第21話 御用意のよろしいようで
「これで綺麗さっぱり片付いたわ」
「あ、ああ」
ゲベルの喉から
「何ということを。ニド、自分が何をやったかわかっているのか」
クルーガがニドに詰め寄った。
「大丈夫、雨だからそんなに燃え広がらないわ」
「そういう問題ではない」
クルーガが威嚇するように吸血鬼の牙を剥き出した。
「あの、何かいけないことでもしましたか」
ロラが後ろから訊いた。クルーガがロラに向き直り、
「すまない、ロラさんは黙っていてくれ」
「ほれ、やはり、ロラさん、と申しておるではないか」
「ラガン老、静かにしてくれないか」
「ロラ、あんたもよ。ちゃんと両手で撃ちなさいって言ったでしょ。あんな間合いで外すなんで」
クルーガの背中越しにニドが口を挟んだ。
「ちゃんと討ち取りましたよ。それに片手で構えたほうが素敵ですし」
ロラが頬を膨らませて言い返した。
ゲベルは彼らのやり取りを黙って見ていた。悪い冗談だ。床一面に惨殺死体が転がってる中で、田楽芝居を見せられる羽目になるとは。頭が痛くなってきた。だが、自分が口出ししても事態はまったく好転しないように思われて、ゲベルは黙って生暖かく見守ることにした。
やがてナインが寄ってきて、
「殿様、油を撒き終わりました。
「うむ、では」
松明を投げよと言いかけたゲベルをニドが止めた。
「待って、奥に一人いるの」
「誰がだ」
「メナスが嬲っていたお
「人買いから
「ええ」
メナスが出てきた几帳の奥へ進むと緩やかな下り坂になっていて、行き止まりに玄室のような石造りの部屋があった。
「
松明を掲げてナインが呟くように言った。
「恐らく、もとは
さらに進むと薄暗い奥に鉤のついた鎖が何本も下がり、床に薄縁が敷かれている。その上に白いものが蠢いている。松明を向けて目を凝らすと、紅の麻縄に縛り上げられて横たわる若い女の白い裸身だ。後ろ手に縛られた肩が喘ぐように動き、左の足首の枷と部屋の隅の鉄杭が鎖で繋がれている。乱れた黒髪の間からこちらを見る瞳が、松明の火を受けて朝露に濡れた烏の羽のように光っていた。
「むう」
クルーガが感嘆するように低く唸った。
「結び目を作らぬ菱縄縛りか。なんと見事な」
「痴れ者め、何を感心しておる」
ゲベルが前に出て、女の前に片膝をついた。
娘が羞恥に染まった眼でゲベルを見上げた。布で幾重にも
「女、ひとつ尋く」
ゲベルは慎重に言葉を選んで話しかけた。
「その縄化粧は、好きでしておるのか」
娘が何事か唸りながら眼を一杯に見開き、盛んに首を振った。
「殿様、何を申しておるのです」
ナインが怒ったように言って、身を乗り出してゲベルを押し退けた。優しく娘の上体を起こすと、
「私たちは
宥めるように話しかけながら口枷を外し、娘の肢体に絡みつく縄を解くと、広間から持ってきた小袖を娘の肩に掛けた。最後に刀を挿し込んで足枷を
「さあ、もう大丈夫」
娘を真っ直ぐ見て優しく微笑んだ。やっと事態を呑み込めた娘の両眼から大粒の
「なあ、早く逃げねばならぬのではないか」
ラガンが焦れたように口を開いた。
「よし、外に出るぞ」
ゲベルの声に一同が外に出ると、グールたちが松明を投げ込んだ。流石に焼働きに
慣れたグールたちだ。壁といわず天井といわず白煙が噴き上がり、雨の中、教会の母屋はたちまち炎の塊に変わった。
燃え上がる城のほうから、人の立ち騒ぐ声がここまで聞こえてくる。いつの間にか、ニドとロラの姿は消えていた。だが、それに
「逃げるぞ」
討手の者どもは路上を駆けた。足を痛めたグール二人はマンティコアの背にしがみついている。
「ラガン様、申し訳ござらぬ」
「黙って掴まっておれ。こら、
老マンティコアはグール二人の体重を苦にもせず、闇の
「急げ、追手に
松明を掲げて走れば、追手の目標になる。全ては暗がりの中での撤退だった。だが、しばらくすると雨が罷んで東の空が白み始め、半里も行くころになると、足許がしっかり見えるようになっていた。
「この辺りで良かろう」
道沿いに丸い石塚がある。
「首を」
ゲベルが命じると、クルーガが包みを解いてメナスの首を塚の上に置いた。さらにゲベルは懐から紙片を取り出して、首の口に押し込んだ。これを含み状という。
紙にはこう書かれている。
「
後半は誅殺を示す決まり文句だ。
「御用意のよろしいようで」
ナインは一度娘を降ろしながら、感心したように言った。
「仲間割れと思われても
「御念の
ナインが南の方角を眺めた。アンテの山と麓から、太い黒煙が上がっている。
「
そう言って、呆れたように溜息をついた。
「流石は禍神と申すに
ゲベルの言い様には、少しも感嘆したような様子が感じられなかった。お陰でやらねばならぬ仕事が大いに増えた。ゲベルは陰鬱な気分を振り払うように、討ち入りの一党を見回した。
「皆、よう働いた。されば勝鬨」
ナインが刀を抜き、グールたちが長柄を差し上げて、
「
と三度低く唱えた。
早起きの百姓に気取られぬよう小さくささやかな勝鬨だったが、ゲベルが名実ともにイスの谷の実権を握った瞬間だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます