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今回も、楽な仕事で在った。
攫(さら)った溝(どぶ)を、依頼主に引き渡して、幸四郎は金を受け取った。去ろうとする幸四郎の背に、山崎が声を掛ける。幸四郎はヤクザではない。あくまでも、ヤクザに雇われて仕事をしているだけだ。主な仕事の依頼は、山崎を介して行われる。又、仕事の依頼かと振り返ると、一枚の写真を渡された。其処には幸江の姿が、映っている。何故だか胸の中を、早鐘が打つ。在る種の衝動と、巫山戯(ふざけ)た感情を胸奥の奥底へと押し込める。
「良(え)ぇ女やろ?」
煙草を口元に運びながら、山崎は笑みを漏らした。今年三十を迎える此の男は、其の若さで既に若頭補佐の地位を得ている。
山崎に逆らう事は、斗神會を敵に回す事を意味している。
「其の女を攫って来て欲しいんやが、一つ問題が在る」
山崎は下卑た含み笑いを、浮かべている。
幸四郎は一言も発さずに、山崎の言葉を待った。
「堅気の人間で、何処におるんか解らんねん。お前にしか頼めん事や。報酬も弾まして貰うから、頼まれたらんかなぁ?」
正直な所を言えば、殺意にも似た怒りが心を満たしつつ在った。
死神に感情は不要だと、幸四郎は心を静めながら言下の内に頷いた。
「そうか、そうかぁ……。お前に任せとけば、安心やな。ほな、頼んどくで!」
絡み附く紫煙が、何故だか異様に気に障った。どうしようもなく、山崎を壊したく為っていた。其のにやけた面(つら)に渾身の拳を叩き込めば、前歯は全て圧(へ)し折れ、鼻骨は拉(ひしゃ)げる事だろう。どうにも、自分の感情の変化に、動揺している自分がいる。些細な事に苛立つ自分が、死神としての自分を殺そうとしている気がして、幸四郎は戸惑っている。
「任せといて下さい。三日も在れば、見付けて来ます」
心にも無い軽口を叩く自分を、滅茶苦茶に打(ぶ)ち壊して、殺してしまいたくなる。どうしようもなく、腹が立った。居ても立っても居られない感情が、胸億(きょうおく)の中で暴れ狂っている。幸江の居場所ならば、誰に聞かずとも知っている。お望みと在らば、今すぐにでも出向いて行って、三十分以内に攫って来る事も可能で在る。だけど何故だか、動けないでいる。
山崎に逆らえば、自分の立場が危うく為る事は明白で在る。
其れなのに幸四郎は、迷っている。知らず知らずの内に、三日と言う猶予を己に課している。本来ならば、直ぐにでも動いて幸江を攫ってくる局面で在った。そうする事で、幸江がどの様な目に遭うのかも、大体の察しが附いている。此れまでは感情を持たない死神が、男も女も老いも若きも問わずに、仕事と在らば問答無用で地獄へと突き落としてきた。其れなのに、幸四郎の心には迷いが生じている。
幸江への情念が、心の中で燻っているのだ。
過去に、女に惚れた事は在る。学生の自分は、人並みに恋をしてきた。其れなりの女に惚れ、其れなりの付き合いをしてきた。だけど其れは、遠き過去の話だ。今の自分は、感情を持たない死神(キラーマシン)だ。女に惚れるなどと謂う事は、在っては為らない事だ。況してや山崎が、物にしようとしている女だ。自分には選択の余地など、在りはしない。重畳(ちょうじょう)する想いを、捨て切れずにいる。自分が、自分ではなくなって往く。本来の自分を、思いだせと――心の中で、冷静な自分が囁く。感情を持たない死神が、幸江の胸に鋭利な刃を突き立てようとする感覚が、狂惜しい程に心を掻き乱している。
「自分は、此れで失礼します」
此の儘、山崎の近くに居れば、山崎を本当に殺しかねない殺意が蠢いている。
殺意と恋慕の双頭竜が、激しい衝動へと駆り立てている。死神の『領域』を、在っては為らない『感情』が犯して往く。
幸四郎は、幸江に恋をしていた。其れを認めてしまえば、平静では居られなくなる。
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