第19話 水路を見て参る

 エイレン城三の丸にある代官所は、イスの谷の行政施設としてだけでなく、客を持て成す茶室や台所、下男下女の休息所まであり、さらに中庭には守城の際の前方指揮所となる掩蓋壕まで設けられていて、その広さは三万坪に達する。

 馬場の番小屋での引見から三日、ゲベルは外を出歩く訳にもいかず、暇さえあれば書庫で書見をしていた。

「なあ」

 ゲベルは書見台から目を離して、肩越しにぼそりと呟いた。

「そこにいられると、気疲れするのだが」

「常に控えていよと申されたのは殿様でございます」

 ナインが取り澄ました顔で答えた。

「役儀を離れて納戸間なんどまに控えておれと申したのだ」

「馬廻筆頭の私が殿の傍におらねば怪しまれましょう。それに」

 あのようなところに押し込められれば気鬱になりますと言って、ナインはそっとゲベルから視線を外した。

「今からでも一味から外れて良いのだぞ」

「あそこまで打ち明けられて、同行するなとは無体なことを仰る」

 ナインがちらと横眼でゲベルを見た。


 ナインは、三日前にクルーガがメナス討ちの供に選んだ三人のうちの一人だった。

 ゲベルはナインが討手に加わることに乗り気ではなかった。しかし、クルーガはナインが小太刀の遣い手であることを理由に、半ば強引に押し通してしまった。

「まことに危険なのだぞ」

「だからこそ参るのです。これも馬廻たる私めの役目でございます故」

「いや、だから」

 なおも言い募ろうとするゲベルに向かって、ナインが挑むような眼を向けた。ゲベルは言葉に詰まったが、気を取り直し、

「城で待つよう命じることもできるのだぞ」

 強い口調で言った。

「ならば、そうお命じなされればよろしい」

 応よ、そう命じてやろうと勢い込んだゲベルの顎が石のように固まった。見返すナインの琥珀の瞳が震えている。ゲベルは言葉を失い、二人は睨み合いながら黙り込んでしまった。どうしよう、ゲベルは途方に暮れた。何がナインの機嫌を損ねたのかわからない。それもこれも、クルーガがナインを一味に加えたせいだ。ゲベルは吸血鬼へいわれのない怒りを抱いた。その時、

「入るぞ」

 引き戸を開けて、当のクルーガが入ってきた。クルーガは二人を見回し、

「どうした」

 不思議そうに眉を寄せた。

「いや、何でもない」

 何故かゲベルは救われた気になり、秘かに安堵の溜息を洩らした。

「何か用か」

「今夜、仕掛けるぞ」

「今夜か」

 唸るように呟いて外を見た。梅雨の小糠こぬかのような雨に濡れて、水気を吸った庭の松葉の色鮮やかな緑がやけに目についた。

「今夜、メナスは供を連れてテカトリア教会に参るそうだ。そこを討つ」

「うむ」

 ゲベルは膝を叩いて応じた。

「供の者どもにも、支度するよう告げてくる」

 クルーガはそう言い残して去っていった。

 ナインの他に選ばれた二人は、秘密を守るため一味神水を交わした上、納戸の間に半ば軟禁の形で留め置かれている。

 四半刻もしないうちに、その二人がクルーガに連れられて書庫に入ってきた。

 二人ともグールで、昼強盗ひるごうとう倉破りの手練れと評判の者だ。一尺半程度の反りの少ない刃に三尺の柄がついた異形の小長巻を携えていた。

「その得物でよいのか」

 ゲベルの問いに、

「夜討ちは太刀より柄長きものこそ最適と申す」

 二人は不敵に笑い返した。

 ゲベルは一同に向かい、

「よいか、メナスを討ち取るのは刺客どもがやる。我らは見届けるだけだ。逸って手出しするなかれ」

「おう」

 ゲベルの言葉に、供の三人が一斉に言葉を返した。


 昼八つになって、ゲベルは城の東門から馬を走らせた。付き従うのはマンティコアのラガンのみ。東門警固の者たちは、

「雨続きで心配故、水路を見て参る。今日はバーサの城に泊まる。案ずるな」

 というゲベルの言葉を素直に信じ、黙って見送った。

 それから暫くして、本丸西の鵜の口から一艘の川舟が静かに漕ぎ出した。ナインら三人は舟底で菰を被り、櫓を漕ぐのもクルーガが手配した者である。

 舟は誰彼たそがれ時を待ってエイレンとアンテの郷境の小川に入り、一里足らずのところで三人を降ろすと、そのまま黙って漕ぎ去っていった。

 三人は土手を上がると数軒の百姓家があり、そのうち一軒の軒先に笠が下がっている。

 三人は黙ってその家に入り、頼もうと声をかけた。出てきたのはこの家の百姓ではなく小袖姿に変装したクルーガだ。

「途中、何事もなかったか」

「いえ、御城代こそ」

 ナインが答えた。

「早う入れ。殿はもう着いておられる」

 三人が足を拭って中に入ると、この家の住人らしいコボルトの女たちが甲斐々々かいがいしく三人に敷物を勧めた。

ささもある。だが、口を湿らす程度にして、今夜の大事に備えよ」

「殿様と勘定殿は何処いずこにおわす」

 グールの一人が尋いた。クルーガはちょっと驚いた顔をして、

「そこにおられる」

 部屋の暗がりに顎を向けた。部屋の片隅に鎧櫃が並び、小具足姿に毛皮の胴服を羽織ったゲベルが、うずくまるラガンを傍に坐っていた。

「これは、御用意がよろしいようで」

「ここはすでに敵地である。うぬらも腹拵はらごしらえが済んだら身支度せよ」

 ゲベルの言葉に、クルーガが中央の炉に掛かった鍋の蓋を取った。旨そうな匂いが部屋に充満した。

「これは」

 思わず三人が鍋を覗き込んだ。

鶏鍋とりなべでござるか」

「このとりを潰した。心して喰らえ」

 クルーガが得意そうに笑みを浮かべた。城でも滅多に食えぬ御馳走だ。一同は箸を取ると、わっと鍋に挑みかかった。


 鍋が空になると、三人は鎧櫃から具足下に鉢金兜、籠手、佩楯、脛当を取り出して身に纏った。

「まことに胴は着けずともよろしいので」

 こういう忍び働きは初めてのナインが訊いた。

「無用。夜の討入りは身の軽きことこそ良けれ」

 ゲベルの言葉に、グールたちが小さく頷いた。


 やがて、クルーガがゲベルの前に片膝をつき、

「そろそろ御発向ごはっこうを」

 低い声で告げた。

「うむ、参るぞ」

 ゲベルが立ち上がるのを合図に、一行は動き出した。このの主人のコボルトが、グール二人に松明の束を手渡し、

「御吉報をお待ち申し上げまする」

 深々と頭を下げた。

 アンテの郷中の百姓たちは、メナス一党に月三十文の矢銭を取られている。無論、領主ではないメナスに銭を払う義理はない。ていの良い強請ゆすりである。こうしてゲベルらを手引きするのは、郷にもメナスへ恨みを抱く者が少なくないことを示していた。ラガンが音もなく戻ってきて、道に人影がないことを告げた。

「ならば、一気にテカトリア教会まで駆けるぞ」

 目的地まで一里半ほどの距離しかない。月もない細雨こさめの中、ゲベルたちは先頭の松明の灯を頼りに走り出した。


 やがて、黒々とした森の中に、微かな灯りが見えてきた。

「見よ、あれがテカトリアの教会だ」

 誰かが言った。

 一行は、土橋の架かった土手の陰に固まるように身を伏せた。

 教会の母屋には煌々こうこうと明かりが灯っている。どうやら宴の最中らしい。だが、

「おかしい、櫓に見張りが見えぬ」

 グールの一人が呟いた。

さとられたのでは。堀を越えたところを押し包んで討つ魂胆やもしれませぬ」

 ナインの言葉で、皆の胸中に恐怖心がむくむくと頭をもたげてきた。こうなると、母屋から聞こえてくる音曲や歓声も、こちらを誘い込む罠のように思えてくる。夜襲という異常な緊張感で、誰もが精神が不安定になっているのだ。

 クルーガが低い声で、

「案ずるな。このまま時を待つべし」

 励ますように言った。

「もうすぐ動きがある」


 闇の中に潜んでどれくらいの刻が経ったか。急に唄が止み、嬌音のような声が響いてきた。情交まぐわいの声かと思ったが、どうも違う。

 すぐに声はくぐもった呻きに変わり、金物を打ち鳴らす音まで聞こえてきた。宴の余興にしては殺気立っている。

「行くぞ」

 クルーガがそう言って走り出した。ゲベルたちは空堀に飛び込み、柵に取りついた。柵を破って庭に入ると、建具たてぐが破れる音と人の駆け回る音が聞こえる。

「何事だ」

 ナインら三人がゲベルを囲むように人垣を作り、刃を寝かせて待ち構えた。

 飛び出してきたのは、裸同然の女の群れだった。悲鳴を上げて一目散にこちらへ走ってくる。

 わあい、おっぱいがいっぱい、と思う間もなく女たちは通り過ぎていく。取り乱してゲベルたち武装した闖入者も目に入らぬらしい。ナインがそのうちの一人の腕を取った。女が怪鳥のような叫び声を上げた。どうやらエルフの遊びらしい。ナインは手で女の口を塞ぎ、

「危害は加えぬ。何があった」

 女は恐怖に強張った眼でナインを見つめていたが、

「斬り合いが、皆様、いきなり御刃傷に」

 要領を得ない答えしか返ってこない。

「どういうことだ」

 ゲベルの言葉に応えるように、室内の騒音がぱたりと罷んだ。

「入るぞ」

 クルーガが声を低くして一同を促した。


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