第20話 心配御無用よ

 ゲベルたちは、開け放たれた杉戸を抜けて奥へ進んだ。奥から生暖かい風がゲベルの鼻先を撫でて通り過ぎた。

 風の中に生臭さがある。

 血の臭いだ、ゲベルは直感した。他の者たちも察したらしく、

「殿様、我らの後ろへ」

 グール二人が長巻の刃を寝かせて前に立った。奥に見える廊下の板床は酒樽でも倒したのか濡れていて、そこに数名の男が折り重なっている。近寄ると全て死体だ。どれもが無残に切り裂かれ、傷口が大きくめくれ上がっている。酒と見えたのは血溜ちだまりだ。

「何があった」

 死体を跨いで広間に入ったゲベルは思わず呻いた。床一面に脚付きの折敷や皿、酒器が散乱し、もつれ合うように死体が転がっている。多くが布子一枚で、中には下帯だけの者もいた。倒れた灯明の油に火が回り、高く上った炎が壁を舐めている。

「どうやら、互いに殺しあったようだな」

 多くが血に濡れた刀や薙刀を握りしめたまま事切れている。ナインが腰刀の柄に手をかけて、緊張した面持ちで周囲を窺った。


 部屋の隅に、逃げ遅れたらしい女が三人ばかり身を寄せ合って震えていた。

「何があった」

 クルーガが訊いたが、舌の根が震えて喘ぐばかりで声にならない。いずれも裸の胸を押さえ、腰に緋の袴を巻いている。最前まで男たちと戯れていたらしい。

「女は逃がしてやる。出ろ」

 ゲベルが顎をしゃくった。女たちが這って動き出そうとしたとき、

「出ずともよい」

 飛び散った血に汚れた几帳きちょうの奥から重々しい声が響いた。

「我が刃の舞を見せてやろう」

 几帳をまくって表れたのは、大男のアーク・デーモンだった。大童おおわらわの髪を振り乱し、湾曲した見事な双角、諸肌脱ぎした寝間衣ねまきの上に派手な紺裾濃縅こんすそごおどしの腹巻、手には金蛭巻きんひるまき刃渡り三尺半の化け物のような大薙刀。メナス・アマドその人だ。

「討手は誰かと思えば、吸血鬼と鵺を連れて代官直々のお出ましとはな」

 紫色の顔がにたりと捕食獣の笑いを浮かべ、

「これぞ好機。余さず討ち取って、イスの地を奪い返さん」

 家来たちの死骸を爪先立ちで避けながら、するすると舞うように部屋の中央に進み出た。

 グール二人が無言のまま突出して左右から長巻を突き出した。いずれかが斬られても一方が仕留める必殺戦法だ。だが、メナスは大薙刀の刃で右の敵の脛を打ち、手首を返して左の敵刃を跳ね飛ばしてそのまま脛を石突で打った。怖るべき早業だった。

 二人は用心深く鉄の脛当を着けていたが、それでもたまらず転倒する。

「死ねや」

 薙刀を振り下ろそうとしたまさにその瞬間、ナインが跳躍して斬り込んだ。

 メナスはこれを軽々と避けて半身になり、

「これは可憐な堕天使殿よな」

 あざけるように薄笑いを浮かべた。

「黙れ」

 ナインも一尺八寸の小太刀を半身青眼に構えた。足許が厳重と見たメナスは下段から薙刀の刃を巻き上げてナインの股間を狙う。これを避けると、持ち手を変えた刃先が袈裟懸けに降ってくる。

 ナインはじりじりと左足を引いた。

 恐れて引くと見たメナスは、遠間から一気に刃を振り下ろした。が、鈍い音がして、薙刀の物打ちの辺りが天井の梁木に食い込んだ。

 これがナインの策だった。しかし、

「甘いわ」

 メナスの上半身に力がみなぎる。固い音とともに梁木が二つに切断され、刃が斬りかかろうとするナインの頭上に襲い掛かる。ナインは危うく避けたが、そのまま均衡を崩して倒れ込んだ。その喉先に薙刀の刃が突きつけられる。

「刀を捨てよ。つらの疵がちと惜しいが、なれは我が稚児として飼うてやろう」

 メナスが下卑た笑みに口を歪め、

「あ奴らを斬ってからな」

 首を巡らせてゲベルたちをめ回した。

 クルーガとラガンが一歩前に出た。クルーガが顔に薄く笑いを貼り付けて低く身構え、ラガンは唸りながら毒蠍どくさそりの尾を構えた。部屋中に吐き気を催す殺気が渦巻いた。


 ゲベルが息を呑んだまさにその時、

「あの、すみません」

 ふいに、何の緊迫感もない涼やかな声が聞こえて広間の空気をぶち壊した。ゲベルがぎょっとして振り返ると、そこに鳶頬とびほおの鉄面に生々しい女体胴のロラが立っていた。全く気配を感じさせなかった。

 だが、ロラが何の前触れもなく現れたことより、手にした奇怪な鉄砲に目がいった。それは鉄砲と呼ぶには余りに巨きすぎた。口径一寸、五十匁の大鉄砲。抱え筒とも呼ばれる過去の遺物だ。今はもう使う者もいない。重さだけで軽く五貫半はある。

 皆が目を点にする中、ロラは具足の金具を軋ませながらすたすたと前に出て、メナスから十歩の距離で止まって火蓋を切った。

 鉄砲を扱うためか、ロラの鎧の右肩は大袖の代わりに杏葉ぎょうようの金具をつけている。ロラは五十匁を握った右腕をまっすぐメナスに突き出し、杏葉に顎を乗せた。信じられない膂力だった。

「おのれ、飛び道具とは卑怯」

 メナスが喚いた。だがロラは相手にしない。

「耳を塞いでてくださいね」

 総面の奥からくぐもる声で言った刹那、ロラは耳を塞ぐいとまも与えず無造作に発砲した。

「わっ」

 音というより鼓膜が痛打される衝撃に、ゲベルは思わず悲鳴を上げた。凄まじい発砲煙が一瞬視界を塞ぐ。

「どうなった」

 薄れた白煙の向こうを見ると、メナスの背後の壁に大砲で撃ったような大穴が開いている。だが、メナスは無傷のまま、呆然と立ち尽くしていた。

 え、外したのか、この距離で。ゲベルは信じられない顔でロラを見た。ロラに皆の視線が集まる。

「あら」

 ロラが不思議そうに呟いた。

 最初に立ち直ったのはメナスだった。

「おのれ、れおって」

 滑るように間合いを詰め、ロラの胴を横薙ぎに狙う。しかし、鉄砲を捨てたロラはそのまま前に出て薙刀の柄を左の籠手で受けるや、右手を左腰に回して脇差を逆手に抜き、流れるようにメナスの喉首を掻き切った。

 虎落笛もがりふえの音とともにざっと鮮血が噴き出し、メナスは声もなく膝をつく。瞬時のことだった。

 一同が唖然と見つめる中、ロラは鉄面を外して高紐に掛け、ふうと形の良い唇から吐息を洩らし、慣れた手つきでアーク・デーモンに跨って首を外した。寝間衣で脇差の血を拭うと、首の額に突き出た角を掴み、

「どうぞ」

 西瓜すいかでも手渡すようににっこり笑ってゲベルに差し出した。

「う、うむ」

 ゲベルは慌てて血の滴る首を受け取り、

「確かに見届けた」

 なんとか舌を動かし、出来るだけ威厳を込めて応じた。生首の目がじろりと己れを睨んでいるような気がして、軽く身震いした。

 鎧に散った返り血を気にするふうもなく、ロラがはにかむように微笑んだ。

 ゲベルはメナスの首級しるしをクルーガに渡し、隅で震えている女たちに向かって、

「ここはもうすぐ火に包まれる。早う逃げよ」

 グールたちが痛む足を引きずりながら灯明の油壷を見つけてきて、あちこちに振り撒きはじめている。

「はい」

 女たちは頭を下げると、慌てて胸を押さえて立ち上がった。

「鉄砲の音はアンテ城や麓の館まで届いておる。早う逃げねば、アマドの兵が駆けつけてくる」

 かすようにラガンが言った。

「うむ、そうだな。急がねば」

 そのとき、背後から、

「慌てなくても大丈夫よ」

 背後から鈴が鳴るような声がした。声のするほうに振り向くと、女が一人、を掻き合わせて立っている。

「何だ、まだ逃げておらなんだか」

 ラガンが呆れたように言い、

「早う逃げよ。焼け死にたいか」

 威嚇するように小さく唸った。

「ほほ、お優しいこと」

 口に手を当てて笑う女の顔がゆらりと揺れて、銀髪を靡かせたダークエルフの娘の顔が現れた。

「あ、お主は」

「首尾よく仕物しもの果たしましてございます」

 ニドが優雅に一礼した。

「妖術か」

「はい」

 ゲベルは屍骸の山を見渡し、

「これもうぬの仕業か」

「ええ、『通り魔』を憑けました」

 ニドが微笑を浮かべて答えた。

 姿は見えぬが、空中に漂うものがある。妖気の一種だ。これが渡るとき、人は心気乱れて狂を得るという。

 氷のようなおそれが込み上げてきた。だが、そんなゲベルの胸中などお構いなしにクルーガがずいと前に出て、

「鉄砲を使うとは、正気か」

 詰るようにニドを睨みつけた。

「火術無用とは聞いてないわ」

 ニドは平然と言い返した。

「黙れ、無駄な騒ぎは起こすなと申しつけたはず。もうすぐアマド館の助勢が攻め寄せてくるぞ」

「ああ」

 ニドは軽く首を傾け、

「そのことなら、心配御無用よ」

 障子を開けて、南西の方角を指さした。小雨の中、アンテの山の輪郭がおぼろに浮かび上がり、頂上と麓に一際大きな篝火が見えた。アンテ城とアマド家の館だ。

「そろそろね」

「何だ」

 その瞬間、城と館のある辺りに二本の巨大な火柱が立ち、遅れてどおんと低く鈍い爆発音が響いた。天井から細かい埃が舞った。

「何事だ」

 ゲベルは呆けたように口を開けて茫然と呟いた。だが、余りにも愚問すぎて誰も答えない。見れば一目瞭然。アンテ城と麓の館が爆発したのだ。

「ほら、これでもう誰もやって来ないわ」

 爆発の炎の照り返しを受けて、ニドが誇るように言って腰に手を当てた。裳の隙間からちらちら覗くニドの胸は、ダークエルフにしてはいささか慎ましげに見えた。


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