13
真っ暗な世界が広がっていた。闇の色が濃くて、何も見えなかった。自分は一体、何処に居るのだろうか。解らなかった。解らないからこそ、恐かった。押し寄せて来る不安感が、闇を縒り一層、濃くしている様だった。
何処か遠くから、雫の歌声が聴こえてきた。声のする方へ向かって、覚束無(おぼつかな)い足取りで只、歩いていた。其の慈しむ様な優しい声が心地良くて、いつまでも聴き入って居たかった。どうしようもなく雫が、愛おしかった。
歩いていると、何時の間にか景色が段々と明るく成っていた。視界は相変わらず惚(ぼや)けていたが、身体を何かが温かく包み込んでいた。雫の歌声が依り一層、大きく聴こえてきた。静かに耳を傾けて、目を閉じた。とても心地良い旋律が、心を包み込んだ。何時までも聴き入っていたい。雫への想いが、溢れ出して涙が出た。心の底から雫が好きだった。誰よりも愛している。
雫とは出逢って間も無いのに、どんどん惹き込まれて往く。どうしようも無い程に、心奪われていた。何が在っても、雫を手放したくは無かった。
目を開くと、真っ白な天井が目に入った。良く見ると、処々が黄蝕んで染みに成っている。傍らで目を閉じて歌う雫の姿が在った。未だ目覚めた事に気付いていない様だった。穏やかな心地だった。春の様に、温かな声。優しい音色。其の歌声が、脳裏に色鮮やかな桜を浮かび上がらせて往く。雫と初めて出逢った檀原公園。桜の花弁が舞う風の中で、美しい色の歌声に聴き入っていた。そして、只々――魅入っていた。
いつまでも、いつまでも、雫の歌声を聴いていたい。ずっと、ずっと、雫の傍に居たい。何が在ろうとも、雫を護り抜いてみせる。
其れなのに、自分は雫を危険に晒してしまった。
八代が助けに来なければ、雫が連れ去られていたのは間違いは無い。雫を狙う者が居る。其の存在を、突き止めなければ為らない。少なくとも、暫くは家には帰れない。
「……雫」
口を開くが思いの外(ほか)、声に張りが無かった。身体にも、力が入らない。殆ど感覚が無かった。まるで、自分の身体では無いような違和感を憶えていた。毒の影響なのか、電気に依る物なのかは解らないが、動けない事が問題で在る。もしも今、何者かに襲撃を受ければ、抗う術が無いのだ。其れは詰まり、雫を護れない事を意味する。
――大問題で在る。
「無理に動かないで下さい。絶対安静だって、お爺様が仰ってました」
優しい瞳。其の奥には、哀しい色が潜んでいる。どうしようも無く、苦しくなる。雫を哀しませたく無かった。雫が愛おしくて、苦しくて、無力な自分が赦せなかった。
「とにかく今は、身体を直して下さい。一輝さんにもしもの事が在ったら、私は……」
目を伏せる雫の表情が、みるみる曇って往く。そんな顔がみたいんじゃ無い。
そんな顔をさせてるのは、俺自身だ。腹立たしいが、俺が雫を哀しませてる。
「お願いやから、哀しまんとって……。直ぐに、元気になるから。俺は大丈夫やから」
優しく添えられていた手を、優しく握り返す。柔らかで、温かい。此の愛しい温もりを、何が在っても護らなければ為らない。絶対に、喪っては往けない。だからこそ、俺はもっと強く為らない。
涙に染まる雫に、俺は誓った。
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