第6話 莉央菜(りおな)

痛い。左肩が、灼けるように痛い。


ただの傷ではないだろうことは、その凄まじい痛みと熱感で分かった。


ここは、どこ?


見たことがある気がする。視界がぼんやりと定まらない中、聞き覚えのある声が聞こえた。


『りおな・・!!りおな!

起きてくれ!頼む・・!!』


必死に叫ぶその声に、段々と意識がはっきりしていく。


恭ちゃん、、、?


よく似てる。少し茶色がかった髪を、彼は後ろで一つに結っていた。周りは暗いらしく、あまりよく見えなかったが、徐々に目が慣れたのか視界をはっきりと結んだ。


彼は私よりずっと、大人の男性だった。

私の知ってる恭ちゃんじゃない。けど、、恭ちゃんだった。刀を握っている。竹刀ではない、おそらく、本物の。その刃には赤黒いものがべったりと付いていた。


『莉央菜!!!』


今にも泣き出しそうに、その"恭ちゃん"は、倒れていた私をそっと抱えあげ、地面に膝をつく格好で、私を抱きしめた。


『おまえ、異形を使ってるな?』

今まで聞いたことのないぞっとする声で、それはしゃべった。


人間なの?


体格も、顔つきも、それは人間とはかけ離れたものだった。人間の形を保ってはいるが、恐ろしいほど逞しい体躯を持ち、禍々しい雰囲気を身にまとっている。


それは、境内に腰掛けている。

ああ、ここは、あの神社だ。でも、何かが違う。建物も古めかしいし、木々の様子も違う。


「恭ちゃん、、?」

傷の痛みもあって、か細い声で恭ちゃんの名前を呼んだ。

恭ちゃんは、少しびっくりした顔をして、

『そう呼ばれるのは、久しぶりだな。』と微笑んだ。

笑った顔が、恭ちゃんそのものだった。だけど、声は子供のそれではなく、声変わりをした大人の男性の声で、その声を聞いて私は、胸が締め付けられた。


『異形を使うものは、我らの仲間にならない道を選ぶなら、短命であるぞ。』

それは不気味に笑い、恭ちゃんに向けて言った。

『良かろう。仲間にしてやってもいい。お前の太刀筋は素晴らしい。まず、その娘を殺せ。まぁ、何もしなくても、もう駄目かもしれんがな。』

くくく、と耳障りな声を立ててそれは笑った。


恭ちゃんが怒りに震えるのが分かった。奥歯を噛みしめてるのが分かる。

私を見て優しく微笑むと、

『少し、ここで待ってて。必ず助ける。』


恭ちゃんは、それに向かって走り出した。


恭ちゃんは強かった。けど、相手は人間離れした動きで、少しずつ恭ちゃんが劣勢になるのが分かった。


剣道をしてるあの日の恭ちゃんと、今の彼の姿が重なった。でも今彼が戦ってる相手は、絶対に負けられないものであり、負けることは死を意味した。平和な世界でする剣道の試合とは、次元が違った。


『そろそろ終わりにしようか!』

それは楽しそうにそういうと、今度は私に向かって突進してきた。


ーーーーー殺される。


一瞬に満たない時間の中でそう思ったとき、何かがそれの身体を貫いた。


恭ちゃんが信じられない動きで、それを仕留めたのである。


朝日が登る。貫いたのは、恭ちゃんの持つ刃だったが、何かが違う。

私は、はっと息をのんで『彼』を見た。

今、仕留めた異形のそれと、『彼』は似た身体になっていた。



  ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


恭一から連絡があったとき、一瞬自分は誰と話しているんだろうと分からなくなった。

「母さん・・!!りおが倒れた!今、救急車を呼んでるんけど、、脈が、脈が恐ろしく遅いんだ!どうしよう」


貧血ではないのか?


呼吸も脈もあるようだが、10分たっても目が覚めず、何度呼びかけても反応が全くがないと、たたみかけるように恭一が悲痛に叫ぶ声が電話口で聞こえた。その電話口から、サイレンが聞こえる。救急車が到着したのだ。


行き先の病院が決まったら連絡しなさいと恭一に伝え、自分も急いで帰り支度をした。


普通、貧血で倒れたときや血圧が低下したとき、下肢を挙上し回復を図る。恭一は的確にそれを行い、おろおろする神崎さんの両親に莉央ちゃんを動かさないように言い、すぐに救急車を呼ぶよう指示したのだ。


小学校五年生が、落ち着いてそんな事、できる?


確かに恭一は、私たちと同じように医者になりたいと言って、普段から私達の仕事に興味深々だった。知識はあったと思う。しかし、知識と経験は違う。度胸も。


「何だか、恭一が時々、とても大人に見えるの。」

いつだったか、主人に大真面目にそんな事を言ったことがある。何言ってるんだと、笑って一蹴されて終わったが、違和感を感じ続けていたのは事実なのだ。


おそらく、搬送先は主人の病院ね。


夫は、ここ一帯の基幹病院で勤務している。貧血でないのだとすれば、脳か、何かしら、、莉央ちゃん、無事でいて。


焦る気持ちを抑えながら、恭一から連絡が来る前に、夫の病院へ車を走らせた。



  ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


信じられない事だが、私は空から恭ちゃんと、自分を見ていた。


私は、死んでしまったのかしら?


そう思ったが、私によく似た彼女は、恭ちゃんの胸ぐらを掴んで何か叫んでいる。


彼女は、随分古めかしい格好をしていた。はだけてしまっているが、着物を身につけ、髪の毛は時代劇でよく見るようなあの髪型をしていた。


『どうして・・!!どうして、恭一郎さんが異形を使っているの・!!』

ぽろぽろと涙を流し、傷の傷みをこらえながら必死に彼に叫んでいる。


彼の身体は朝日を浴び、徐々に人間の身体へと戻っていっていた。

彼はーーー、恭一郎は、何も言わず、ただ微笑み、彼女の傷口を確認すると、

『少し痛いかもしれないが、毒を吸い出すから』

というと、彼女の肩の傷に自分の口を当てて、毒を吸い出しては地面に吐き、それを何度か繰り返した。


彼女は、痛みと、おそらく、、、肌を見せる恥ずかしさで、彼にしっかりつかまり、顔を彼の胸にうずめていた。


朝日が優しく2人を照らす。

『連絡はしてある。もうすぐ迎えが来る。大丈夫だ。』

ずっと、恭一郎は優しく微笑んでいる。対象的に、彼女は、ずっと泣いていた。


『今度の任務は、、異形で戦うということですか?』

『・・・』

彼は答えない。

彼女は、震える手で御守りを、彼に手渡した。

『御百度参りを、しました。恭一郎様の無事を願って、、、お願い!死なないで!私、私は・・・!』

堪えられなくなった彼女は、彼にすがるように抱きついた。

彼の表情はここからは見えない。


遠くから、声が聞こえる。


『迎えが、来たようだ。』

そっと優しく、彼は彼女の身体を自分から離す。

すると、意を決したように、彼女はーーー私は、彼に言った。

『私、今でも恭一郎様の事をお慕いしております。ずっと!あなたを、、愛してる。』

最後の方は、彼が指で彼女の口を塞いだので語尾がはっきりしなかったが、愛してると、彼女は言ったのだ。


『俺は、それに応える立場に無い。』

低い声で、でも、はっきりと彼は言った。

『恭一郎様は、私のことを何とも思ってらっしゃらないのですか。』

『莉央菜殿、俺は、、』

『私は立場ではなく、あなたの気持ちを聞いているのです。』

彼女は、着物も髪も乱れていたが、朝日に凜とした表情を映しだされ、美しかった。

恭一郎は困ったようにじっと彼女を見つめたあと、やはり何も応えなかった。


と、思ったとき、ふいに彼女は彼の胸ぐらを掴み、彼をぐっと引き寄せ、口づけをしたのである。


おそらく、見ていた私も真っ赤だったと思うが、恭一郎という彼も目を見開き、何が起こったか分からないという顔をはじめした後、耳まで赤くなった。


『な・・・!!』

『恭一郎さんの、、意気地なし!!』

瞳から大粒の涙を流し、でも彼女は、笑って恭一郎に言った。

『私、自分の幸せは、自分で決めます。』



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