煙は西に流れる

 病の魔女が殺され母の病が治ってから、二週間ほど経った。早い朝のことだった。

 家の戸が乱暴に三度叩かれた。

 窓から見えた空は白んでいる。雲一つない酷いほどの快晴だった。

 戸を叩く音で覚めた俺は寝ぼけ眼を手で擦る。母は朝の習慣である神への祈りを止めた。

「誰かしら。こんな朝早くに」

「さぁ……」

 母と顔を合わせて首を傾げると、また三度乱暴に叩かれた。

「リューレ! サンドラ・リューレ!」

 戸の向こうでは低い声で、母の名を呼んでいる。

 彼女はきょとんとした顔のまま立ち上がり、戸を開けた。

「サンドラ・リューレ、貴様に魔女の嫌疑が出ている」

 戸を開けると黒い衣装を身に纏った男が立っていた。首から下げるのは国教であるアータ教のシンボル。そして胸元には秤を模したバッヂ。つまり、異端審問官だった。

 背後には軽鎧に佩剣した武装神官が二人、控えている。

「ちょっと待ってください。私が魔女? 一体なんのことやら……」

「司祭様たちの神判でこの日照りの原因が魔女サンドラ・リューレによるものだと出ているのだ。捕らえろ!」

 その声で武装神官二人が母を押さえつけ、後ろ手に縄を縛った。

 俺は慌てて走り寄る。

「お母さんが魔女!? そんなわけないよ、審問官様。何かの間違いだよ」

「間違いなわけがあるか小僧。この令状にサンドラ・リューレ、その名が書いてあるのだ」

「でも……」

「黙るが良い。司祭様は神判を行ったのだ。神の御名において決が出たのだ。それとも何かお前はそれを疑うというのか!」

 一度、その言葉に逡巡する。だが。

「母さんが、魔女のわけない!」

「黙っていろ、魔女の子め!」

 異端審問官が俺の腹を蹴った。たかだか齢十の俺は、床に簡単に転がる。

「やめて! 子どもには……子どもには手を出さないで!」

「ならば大人しく付いてこい」

「あ……、母さ……」

「お母さんは大丈夫、大丈夫だから」

 母は俺を見て、そう笑った。父が死んだ時と、同じ表情だった。

 母は抵抗することなく、異端審問官に連れて行かれる。

 俺が、俺が母さんを守らなきゃ……。

 そうは思うが、うまく呼吸できず立ち上がれもしない。俺の手はなににも届かず空を掴んだ。


 それから二日。

 母は帰ってこなかった。俺は誰もいない家の椅子に一人座っていた。不安で眠れず食事も喉を通らなかったせいか、意識はどこか不明瞭だった。

「魔女! サンドラ・リューレが西の広場で火炙りに処されるよ! 日照りの魔女だよ! 神の火に晒されるよ」

 外では先触れが嬉しそうにそう叫んでいる。

 ふらりと立ち上がり家を出ると、また酷いほどの日照りだった。いつもら閑散とした通りは、西の広場に向かう人が列になっていた。

 みんな、笑っている。

 人波に紛れて、俺も西の広場に向かった。遠くからでも聞こえていた歓声は、近づくにつれて大きくなった。

 広場に着く。中央には磔された母。六等星まで見える俺の目には爪が剥がされてボロボロになった彼女の指先まで、しっかりと見えていた。

 みんな、笑っている。

 安心して、ほっとしている。これで雨が降るのだと、和やかにしている。そしてその口で母の死を高らかに謳っている。

 前の魔女狩りの時、俺も笑っていたことを思い出した。

 磔の横の台に三人の司祭が立った。

 アデル・ピーク、ヴィトヒ・ハイマン、グスタフ・キリシュライト。三人の司祭は、それぞれそう名乗った。

 一人が声を張った。

「我々が行った神判によると、近頃の日照りはこの魔女、サンドラ・リューレの呪詛によるものだった。だが安心してほしい。今こうして魔女は捕らえられた。聖火によってその魂までも焼かれるだろう」

 母の悪徳、神の素晴らしさ、火炙りによってこれから訪れる平和な日々について、彼らは語る。

 三人の司祭が一本の松明を持って空に掲げた。神に何かを唱える。

「燃やせ! 燃やせ! 燃やせ!」

 人々の声は大きくなっている。

「母さんっ!」

 俺は叫んで駆け出すが、人混みに阻まれ、弾き出され転げた。

 瞬間、聞こえたのは母の絶叫。

 けれどそれは人々の歓声に飲まれて、すぐに聞こえなくなった。

 空には濃い煙が立ち上っていた。

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