第17話 玉を抜いてくれ

 イスの谷はすっかり梅雨に入っていた。空は青いが、日照雨そばえの雨粒が田に幾つも波紋を描いている。

 イスの谷の南に繁る森の小径に設けられた関では、番人たちが雨を避けてのんびり暇を潰していた。丈六のやぐらと狼煙台だけはやけに立派だが、番屋自体は矢除けの幕が張られただけの小屋一棟で、柵も門もない。関銭を取るための関ではないので、中は至って簡素だ。狼煙の束柴たばねしばが積まれている以外は荒筵あらむしろ一枚に床几と脇机だけ置かれていて、そこに小具足姿の関守が坐っている。小屋の隅では控えの雑人たちが無駄話に興じるか眠りこけていた。

 関守のロック・ロギンは愛用の四匁半鉄砲を脇机に置き、戸口から外を眺めつつ一心に筆を動かしていた。

「若様、根を詰めすぎますなや」

 中年のグールの雑人頭が、白湯の欠け茶碗を持ってきた。

「若僧扱いいたすな」

 ダークエルフの関守はいささっとして筆を置き、茶碗を受け取った。

「いんや。バーサにお勤めのダークエルフの旦那がたで、わいらより齢下はロック様だけじゃげな。精々、若者扱いさせてもらいますだに」

 小屋の隅のグールたちが小さく笑い声を上げた。それは、まだ幼さの残るダークエルフの青年を嘲るような笑いでは決してなかった。

 ロック・ロギンの家は谷の南を守るバーサの城付しろづきで、兄二人も同じ城に勤めている。去年元服したロックも城に受け持ちの狭間を与えられていたが、最近はこの関の当番衆に任じられて、四日に一度はこの関の小屋で起居している。

わいらは皆、ロック様の御父上には永く仕えておりましたからな。失礼ながら、ロック様がまるで自分の倅のように思えますのじゃ」

 その父も三年前の戦で死んだ。グールは、どこか懐かしむような眼差しでロックを見た。

 ロックはどう答えていいかわからず、長々と嘆息して白湯を啜った。グールは戸口に近づいて空を見上げて灰色の顔を歪め、

「こりゃあ雨はもうすぐ酷くなりますぞ」

 ぼつりと呟いた。

「わかるか」

 ロックが整った顔を向けた。グールは西の空を指さし、

「へえ、あっちに悪い雲が浮かんでますからな」

 確かに黒々した厚い雲が見える。勿論、大雨が近いくらいはロックも承知していたが、この雑人頭を失望させたくなかった。

「なるほどな」

 ロックは初めて知ったように感心して大きく頷き、グールは得意げに鼻を鳴らした。


 その時、櫓の板木を激しく打ち鳴らす音が小屋の中まで聞こえてきた。

 音の拍子に異状を察した小屋のグールたちが、手槍を持って道に駆け出していく。

「ロック様は中に」

「うむ、心得たり」

 ロックが鉄砲を取り、早盒はやごうを使って素早く装填していく。曲者ならばグールたちが逃がさぬように取り囲み、隙を見て取り押さえるか鉄砲で討ち取ることになっている。

「まだ火蓋は切られませぬよう」

「応よ」

 飛び出したグールの一人が櫓台を見上げ、

如何いかがした」

 と一声叫んだ。櫓から人影が身を乗り出し、

「南から不審の一名、荷も持たず、旅の商人あきんどにも見えず」

 だいたい、旅商人はアンテの市に通うために表の街道を使う。この道を通ることはまず考えられない。

「風体は」

「菅笠に蓑を着て、ようわかりませぬ」

怪態けったいな」

 グールの雑人頭は呻いて、小屋の中のロックに顔を向けた。ロックが緊張した面持ちで頷き返す。


 この時代、沿道には狂暴な野盗山賊が出没するのが当たり前だった。時には村丸ごと盗賊に変じて旅人を殺害し、その荷を奪うことも珍しくない。このため、有徳うとく商人あきんどや馬借は、荷を守るために武装し、合戦支度の隊商を組んで街道を押し通る。旅する者は、こうした隊商に銭を払って身を寄せるのが普通だ。一人歩きの旅人はそれだけで奇異なのである。


 やがて、雨の中を人影が近づいてきた。見張りの言った通り、時折蓑を揺すって雨滴あましずくを振り払いながら、足早に関に近づいてくる。

「これ、いずれの者か」

 グールたちが、不審者を取り囲むように立ちはだかった。手槍を立てて敵意こそ示していないが、いつでも打ち懸かれる態度だ。

 旅人はゆっくりと菅笠の前を上げた。

「げっ」

 顔を覗き込んだグールの一人が変な声を上げた。

「これは、御城代様」

「うむ、役目御苦労」

 吸血鬼のクルーガが、にたりと気味悪い笑みを浮かべて雑人たちを見回した。慌てて出てきたロックがクルーガに深々と頭を下げ、

「これは御城代様、このような場所をお一人とは」

 震える声で言って、ちらと上目遣いに吸血鬼を見上げた。若い彼は、これほど間近に城代を見る機会など今までなかった。

「御代官の特命である。詮索無用」

「ははあ」

 ロックたちが頭を下げる。クルーガは満足そうに頷き、

「先程の皆の動きは見事である。ジャナ殿にもそう申しておこう」

 バーサの城主の名を出し、ロックたちは畏れ入るように更に頭を低くした。クルーガは一同の大仰な様に軽く苦笑いし、

「歩き詰めで喉が渇いた。水を貰えるかね」

「へえ、こちらへ」

 雑人頭のグールが番小屋へクルーガを誘った。中に入ると、火縄の点いた鉄砲が机に置かれている。クルーガはそれを認め、

「玉と玉薬を無駄にしてしまったか。怪我人を出す前に玉を抜いてくれ」

「はっ」

 ロックが鉄砲を持って小屋の外へ出て行った。それを見送りながら、笠も取らずに床几に腰を落とし、

「ロギン家の三男か」

「へえ、去年からバーサのお城勤めをなさっております」

 白湯を注いだ欠け茶碗を机に置いて、雑人頭が答えた。

「ふむ、親父殿によう似ている。あれは鉄砲の名手だった」

「へい、御兄弟の中でも一番の生き写しでございます」

「そうか」

 答えながら、クルーガはゆっくりと茶碗に口をつけた。外で、ぱあんとロックが鉄砲の玉抜きする発砲音が響いた。


 クルーガがエイレンの城に戻るのを見計らったように、谷は低い雲に覆われ雨は本降りになった。

 ゲベルとラガンが勝手口まで出たとき、クルーガはかまちに腰掛けて、下女がすすごうとするのを断って自分で足を洗っていた。ゲベルは、下働きの者たちを人払いして傍にしゃがみこんだ。

「遅かったな。待ち兼ねたぞ」

「道が混んでいてな」

 たらいに足を漬けたまま、クルーガは答えた。

「首尾は」

「うむ、上々だった」

「そうか。それで『禍神』とやらは何時参る」

「もうイスに入っているだろう」

 明日の朝、その者を御覧に入れようと言いながら、吸血鬼は足を拭った。

「今からでも良いぞ」

「今日はもう遅い。もうすぐ日も落ちる」

「事は急ぐのだがな」

「禍神は夜見ぬもの。これも古くからの慣わしだ」

 クルーガは立ち上がり、奥へ消えた。


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