唯、心

 立ちすくむ少女の頭が、吹き飛んできた瓦で弾けた。薔薇の花のように見えたのは一瞬のことで、撒き散らされた肉片の一部が呆けて開いていた俺の口に入ってきた。

 吐き出したくなるような、気持ちの悪いその鉄の味は、俺を急速に現実へと引き戻す。

「やった……、やったよ、母さん」

 散々逃げ惑う人々は、けれど竜巻に飲まれなす術もなく。俺はついに立つこともままならなくなって、その場にへたり込んだ。

 これが復讐を為した感なのか、終末をもたらした罪悪感なのか自分では分からなかった。

 そして突然自分の為したことを、為してしまったことを、高所から飛び降りて着地したような衝撃を以って、分からせられる。

 体の震えが止まらない。俺のせいじゃないと、その理由を考えようとするけれど、頭のどこかに堰ができたように思考は溜まって、澱んだ。

「母さんが……母さんが殺されたんだ……。俺のせいじゃない。俺は悪くない……」

 俺は悪くない。そうだ、母さんが殺されたんだ。

 自分の言葉に、何度も、何度も、相槌を打つ。けれど、わだかまる罪悪感を軽くはしてくれなかった。

 広場にふと、昨日の侍祭の姿が見えた。何も知らない彼は、ただ人々を安全な場所へ導こうと、老人を背負い、子どもの手を引いている。飛んでくる礫に体を打たれて体は傷だらけの様子。それでも周りを気遣い、守っている。

 次の瞬間、彼の近くの家屋が崩壊。侍祭も、彼の連れていた人々も、全て押しつぶされ、溢れた血が瓦礫の山からにじみ出ている。

 そして、俺の心の何かが折れる音を聞いた気がした。

「間違っていたのか、俺は」

 割れた大聖教会のステンドグラスが、俺の頬を裂く。そして流れた血が顎先から滴り落ちる。

 その時だった。このテラスに、一人の少年が姿を現した。

「ハイマン様をよくも……。殺してやる……!」

 齢は十と少し。けれどその表情は悪鬼羅刹の如く。ハイマンの孤児院にいた少年だった。

 終末の訪れなど意にも介さず、ただ俺に殺意を向けている。

 こいつは俺だ。復讐のことのみを考えていた、俺自身だ。

「殺すか? 俺を」

「当たり前だ、お前はハイマン様を殺した。殺してやる、僕が! 殺してやる!」

「終末だぞ、殺されなくても俺は死ぬ。お前も死ぬ。それでもか?」

「どれだけ間違っていようとも、僕がこの激情を葬ることが正しいなんて、誰にも言わせはしない」

 そして手に持ったナイフを構えて、俺に突っ込んできた。心臓を狙った、いい一撃だった。俺は反抗することもなくそれを受け入れる。肉に刺さるナイフの冷たさが、未だ燻る復讐の熱を冷やしてくれる。それが、心地よかった。

 口の端から血が垂れる。全ての感覚が一歩二歩遠くなる。

 天を仰ぐ。すると、竜巻は晴れ、雲間から太陽が見えていた。穏やかで、きれいな太陽だった。

 終末が敗れていた。

 俺は、間違っていなかった。激情にこそ、価値はあった。そう、この少年が教えてくれた。

「ありがとう」

 声には、ならなかったかもしれない。けれど、俺は笑って、深い、深い闇の中に沈んでいく。


 母さん、俺も今…………。


<fin.>

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シニャサイド -幻想失墜- 蟹家 @crabhouse

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