ハッピーニューベイビー

只の葦

ハッピーニューベイビー

「おめでとうございます。元気な女の子ですよ。」


医者の第一声はそれだった。元気でなくては話にならないだろと内心思いながら、形だけの感謝の言葉を口にして医者を追っ払う。


早く我が子に会いたい。


我が子が待つ部屋のドアに手をかけたところで携帯が鳴った。


「病院では電源を切ってください。」


近くにいた看護師が即座に反応する。


どいつもこいつも邪魔をしやがる。まあいい、これまで散々待たされたのだ。電話の1本くらい気にする事はない。


場所を変えて携帯を確認すると、案の定妻からだった。


「そろそろ産まれた?」


「ちょうど今産まれたところだよ。」


「ホントに!?あなた抜け駆けしてないでしょうね。今仕事切り上げたところだから、私が行くまで待っててよね。」




はいはい、待ちますとも、待ちますとも。

まったく鬱陶しい限りだ。彼女が一流の整形外科医なんぞでは無かったら、一緒になる事などなかっただろう。


何もかも我が子の為だ。彼女と結婚したのも、長年勤めた仕事と住み慣れた町を捨ててまでこの都心部へやってきたのも、全ては我が子の為だ。昼夜を問わず働き続け、節約に節約を重ねて貯めた有り金の殆どをつぎ込んだのだ。どれ程素晴らしい我が子が産まれたのか、胸の高鳴りが抑えられない。


1時間ほど経ち、いい加減痺れを切らしそうなところで妻がやってきた。


「待たせちゃってごめんね。タクシー捕まらなくて。」


「いいさ、待つのには慣れてる。そんなことより、」


「そうね、私達のベイビーに会いに行きましょ。」



妻を待っている間に何度触ったか分からないドアノブに手を伸ばす。


部屋の中は薄ぼんやりとした僅かな光しか感じられなかった。照明の類は無いようだ。唯一光を放っているのは、中央に置かれた水槽だ。幅は私が手を広げたくらいで、高さは2メートル半ほどの円柱の水槽だった。中は人工の羊水で満たされ、そこで僅かに浮き沈みしながら眠っているのが愛しい我が子だ。


「ああ、ああ、あははは、あは。」


感動のあまりまともに言葉を発することが出来ないでいる私の傍らでは、妻が嬉し涙を流しながら水槽を見つめている。我が子の誕生というこの感動を共有出来たことは素晴らしいが、この子さえ産まれれば彼女は最早不要だ。この子が完全な形で産まれてくるために必要なピースに過ぎない。




彼女には整形外科医としての才能を活かしてこの子の容姿をデザインして貰った。美しく可憐で、誰からも愛されるような、そんな子になるよう修正に修正を重ねて吟味した。時にはぶつかり合い、離婚の危機にも陥ったが、何とか無事に完成まで漕ぎ着けた。

私の役目は金を調達することだった。このニューベイビー計画には信じられない程の金がかかる。彼女の稼ぎと元々の私の稼ぎを合わせただけではとても足りなかった。だから給料はすこぶる良いが、人を人とも思わぬような、まるで奴隷にでもなったかのような仕事をやった。心と身体はとっくに限界を迎え、この子だけが私の支えとなっていた。


水槽のそばにあるタッチパネルの指示に従い羊水を排出し、素早く臍の緒を切り落とす。しかし泣き出したりはしない。ニューベイビーとして産まれたものは、みっともなく泣いたりはしないのだ。綺麗な布で我が子を包み、妻と共に部屋を出ていく。ついに私の悲願が叶ったのだ。




ニューベイビー計画が始まったのが今から30年前。格差や貧困、いじめや虐待などを原因とした苦しみから、子供たちを救おうという志の下計画された。

両親が子供の容姿と性格を決める事で虐待は激減した。能力に置いても平均値より遥かに高く設定される傾向にあるため、ニューベイビーは社会の中で確かな地位を獲得出来る。そのため、両親はその恩恵を受けることが出来るのだ。ニューベイビーの親であると言うだけで、ステータスにもなりうる。

金持ちはこぞってこの計画に参加し、ニューベイビーは一気に社会に溢れた。私のように金を持たぬ者は、台頭するニューベイビー達に仕事を奪われ続けるか、死にものぐるいで金をかき集め、ニューベイビーの親になるしかない。格差という問題は逆に大きくなったという批判の声も大きかった。しかしながら、社会全体にニューベイビーが広がるにつれてその声も徐々に小さくなっていった。社会が受け入れ始めたのだろう。




今までの私の人生はただ虚しいものだった。会社の上司に頭を下げ、取引先に頭を下げ、他人から顎で使われながら見下されながら生きてきた。最早生きてる意味などなかった。いっそ死のうかという時に目に入ったのがニューベイビー計画のCMだった。


「あなたも理想の子供と一緒に理想の人生を歩んでみませんか?」


確かそんなキャッチコピーだった気がする。どうせ死ぬつもりだったのだし、死んだ気になって1発逆転を狙って見たくなった。


早速翌日には会社を辞め、計画に参加するために都心部に引っ越した。街コンに参加しまくってデザイナーや芸術家と言った、美的センスが私よりも僅かでもありそうな人を口説いて回った。そんな行き当たりばったりの準備段階で、妻のような整形外科医を捕まえられたことは幸運としか言いようがない。運命が私を後押ししてくれている。あのCMを見た日から歯車が大きく回り始めている。やるしかない。私の生きがいはここにしかないのだ。


我が子だけが私の生きがいなのだ。




「ハッピーニューベイビー!!」


部屋を出るとそこには15人ほどの医者や看護師が集まっていた。その中央にいる小柄で可愛らしい看護師が大きな花束を差し出してきた。


「本当におめでとうございます。あなたも晴れてニューベイビーの創造者となりましたね。」


「ありがとうございます。ここまで苦労してきた甲斐があります。」


またしても形だけの返事をした。


しかしこの看護師、どこか変だ。変と言うか、違和感と言うか、ともかく何か歪みを感じる。顔は綺麗だし笑顔も素敵だ。ニューベイビー計画に携わっているということは相当に優秀なのだろう。天から二物も三物も与えられているのだろうな。だがなんだこの違和感は。よく見れば周りの医者たちに対しても同じ違和感を覚える。どいつもこいつも綺麗な顔立ちと、ぞっとするくらい良い笑顔だ。


「ハッピーニューベイビー!!」


「ハッピーニューベイビー!!」「ハッピーニューベイビー!!」


「ハッピーニューベイビー!!」「ハッピーニューベイビー!!」「ハッピーニューベイビー!!」「ハッピーニューベイビー!!」


「ハッピーニューベイビー!!」「ハッピーニューベイビー!!」「ハッピーニューベイビー!!」「ハッピーニューベイビー!!」「ハッピーニューベイビー!!」「ハッピーニューベイビー!!」「ハッピーニューベイビー!!」「ハッピーニューベイビー!!」



なんだこいつらは。気でも触れてしまったのか。やはり頭の出来がいい奴らは代わりにどこかがおかしくなるのだろうな。こんな奴らに構っている暇はない。この子と共に今日から新しい人生が始まるのだ。この可愛い寝顔を見ていると本当に心が満たされる。この子さえいれば後は何もいらない。寧ろ全てを与えてやりたくなる。


「ハッピーニューベイビー!!」


まだ言っているのか。いい加減にしろと言いかけたところで、声の方向が増えたことに気づく。


真横だ。


妻も一緒になって私に祝いの言葉を向けている。


「ハッピーニューベイビー!!」「ハッピーニューベイビー!!」「ハッピーニューベイビー!!」「ハッピーニューベイビー!!」「ハッピーニューベイビー!!」




ぞっとするような笑顔で。

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ハッピーニューベイビー 只の葦 @tadanoasi

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