幻想失墜
大衆の拍手喝采がこの大聖教会内の中にも響いている。
壁一面の典麗な彫刻や、色鮮やかなステンドグラスも、無実の魔女がまた一人何も抗えず燃やされた喜びに震えている。
俺はその音に紛れて梁の上から飛び降り、武装神官二人を瞬殺した。
あとは、この大聖教会二階のテラスへ続く通路をまっすぐ進んで、グスタフ・キリシュライトを殺すだけだ。
終末を遠退けるためにキリシュライトが動いているなら、そのキリシュライトを殺したら終末が来てしまうのではないか。いや、おそらくそうだろう。だが。
「……関係ない、俺には」
俺はあいつに母の苦しみを分からせてやりたい。殺してやりたい。それだけだ。
短剣を持つ手が震える。恐れているんじゃない。武者震いだ。
いつの間にか喝采は収まっていた。代わりに、男の大きく張った声が聞こえる。キリシュライトの説教が始まったのだろう。
左は逆手に、右は順手。いつも通りに短剣を握り直す。
そして、俺はテラスへ続く通路をまっすぐに進んだ。
「世界は今! 魔女の脅威に! 脅かされている! しかし! 我々アータ教は……」
そう大きく声を張るキリシュライトの教皇らしい絢爛な白い祭服が見えた時、俺は左手に持った短剣を投げ放った。
「ぐぅ……」
彼の背に深々と突き刺さった短剣を。流れ出る血ははじわじわと純白の服を赤く染めていく。
突如止まった説教に訝しんだ人々がざわめく。
俺は右手に持った短剣を構えて、グスタフ・キリシュライトへと突進。そのまま心の臓腑を貫こうとする。けれど振り向いた彼の錫杖の横なぎに阻まれ、一歩二歩距離を取った。
彼の獅子を彷彿とさせるその顔には大粒の脂汗が浮いている。
「母の仇だ、グスタフ・キリシュライト。お前を殺す」
「ぐ……、サンドラ・リューレの倅か。ピークやハイマンを殺ったのも貴様か」
「そうだ。報いを受けろ。グスタフ・キリシュライト」
「報い? 私が? 笑わせるな。正義のためにやったのだ。世のため人のためにやったのだ。私が終末を撃ち滅ぼすのだ。母のことなど忘れ、黙って私の作る安穏を享受するがよい」
「母の亡骸の上で笑えというのか」
「そうだ。それでも平和だ。それこそが平和だ」
俺は無言で態勢を低くし、短剣を構え直す。
「分かり合えぬか、ならば死ぬがよい」
そう言うと錫杖を持ち直し、悲鳴を上げる大衆に向かって叫ぶように声を張った。
「この男こそ魔女の元凶だ! 私が手ずから打ち殺そう! 皆、共に終末のない明日を歩もう!」
幾千幾万の人々にそう言う。なるほど。すべて悪を俺に押しつけ、ここでケリを付ける気か。俺が勝てば、きっと終末が来る。皆が死ぬ。
「これでも貴様は私と戦うか?」
キリシュライトのその言葉に俺は吐き捨てた。
「この激情を葬ることが正しいとは、誰にも言わせはしない」
俺の復讐は、きっと正しくない。それでもこの激情を葬って、何もなかったことにするのが正しいはずがない。
俺は全力を込めて、地面を蹴った。
迎え撃つキリシュライトの錫杖の突き。速い。避け損ねて、右目を持っていかれる。
「ああああ!」
それでも出鱈目に足を前に出す。無茶苦茶でも短剣を突き出す。
肉に突き刺さる感触。
「……終わり……か」
キリシュライトがそう呟く。短剣がキリシュライトの心臓へと突き立っていた。
「俺は……神に負けたのか…………」
その言葉を最後に、キリシュライトは倒れた。
手は、力を入れすぎてまだ震えている。
「母さん……やったよ……」
天を仰いだ。
すると、見る間に雲が渦巻き始め、雲間から雷が迸っている。雹が降り注ぎ、天はこれまで抑えてきたものを全て爆発させるかのように荒れ始めた。渦巻いた雲は見たこともないような大きな竜巻となって聖都へと降り立つ。
そして、破壊された街の瓦礫が大聖教会のステンドグラスを叩き割ったとき、誰かがぽつと呟いた。
「終末が、来た……」
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