第18話 恩賞は弾もう

 翌朝、朝餉を済ませたゲベルは、ナイン一人を供に城を出た。雨上がりの青い空の下、東門から北へ馬を走らせて馬場の入り口に差し掛かると、直垂姿のクルーガが待っていて、

「あすこの」

 馬場の番人小屋を指さした。

「裏に回ってくれ」

 馬を降りて裏庭に回ると、家人の姿はどこにもなく、ただ馬場の用心に飼われている黒犬が日当たりのいい縁側で気持ちよさそうに寝転んでいる。

「まあ」

 犬を見て、ナインが思わず声を上げた。

 犬はゲベルらに気づいて耳を立てて頭を上げたが、見知った顔とわかるとまた前肢の間に頭をうずめて目を閉じた。

 縁側に腰を下ろしたゲベルは犬の頭を撫でながら、

「禍神とやらは何処いずこか」

「すでに御前おんまえに」

 クルーガが答えた。その声が妙に間延びして聞こえ、思わず振り向こうとしたとき、犬が心地よさそうに喉を鳴らし、一瞬視界がぐにゃりと歪んだ。

 ほんの一呼吸の間だった。気がつくと、人影が二つ朝日を浴びて目の前に平伏していた。


「あ」

 ゲベルは思わず声を上げた。一人は麻の水干に切袴を穿いた暗褐色の肌のダークエルフの娘、もう一人は顔に猛禽の嘴のような総面を嵌めた鎧武者だ。

 ゲベルの驚きに、クルーガが不審な顔をした。

「ぬしら、まさか」

 ゲベルの口から擦れた声が漏れた。間違いなく、メガンの平原から逃げる途中で見た二人だった。

「おや、すでに見知り置きか」

 クルーガが意外そうな顔を向けた。

「いや、そういうわけではないが」

 ゲベルは口ごもった。クルーガはすぐに興を失ったようで、庭の二人に向き直り、

おもてを」

 その言葉に、二人が上体を起こした。くすんだ長い銀髪のダークエルフの紅色の瞳が、値踏みするように上眼遣いにゲベルを見ている。だが、ゲベルの目はその右隣に控える長身の武者に向いた。鳶頬とびほおの鉄面もだが、その胴鎧の異様さに目が離せなかった。

 女の裸身をかたどった裸形の二枚胴。豊かな乳房が艶めかしく盛り上がり、乳首や臍、腰のくびれまで忠実に再現されている。まるで生身の女の肌を鉄色に塗ったように。戦場暮らしの長いゲベルでさえ、ここまで悪趣味な胴は初めて見た。

 ゲベルの視線に気づいたクルーガが武者に向かい、

「御代官の前だ。兜と面を取れ」

 たしなめるように声を掛けた。武者が黙って兜を脱ぎ、面具を外した。雪のような肌の人間の娘だった。六尺はありそうな背の高い娘だ。艶やかな黒髪を後ろで無造作に束ね、切れ長で張りのある二重の眼に血のように赤い瞳。ふうっと小さく息を吐くと、ゲベルに向かってにっこり微笑んだ。その透き通るような笑みに、ゲベルは思わず吸い込まれるような思いがした。

「殿」

 クルーガが声をかけた。

「お、おう」

 ゲベルは気を取り直し、背筋を伸ばして軽く咳払いした。

「代官のゲベルだ。以後、存じ寄れ」

 一息開けて目だけで二人を見回し、

「名を申せ」

「ヌのミのニドでございます」

 ダークエルフの娘が鈴を転がすような声で答えた。こちらはと隣の黒髪に白い肌の娘を眼で示すと、

「ロラと申します」

 白肌の女が落ち着いた声で告げた。ゲベルは鷹揚に頷き、

「汝らは禍津神まがつかみの技を使うと聞いた。その技で一人、仕物しものを頼みたい」

 ニドという名のダークエルフが、吊り眼がちな一重の眼を妖しく歪め、口許に静かな笑みを湛えた。その妖しい笑みに僅かに気圧されたが、ゲベルは抗うように語気を強め、

「アンテのアマド家の若当主、メナスなる者をつかまつれ」

「承りました」

 ニドが笑顔を収めて小さく頷いた。

「うむ、恩賞は弾もう」

 クルーガがゲベルの言葉を遮るように、

「汝ら二人だけか。他の者はどうした」

「既におりませぬ」

 ニドが平然と答えた。

「そうか」

 クルーガの刃物で彫ったような目の端に微かに驚きと悲しみがにじむのを、ゲベルは見逃さなかった。

「汝ら二人で大丈夫か」

「問題ございません」

 そう言って、ニドは確かめるようにロラという名の娘に目を向けた。ロラが無言で形のいい顎を引いて同意を表した。

「ニドとやら。一つ条件がある」

 ゲベルが犬の頭に手を置いて、ぽつりと口を開いた。

「何でございましょう」

「メナス討ちには、我も討手として加わる」

「殿」

 慌てたクルーガが諫めるように口を挟んだ。

「それは一城の主に似合わぬ短慮な振る舞い。殿はエイレンの城に坐って、首尾を待てばよいのだ」

 しかし、ゲベルはかぶりを振り、

「メナス・アマドはイスの里安堵の贄となる。その場に居合わせるのが、せめてもの礼儀である」

 クルーガが黙り込んだ。

「それでは、代官所の御馬廻衆の皆様も寄手に加わりますので」

 とニドが静かに尋ねた。手柄を横取りされるのを危ぶんでいるのだ。

「家臣は最低限とする。その方らの邪魔はせぬ」

「承知いたしました」

 ニドは口角をいびつに上げて、静かに答えた。


「では」

 クルーガが傍らで立ち上がり、

「殿は領内の巡視などなさるがいい。詳しい話は私が代わってつかまつろう」

 急かすように言った。どうやらこの吸血鬼は、ゲベルと女たちが長々と話し合うことを嫌がっているようだった。

「うむ、わかった」

 ゲベルがナインを連れて庭を離れて振り返ると、柔らかい日の光の中でクルーガが犬を膝に乗せ、その頭を撫でながら何事か話しかけている。先程の女たちの姿はどこにもない。

(面妖な)

「ナインよ」

 ゲベルは馬廻筆頭の堕天使に話しかけた。

「あの女たち、どう見た」

「はて、何のことでございますか」

 ゲベルは目を見開いてナインを見た。

「先程、番小屋の裏庭で引見した女どもだ」

 ナインは形のいい眉を寄せて困ったように首を傾げた。

「憶えておらぬのか」

「殿様は裏庭に立ち寄られて黒犬を撫でておいででしたが」

 要領の得ない顔でナインは言った。

(これも禍神の術か)

 ゲベルは襟首から冷水が滴り落ちるような気がして、そっと身を震わせた。

 二人が表通りまで出て田の虫取りをしている百姓たちを眺めていると、クルーガが戻ってきた。

「連中に伝えるべきことは伝えた。五日のうちに仕掛けるという。連絡を待とう」

「うまくいけばいいが」

 二人のやり取りを、ナインが不思議そうに眺めていた。


 城に戻ると、ゲベルはクルーガとラガンを連れて書庫に入った。

「御首尾は如何でござったか」

 マンティコアの問いに、クルーガは不機嫌そうに腕を組み、

「刺客とは話がついた。やはりテカトリア教会で襲うそうだ。だが」

 怨みがましい目でゲベルを見て、

「殿が討ち入りに立ち会うと申されてな」

「何じゃ、儂は何か間違うたことを言うたか」

 ゲベルも憮然として言い返した。

「ああ見えて、あの二人は仕物の達者。こういうことには手慣れている。殿がいても邪魔にはなれど役には立たない」

「その刺客とやら、よう存じておるようだが」

 ラガンが顔を上げた。

「殿の寄子になる前のことだ。何度か組んで陰働きしたことがある。凄腕だ」

「待て」

 ゲベルが怪訝な顔で口を入れた。

「何か」

「あのニドなるダークエルフは長命故に合点がいくが、もう一人のロラなる娘は、どう見ても二十半ばにしか見えぬ。怪体けたいなり」

「ああ、それは」

 クルーガは僅かに声を低め、

「ロラさんも人に見えて人に非ず。我らと同じく化生の類だ」

「さん、だと」

 ラガンが耳敏く聞き咎めた。クルーガは僅かに狼狽うろたえ、

「あ、いや、何か言ったかな」

 誤魔化すように咳払いし、

「そ、そんなことより、殿よ。供は如何いかがする」

 話題を逸らそうとしているのは明らかだった。ゲベルは軽く苦が笑いし、

「メナスは名高い薙刀巧者。クルーガ、刀槍の巧みな者を三名ほど見繕え。今日にも儂が直接引見する」

「鉄砲は使わぬので」

 ラガンがたてがみを揺らして尋ねた。

「火術は使わぬ。事は静かに運ばねばならぬからな」

 クルーガがかわって答え、確認するようにゲベルの顔を見た。ゲベルは重々しく首を縦に振った。

 鉄砲を撃てば銃声で騒ぎが大きくなる。下手人が明らかになれば、アンテと全面的な戦になりかねない。それだけは避けたかった。

「ああ、そうだ。三人の他に、私も付き添うぞ」

 クルーガは、さも当然という顔で告げた。

「わかった」

「ならば、それがしも」

 ラガンまで声を上げた。ゲベルは苦々しく煙草を噛み、

「我ら三人とも城を留守にして如何する」

 言いながら灯明に手を伸ばした。

「それがしのみ仲間外れとは情けない仰せかな。取り籠りならばそれがしを外す策はござらぬぞ」

 ラガンは不満そうに唸り声を発した。

「わかった、わかった。血生臭さの抜けぬぬえ殿よな」

 煙草の煙を吐きながら、ゲベルが肩を揺すった。

「鵺ではない。マンティコアでござる」

 マンティコアは大きく欠伸をくれてから、にたりと口吻を歪めた。


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