シニャサイド -幻想失墜-
蟹家
薄氷の上で笑う
丸一日、石材運びの仕事をして、銅貨二枚と鉄貨四枚だった。
帰り道、パンを二つと母の薬を買うと全てなくなった。けれど、齢十の俺が働ける場所を貰えるだけありがたかった。
丸一日何も食べてないせいか、腹の虫が低く鳴る。盛りとはいえ今年は冷夏。夕暮れ吹く風が、汗で冷え切った身体に堪えた。
鉛のように重い身体で家路を急いでいると、通りの向こうから先触れが何か喚きながら走ってきた。
「流行病の元凶の魔女が捕まったよ! これから西の広場で火刑が始まるよ!」
そう言っているのが聞こえた時、俺は疲れも忘れて先触れにしがみついた。
「それは本当のことですか!?」
「ああ! 間違いないよ! 司祭様達の神判で魔女が見つかったんだ! これで流行りの病も全てなくなるだろう!」
それを聞いた俺は喜びと安堵で、崩れ落ちた。
「よかった……。よかった……」
安心したせいで、自然と涙が目にたまって視界が滲む。
「辛かったんだな。でももう安心! 魔女はもう殺される」
「はい……、ありがとうございます。これで母も……!」
「そうか。よかったな。さぁ、早く母君に伝えておやり」
俺は大きく頷くと、飛ぶように走った。疲れはどこへやら、身体は羽根のように軽かった。
大通りから小路を二本曲がる。最近の日照りで枯れかけている井戸に人が並んでいる。その近くに建つ古びた集合住宅の一室が我が家だった。玄関の戸を開けると軋んで大きく音を立てた。
「ただいま!」
母は夕刻の祈りの最中だった。聖地の方角を向き、病で犯されているというのにベッドから降り、祈りを捧げている。母は熱心なアータ教徒だ。朝夕の祈りを欠かさない。
俺は早く母を犯す病の原因たる魔女が処刑になることを伝えたかった。はやる身体を抑えて、パンと薬を食卓に置いて待つ。
「主神アータの光が汝にも届かんことを」
祈りの最後の言葉が聞こえて直ぐ、俺は吠えた。
「母さん!」
「おかえり、どうしたの? そんなに慌てて」
優しく俺を見つめると、母はそう言った。けれど次には胸を抑えて三度咳き込んだ。
「あぁ、病気が……。無理しちゃだめだよ」
母さんに肩を貸し、ベッドへと寝かせる。
「ごめんね、まだ十だというのに。お前には苦労をかけて」
「いや、いいんだ。母さんに元気になってもらいたいんだ。……そうだ! 遂に! 遂に捕まったんだ、魔女が! 母さんの病気を流行らせた魔女が!」
「本当に? それは良かった。病気が治れば働ける。お前にも苦労をかけないで済む。本当に、本当に良かった。司祭様たちのおかげだね」
母に伝えると、涙を流して喜んだ。それを見ていると、俺も母が病になってから今日までの半年の辛かった日々を思い出した。「やっとだよ」と呟くと俺も安堵で目頭が熱くなった。
「でさ、その魔女の処刑が今日西の広場であるんだ。見に行ってきてもいい?」
「そうだね。母さんは体が辛くてついていけないけど……」
「母さんの分も魔女の死にざまを見てくるよ」
そう言うと母は大きく頷いた。
「少し暗くなってきているから気を付けて行ってくるんだよ」
そして俺は家を飛び出して、西の広場へ向かった。
西の広場は人がごった返していた。当たり前だ。許されざるあの魔女が殺されるのだ。皆見たいに決まっている。
人ごみを掻き分けて、最前列にたどり着くとこの町の三人の司祭様の一人がたいまつに点けられた神火に祈りを捧げているところだった。
そして、その横には魔女が磔されていた。醜い姿だ。髪はぼさぼさ、指先はぼろぼろ。手首を杭で打ち付けられ、汚れたその血が腕を伝っている。手足は力なくぶら下がっていて、顔も伏せている。
「うう……」
どんな顔かと少しのぞき込んでみたら、魔女は泣いていた。それを見て俺はどうしようもなく腹が立った。
足元に転がる小石を拾い上げて、魔女の顔に思い切り投げつける。
「皆を、母さんを、苦しめたくせに! 早く死ね!」
思い切りそう怒鳴ると、広場の皆が沸いた。呼応するように人々が魔女に石を投げつける。
「燃やせ! 燃やせ! 燃やせ!」
誰からともなく、皆でそう言った。
そして司祭様が魔女の足元に火を点ける。
断末魔を上げながら苦しそうに身を捩る魔女を見て、俺は心の底から、笑った。
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