第1話

 ガシッ…。


 いきなり、慣れない重みが右腕に寄り掛かった。


 ぶつかったような感覚に近いそれを、バランスを崩しそうになりながらも受け止める。


 ロータリーを行き交う人々。


 プシューと音を立てて待機する電車と、ポーンポーンと等間隔に鳴り響く盲動鈴。


 

 そのいつもの日常の風景にたった一ついつもと異なるものが目に映った。

 少女と目が合う。

 時が止まったような感覚を覚えた。

 その理由は言うまでもない。


 「この人、私の彼氏です!」


 「………は?」


 駅前のロータリーで、いきなり幼気な少女に抱きつかれたことから本当の意味でおれの青春は始まったのだと思う。


 4月27日。

 始業式から生徒指導でこっぴどく怒られた最悪な新学期も一段落。

 花のゴールデンウィークの幕開けを意味する今日、まさにおれは日課である河川敷沿いの寛ぎスポットに向かっている最中だった。


 最寄り駅から一駅。降りてから数十メートル歩けば、穏やかな桜並木と青い空。

 たおやかなる一級河川に国宝としてその雄々しい存在感を誇る平山城が一緒くたに見えるベストポジションがあるのだ。


 おれの家の最寄り駅猫川駅のロータリー東口で、まさにおれだけの休日に心を躍らせながら今始めようと足取りを進めようとしていた。



 しかして、その足は止まるのだった。


 まだ電車にも乗っていないのに、一人の幼気な少女によって。


 

 青を基調としたボーダーカラーのニット、ダボっとした萌え袖からちらりと除く白磁の肌、華奢な指先がおれの肩をぎゅっと掴んだ。

 ゆったりとした雰囲気を持つ膝丈のスカートを揺らしながら、おれの腕に強引に抱きついている。

 年はおれと同じくらいだろうか。


 当然、おれに彼女はいない。


 しかも、同じクラスの女子であっても面識がないと認識されかけないパッとしない一般通過高校二年生男子には到底想像し得ないシチュエーションだ。


 シルクのように艶のある全体的に色素が薄いのかグレージュのような色合いの透明感のある柔髪をさらさらと揺らしながらおれの腕を抱いている。

 短めのハーフツインテが猫の耳のようにぴょこっと跳ねる。むぅっと少し困り顔でしかめっ面になっているのがおれの視界の端に映った。



 小悪魔チックに跳ね上がった睫毛。少し切れ長で、それでも可愛らしく目じりが垂れていてなんだか吸い込まれそうなほどに魅力的なアーモンドアイ。



 ずっと見つめていたくなるような、庇護欲をそそる瞳。

 まさに、助けを求めているようなしゅんとした表情。



 しかしいきなりのことに、おれは驚きと戸惑いで頭の中がぐちゃぐちゃになって思考というものが機能しなくなった。

 おれにとって働くものはせいぜい視覚と聴覚と嗅覚くらいのものだった。



 しかしその三つの感覚さえも、目の前のハーフツインテの超絶美少女を横目に、すがり付くように訴える彼女の声音、茹だるほどに甘い匂いが俺を惑わす。


 何が起こっているのか判らず、その原因である彼女を振りほどこうと右腕を動かす。少し、柔らかいものが当たった気がした。これはまずいと、距離を取ろうと足を動かすと吸いつくようにくっついてくる。


 おれが再三抵抗しても彼女はおれの腕を取りながら、尚も訴え続ける。


 耳元で小さく「助けて」と呟かれた。

 少しくすぐったさを覚えて、耳を逸らすように首を振った。


 その拍子に、改めて正面を見据える。


 するとそこには、面識のないヤンキーがいて、おれは。



 …まさか、ゴールデンウィークの初日に地元でも有名なヤンキーに殴られるとはだれが想像し得よう。



「…ちょっと?何その物騒に握りしめた拳は」

 逃げようにも、彼女がおれに縋り付いて離れられない。


 おい、まて。これはまずい。こいつは、確か。


 肩に入った龍の刺繍。

 令和の日本のご時世に合わない、暴走族、龍夢會の構成員だ。

 金髪のガタイのよい、明らかにまともではない目の前の男は殺気を露わに、獣ような目つきでこちらにいきなり向かってきた。


「___おらぁぁぁ!」


 ごっ…っと鈍い音がして、顎に強い衝撃を感じたかと思えば。


 いきなり、おれは空の青さを知る。

 まだ、地球とキスする羽目にならなくて済んだだけマシかと。


 ぷかぷかと気持ちよさそうに空を見下ろす雲を目で追う。

 ああ、今日も猫川は平和だなと。朦朧としながら思った。


「〇〇さん、まずいっすよ!殴るのはよしましょってあれほど」

「うるせぇ、離せ!」


 水の中にいるようにハウリングした声音が、どこか遠くから聞こえてくる。


 おぼろげな思考の中に、彼女の心配そうに見下ろす顔を見る。



「ちょ…だ、大丈夫ですか!」



 かわいい、女の子に抱きつかれたものだ。どこか、懐かしい香りを感じる。


 そんな、勘違いも甚だしい感想を見ず知らずの少女に抱いて。


 おれの意識の連続性はそこで途絶えた。

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