何の変哲も無いスーパーの駐車場。明るい時間は来客者の車で混多返(ごったがえ)す此の場所も、深夜は閑散としている。そんな午前2時半を回ったイズミヤの駐車場を、二十台程の車が占領していた。


 夜の闇を彩る車のライトに照らされて、浮かび上がる若者の群れ。大半は男許(おとこばか)りだったが、中には若い女も何人か混じっていた。皆一様に露出度が高く甘い高揚感に満ちた表情で、男に抱かれていた。男達は皆、十代後半から二十代前半だった。共通して、柄の悪い風貌で輪に成っている。其の中央では、二人の男が向かい合っている。


「お疲れ様ですっ!!」


 若者の一人が、此方に気付いて頭を下げる。彼の名前は伊藤信二。今年で成人を迎えたばかりで、溶接工場で働いてる。女手一つで育ててくれた病気の母親を、何よりも大切にしている。ホスト顔負けのチャラい風貌だが、芯は確りしている。


「はい、御疲れさん」


 通り過ぎ様に、軽く挨拶を返す。今は其れ処では無い。既に始まっている。雫の手を引いて、若者達の輪に入って行く。雫は思いの外、堂々として居た。


「一輝さん……様ッス!!」


 又、一人が挨拶をする。彼の名前は山中聡。十七歳のバリバリのヤンキー少年だ。未だ粋がりたがりな年頃のやんちゃ盛りだ。皆、口々に挨拶を飛ばして来る。拳を上げて、纏めて応える。此の場に居る全員の名前と人と成りは、把握しているつもりだった。全員、同じ地元を愛した親友(ダチ)だ。誰一人として裏切らないし、傷付けたくない。


「俺達は仲間や!!」


 俺の言葉に呼応する様に、皆が雄叫びを上げる。夜の空気を、熱を孕んだ喚声が震わせる。


「じゃかましぃんじゃ、ボケが!! 己等(おどれら)殺すぞッ?」


 全てを一掃する様に、怒号が響き渡る。声の主は、八代と殴り合いながら、叫んでいた。殴り合いと謂ったが、八代は防戦一方だった。八代は其の辺の不良達と違って、武道の心得が在った。フルコンタクトの実践空手を、子供の頃からしている。其の実力は、目を見張る物が在った。


 けれど八代の拳は届かない。放たれた拳は宙を舞う。足を遣った軽やかなフットワーク。引き締まった鍛えられた強靭な肉体を撃ち衝ける拳の連打。ジャブからストレートのワンツー。ジャブからジャブ。フックからのストレート。変幻自在のコンビネーションブロー。拳の弾幕を受けて、被弾する八代の顔は痣だらけだ。けれど、目は未だ死んでいない。ガードを擦り抜けて、拳は八代を襲い続ける。


「派手にやられてるやんけ、八代?」


 八代に聞こえる様に、声を張り詰めて問う。八代が仕掛けたタイマンだ。割って入るのは、筋違いだった。俺は一切、手を出す積もりは無かった。


「何言うてるんすか、兄貴。こっから、派手に咬ましたりますよ!!」


 自信満々の八代。其れは張ったりや痩せ我慢では無い事を知っている。八代は俺が舎弟と認めた男だ。遣ると決めた限りは、必ず『遣る』男だ。


 拳を繰る男は引き締まった体をしていたが、小柄で痩せ細っていた。其のスタイルからみて、ボクシングを齧っている事は間違いない。体格から見ても、ライトフェザー級と見て間違いない。拳は決して軽くはないが、八代を沈めるには至らない。八代は拳を受けながらも決定打を外している。虎視眈々と機会を窺っているのだ。


「良(え)ぇ加減、寝て貰うで……糞ガキがッ!!」


 叫ぶ男――神江は、焦っている様に思えた。歳は四十を回っているだろうか。小柄な体格も在り、スタミナはそう続きはしない。どの程度の時間、殴り合っているのかは解らないが、息が荒れ始めていた。神江からしたら、直ぐに勝負を決める積もりだったのだろう。中々、倒れない八代の死太(しぶと)さは、予定外だったのだろう。次第に大振りになる拳。其の拳に八代は正拳突きを被せた。


 粘着性を孕んだ肉の打つかり合う音と鈍い骨の音が、頭の中で響いた気がした。


「……ぐぁっ!!」


 苦悶の表情を浮かべる神江。今ので拳がイカれたな。ここぞと許りに、追い打ちの足刀を放つ八代。神江の左脹脛(ひだりふくらはぎ)が、軋む音が聴こえた気がした。此れで、自慢のフットワークは使えない。手刀が神江の両目を掠める。


 容赦の無い八代の反撃は、尚も続く。神江の胸部を貫く八代の両刃。必殺の諸手突きを受けて、神江は倒れていた。顔面を踏み付けた処で、雫の悲鳴が上がった。


「一輝さん……止めて。あの人、死んじゃう!!」


 縋る様に俺の腕を掴む雫を、驚いた様子で八代は食い入る様に見ていた。好奇心旺盛な猫の様な瞳を、此方に投げ掛けている。其の様子を雫も又、驚いた様子で見ていた。キョトンとした様子の雫が可愛らしい。


「兄貴の彼女っすか?」


 小指を立てて、八代は人懐っこい笑みを溢す。八代は確か二十八歳だったが、中身はオッサンだった。ゆっくりと歩み寄り、平手で頭を思いっ切り叩(はた)いてやった。


「……ッてぇっすよ、兄貴。何、柄にも無く、照れてんすか?」


 今度は拳を落として遣ると、無言で悶絶していた。涙目で此方を見ている。


「何や……八代、何か言いたげやな?」


「兄貴、俺……怪我してんすよ。もっと、優しくして下さいよッ!!」


 抗議の声を上げる八代の痣を、力強く撫でて遣りながら、謂ってやった。


「痛い!! 兄貴、其れめっちゃ痛いッ!!」


 普通に痛がっている。俺も其の昔、在る人にされた事が在るが滅茶苦茶、痛いのは知っている。だから、しているのだ。


「俺は調べろって、謂うただけやでな? 俺が行くまで待っとけって、謂うた筈やでな? 誰がいつ、タイマン張れって謂うたんや?」


 尚も力を籠めて、撫でてやった。


「いだいって、兄貴ぃ……解った……解ったっす。すんません……反省してますって……」


 痛みに悶絶する八代。


 其の様子を見ていた雫が突然、笑い出した。


 八代を解放して遣り雫を見ると、優しい微笑を浮かべていた。


「仲が良いんですね?」


 思わず見惚れていると、状態を宙に浮かされていた。八代はいっちょ前にも、アルゼンチンバックブリーカーを噛まそうとしてやがる。全くこいつは隙在らば、遣り返そうとして来る。勢いに逆らわずに、半身を捻って腕を頸に絡めて絞めてやった。


 低く短く呻くと八代は態勢をぐらつかせる。


「よいしょっと!!」


 着地と同時に、両腕の重心を下へと向けて遣ると、八代は地に伏した。其の様子を雫は唖然とした表情(かお)で見ていた。男同士の馴れ合いなんて物は、大体がこんな物だ。俺も八代も、笑みを浮かべながら戯(じゃ)れ合っていた。直ぐに優劣を附けたがる男の習性で在った。


「仲良いやろ? 此奴(こいつ)とは、十年来の付き合いに成る。俺の可愛い弟分や!!」


 雫に向けて謂うと、笑顔を浮かべていた。可愛らしい其の笑顔に、心が和んだ。


「さて……どないするかな?」


 横たわる神江へと向き直る。八代の情報に依ると、只の半グレらしいが、此奴は何者なのだろう。


「一輝さんッ!!」


 若者の一人が、ペットボトルを投げて寄越した。確りと受け取ると、掲げてみせた。


「ありがとう!!」


 ペットボトルは未だ封が切られていなかった。ミネラルウォーターと書かれている通り、中には水が入っている。封を切ると、神江の顔に掛けてやった。


「早よ起きんかい、こらッ!!」


 神江の腹を蹴り附ける八代を、雫は哀しそうに見ていた。雫を連れて来た事を後悔しながら、踞み込んでゲンちゃんの画像を見せて神江に問う。


「見覚えは?」


 無い筈は無い。


「此のガキが、どないかしたんか?」


「有るか無いか、聞いとるんじゃ……答えんかい、ボケッ!!」


 頭を小突いてやった。雫の視線が痛かった。絶対に幻滅しているに違いない。心が痛んで仕方がない。


「佐野の駅前で、どついた記憶が有るな……其れが、どないしたねん?」


 悪びれた様子も無く、神江が悪態を附く。其の様子に腹が立って、血液が逆流する。ゲンちゃんは、大切な親友(ダチ)だ。傷附けられて、黙っていられる訳が無かった。


「俺のツレに、何さらしてくれとんのじゃ!!」


 思わず力一杯、拳を叩き込んでいた。其の刹那、俺の腕に纏わり附く柔らかな温もりを感じて、振り向いていた。


「此れ以上は、止めて下さい。事情は解りませんが、もう充分でしょう?」


 雫は涙を浮かべていた。併し力強い其の瞳に、気圧されていた。心を何故か、焦燥感が撫でていた。もしかしたら小さな子供が、母親に怒られるとこんな気持ちに成るのかも知れない。


「思い遣りの無い一輝さんは、嫌いです……。こんなこと言って、ごめんなさい……」


 目を伏せて只々、涙を流す雫を見て切なさが込み上げる。


「ごめん……。仲間を傷付けられて、熱く成り過ぎてた」


 そっと、手を放す雫。向けられた眼差しには、未だ涙が浮かんでいる。


「どうでも良いけど……良(え)ぇ加減、勘弁して貰えんやろか?」


 吐き捨てる様に呟いた神江の顔は、血と土に塗れている。顔中、赤黒い痣だらけで在った。神江から離れる様に、雫と共に立ち上がる。遠くからは、バイクの音が無数に聴こえてきた。其の音は次第に近く成っていた。


「どうやら、お迎えが来たみたいやな……」


 神江は起き上がると、唾を吐き捨てた。其の中に、血反吐に塗れた奥歯が有った。


 周囲が響(どよめ)いている。一様に戸惑う仲間達。気付くと十数代の単車に囲まれていた。


 爆音を纏った彼等の手には、鉄パイプや金属バットが握られている。其の背後には、黒塗りのベンツやシルビア、カマロ等の走り屋仕様にカスタマイズされた車が六台程、控えていた。皆、知らない顔触れだった。少なくとも、泉州の人間では無い。八代の情報網にも掛からないぐらいだ。他県の人間で在る可能性が高い。


 流石に身の危険を感じて、雫を抱き寄せる。抗う事もせずに、俺に身を預ける彼女の温もりが、途轍(とてつ)も無く愛おしかった。雫だけは、何が在っても護る。


「挨拶が遅れたな……ワイは神江。紀州『摩天楼』の頭・神江芳樹や。此の借りは、何(いず)れさせて貰うからな!!」


 『摩天楼』の名は、噂ぐらいなら聞いた事が在る。和歌山を中心に、勢力を拡大しつつ在るギャングの名だ。其処のトップが何故、単身で乗り込んで来たのかは解らないが、争いの火種を残してしまったのは確かだ。


「今日の処は、勘弁しといたる。ワイの傷が癒えたら、此の土地はワイ等が貰う」


 神江はよたつきながら、仲間の元へと歩き出した。皆、其の場を動かずに、其れを見ているだけだった。

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