよ」


紫苑の言葉に彼は誰はそう答えると、空の食器を返却口へと返し、レストランを後にした。


「さて、僕ももう部屋に戻るけれど」


「あ、ししょー、私もいきたいです!」


レストランに残っているのは紫苑と花梨のみとなった。

そして食事を終えた紫苑がそう告げると花梨も慌ててそう言った。

デザートの残りの一口をいそいそと口に放り込むと空の食器を積み上げて紫苑の後を追いかける。

そして2人も部屋へと帰って行くのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る