幸四郎は、斗神會に雇われていた。


 主な仕事は溝攫(どぶさら)いで在る。


 今回の依頼で攫(さら)う溝(どぶ)の名は、山寺誠一と謂う。歳は三十三で、未婚。斗神會のシマで、薬売りをしていた。捕まえれば、何処のルートを経由して来たかが解る。詰まりは、誰が裏で糸を引いているのかが解ると謂う事だ。けれどそんな事は、幸四郎に取っては関係なかった。依頼された通りに溝を攫って、半殺しの状態で斗神會の事務所に突き出さなければ為らない。此処で注意しなければ往けないのは、必ず半殺しにしなければ往けないと謂う事だ。殺しても、五体満足でも、駄目で在る。生かさず殺さずの半殺しが適切なのだ。


 捕まえた溝は、一つの例外も無く拷問に遭う。其の際に予め半殺しにしておけば、何かと都合が良いらしい。溝が元気だと、痛め附けるのに時間と労力が余分に掛かる。殺せば死人に口なしで在る。詰まる処は、依頼主は楽がしたいのだ。


 泉佐野駅の寂れた商店街。常連客しか入る事の無い喫茶店の横に在るパチンコ屋に、山寺は貧乏ゆすりをしながら大当たりの訪れを待っていた。遣って来たのは、死神と謂う名の災難だ。


「――よう」


 山寺の頭髪を鷲掴みにしながら、見下ろす形で声を掛ける。客入りは、五人しか居ない。未だ夕方のピークタイムで在る。


「……ど、どうもぉ」


 脂汗を掻きながら、此方を見る。眼を泳がせながら、ポケットに手を入れる。獲物(ナイフ)でも出そうと謂うのか、些細な抵抗を目論んでいる。頭髪を握る手に力を入れて、思いっ切り引いた。頭から地面にダイブして、山寺の意識は飛んでしまった。騒音の中での出来事なので、誰かが物音で気付く事も無い。店員の一人が見ていたが、問題は無い。動かなくなった山寺を担ぎ上げて、店を後にする。


 買い物に来ていた年輩者の群れが、此方を見ている。寂れてはいるが、地元の人間に親しまれた商店街。顔馴染みの者も少なくは無い。流石に声は掛けて来ないが皆、通報する様な野暮はしない。此の街は自分を含めた地元民の物だ。端(はな)から誰も、警察なんか宛にしていない。基本的に暴力事件は、関わらなければ巻き込まれない。首を突っ込んで、怪我でもすれば堪った物では無い。


 そんな訳で、誰一人として山寺を助ける者は居ない。そう謂う意味では、此の街で仕事をするのは楽で在る。殺しさえしなければ、堂々と昼間から仕事が出来る。誰に咎められるでも無く、適度に溝(どぶ)を痛め附ける事が出来る。多少の抵抗は付き物では在るが、此の街で自分に敵う者は誰一人として居ない。


 自分の事を識(し)る者は皆、口を揃えてこう呼ぶ。


 ――死神。


 不本意だが、其の呼び名に慣れ親しんでしまっている。自分は別に、悪意も殺意も持ち合わせていない。只々、仕事だと割り切って暴力を扱うだけだ。ポケットからガムテープを取り出して、山寺の両手両足と口を縛り附ける。駅のロータリーに路上駐車している黒塗りのワゴンのトランクに、山寺を押し込むと運転席に乗り込んだ。胸ポケットから煙草を取り出すと、無造作に摘み上げて口元に運ぶ。夜気に紛れる様にして、後部座席に不穏な空気が蠢くのを感じた。反射的に裏拳を放つと、柔らかな感触が拳を包む様にして身体ごと引き摺り込む様な力に流される。腕に目一杯の力を籠めながら、身体を下へと落とし込む。


 未(ま)だあどけなさの残る少年が、自分の腕を引いている。性懲りも無く又、奇襲を掛けて来たか。此れで五度目だが、最近の子供にしては根性が在る。


 死神の腕を懸命に圧(へ)し折ろうとしている此の少年を、幸四郎は内心では気に入っている。


「小僧、名前は?」


「一輝やッ!!」


 名乗る少年は、全く力を緩めようとはしない。溜め息を附く代わりに、幸四郎は大きく息を吸い込んだ。


 少年ごと左腕をゆっくりと引っ張りあげて、右腕で頭を小突いてやった。途端に腕が軽く為るのを感じて、今度こそ溜め息を附く。


 少年を車外に放り投げて、車を出した。

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