第14話 ほんに食えぬお方ですこと

 一行を誰何したエルフの後に立って裏口を抜けると、道は鋸刃のような九十九折つづらおりで、あきらかに敵襲に備えていることが見て取れた。山中のあちこちに丸い土盛りがあり、樹木が絡みついている。奥に進むにつれて、その数はどんどん増えていった。

「あれは塚でございますか」

 小具足姿のナインが誰に問うとでもなく不安そうに呟いた。

「土蜘蛛の塚と聞いておるが、我らもよう存ぜぬ」

 案内役のエルフが振り向こうともせずに素っ気なく答えた。

 土蜘蛛とは古代の先住民族の一つだ。山に穴居して採取生活をしていたというが、時の魔王国政権に何度も苛烈な誅戮ちゅうりくを受けて山中深くに身を隠した。これを怨みに思った一部は山を下りて人里に出没し、盗みや殺人を繰り返した。人々はこれを伝承や謡曲に残して長く恐れたという。


 やがて、目の前に浮草に半ば覆われた大きな湖水が見えてきた。その向こうに簡素な桟橋が見える。奥に、確かに人の住居すまいの気配がした。

「清げな池ですね」

「我らは瓢箪ひょうたん池と呼び慣らわしておる」

 エルフは面白くもなさそうに鼻を掻いた。

「どのように渡るのです」

 ナインの問いに、エルフは池畔いけのはたの平石に腰かけながら、

「迎えが参る。しばし待たれよ」

「何か合図でも送りますのか」

「しなくとも、もう向こうは気づいておるわいな」

 言い終わる前に、葦の間から音も無く川舟が二艘現れた。二艘は二本の太い腕木で連結され、腕木の上に歩板が並んでいる。櫓を操る二人のエルフはよほど息が合っているらしく、舳先に僅かな細波さざなみすら立たない。

「門橋ですか」

「これくらい用心せねば、斎主様の御心を安んじられぬでな」

 案内のエルフが得意げに薄く笑った。


 池を渡ってなおも進むと、草屋そうおくが立ち並び、炊煙がしきりに上っている。草屋に出入りするエルフの男女が無遠慮な視線を投げてくる。何人かは弓を左肩に掛けて、腰のえびら征矢そやが並んでいた。

(山奥にこのような大きな集落が)

 ナインは息を呑んだ。

 エルフは「不老の民」と呼ばれている。その名の如く、成年に達すると齢を取ることを忘れたかのように容姿が変わらない。男も女も見目麗しい二十前後の若さに見えて、それがかえって不気味だった。

 ここでは自分たちが余所者だと気づき、ナインの心底にようやく恐怖心が沸き上がってきた。

 さらに進むと、一際大きな館が見えてきた。館の土台は人の高さほどもあり、窓には細かい格子がはまっている。その前で、案内のエルフが居住まいを正して膝をつき、

きざはしを上がり、坐りますよう」

 と頭を下げた。その言葉に従って、ゲベルたちは備え付けの桶で足を濯いで段を上がった。階段は三段に構えられていて、一段が一尺半もある。鎧武者の斬り込みに備えて、こういう造りになっているのだ。


 室内は何の飾り気もない白木の板敷きだった。簡素な護摩壇の手前に薄縁うすべりが敷かれ、左右に内侍ないしたちを控えさせて斎主のクレイが坐っていた。

 麻のゆったりした千早ちはやに緋袴、長い紫銀色の長髪を文様織の絹の鉢巻で止めている。つるりとした瓜実顔で、鼻筋は高く通り、厚目の唇に薄く紅を引いている。紫色の瞳の眼底に強い光が宿っていた。

「これは斎主様、御機嫌麗しゅう」

 相手は宗教指導者なので、ゲベルも丁重な物言いをする。

「代官殿、よう参られました」

 クレイも口許に僅かに微笑を浮かべ、

「過分な贈り物をいただき、嬉しく思います」

 既に、表の社に卸された荷の詳細は奥殿に伝わっているようだった。

「気になされるな。過日の斎主様のお骨折りに対する僅かばかりの礼でござる」

 ゲベルが懐から包みを取り出して広げた。髪の束がいくつも並んでいる。髪をまとめている紙束しそくに文字が書き入れられていた。

「討死にした十一人の形見でござる」

 控えの巫女の一人がさっと進み出て包んでいた布ごと両手で捧げ持ち、クレイの前に置いた。クレイは手を伸ばして戦死者の遺髪に触れ、それから瞑目して短く何事か唱えた。

 巫女が再び包みを取り、奥へ消えるのを見計らい、

「手負い七人は里の施療院にて手当を受けてござる。いずれも浅手で、日ならずして家に帰れましょう」

「それは何より」

 クレイは安心したように溜息を洩らした。

「返す返すも礼を申さねばならぬ」

「この地に暮らすエルフにとって、やむを得ぬこと。それに、其文字そもじには我が宗門の法難を救うてもろうた恩もあります。浄土の門を潜った彼らも、精霊神アルタルの御加護よろしきをもって、きっと来世は報われましょう」

「そう言っていただくと有難い」

 ゲベルはゆっくりと点頭し、

「これからも斎主様の力添えをお願いせねばならぬ」

 そう言って、注意深くクレイを見つめた。

「魔王様御討死に関わりあることでございますね」

 クレイの声が僅かに震えている。

「然り」

 ゲベルは平然と応じた。

「いずれ、このイスの里にも神聖連合軍の兵が寄せてくるのは必定。その折は」

「その折は」

「年寄や女子供を匿うていただきたい」

 クレイは僅かに眉を寄せた。巫女たちの間に動揺が走った。

「それ程に差し迫っておるのですか」

「今すぐというわけではござらん。だが、最悪を想定せねばならぬ。城が落ち儂ら討死にの際は、連合軍と交渉を持って民の安堵をお願いいたす」

 ゲベルの言葉に、クレイは目を閉じて大きく息を吸った。

「むしろ、我ら社の者も加勢いたしましょう。エルフの女は男に劣らぬ弓の達者揃い。きっと力になれるはず」

 もともと、エルフは女も男と並んで戦場に立つ勇猛な種族だ。だが、ゲベルは右手を上げてクレイの言葉を制し、

「それは御勘弁いただこう。女子おなご戦場いくさばに出すのは、我らの流儀に非ず」

 クレイは怪訝な顔をした。

「それは異なことを。現に代官殿のお供にも、女性にょしょうつわものがおられるではありませんか」

 ゲベルの後ろに控えるスフィンクスたちに眼を向けた。

「スフィンクスは女怪にょかい。種族に男子おのこがおらぬ。女子おなごにして女子おなごに非ざる者」

 背後でシャイラらが頷く気配がした。

「そちらの深紫の髪の近習殿は」

 クレイはなおも問うた。

「この者はダーク・エンジェル、堕天使でござる。元より陰陽いんよう定かならぬ者。女子おなごではござらん」

「随分と身勝手な言い分に聞こえますが」

 クレイは皮肉めいた笑い声を上げた。だが、ゲベルは気にするふうもなく、

「御了簡いただきたい」

 クレイは、ゲベルの語気の鋭さに僅かに驚きの表情を浮かべ、まじまじとゲベルを見つめていたが、

「わかりました。上等のささと反物は、そのための前恩賞でもあるのですね」

 諦めるように呟いた。それを確かめて、ゲベルが口をにんまり曲げて微かに頷いた。

「ほんに食えぬお方ですこと」

 クレイが首を傾けて苦笑いを浮かべた。


 ゲベルは大いに満足し、

「これで後顧の憂いはなくなった。そうだ。斎主様には別に土産を持参いたした」

「土産とは」

 ゲベルは答えず、懐から紫水晶の長数珠を取り出した。

「旅の商人あきんどからあがのうたものでな。手に巻いて良し、首に掛けても良し。斎主様の御髪おぐしと瞳に良う映えると思いましてな」

 両手でかざすように持ち上げた。

「それはそれは」

 クレイが微笑んだ。控えの巫女が受け取ろうと立ち上がるのを手で制し、自ら立ってゲベルに歩み寄った。


 クレイはゲベルの目の前で端座し、ゲベルが手にした数珠を眺めて、

「まあ、ほんに美しい」

 呟くように溜息を洩らした。

「それは贈った甲斐があり申す。男冥利に尽きるというもの」

 ゲベルはにこやかに応じた。が、クレイは笑顔のまま、

「困ります」

 唇を動かさず、ゲベルだけに聞こえる細い声で、

「このような場所でこんな真似をされては、巫女たちに誤解されてしまいます」

「誤解させておけばよろしい」

 平板な声でゲベルは応じた。しかし、クレイは更に顔を近づけ、

「もうこのようなれは二度となさいますな」

 声に怒気が籠っている。それからゲベルの耳許に口を寄せて、

「いつぞやの初穂祝いの夜のことを誰かに喋れば、心の臓を切り裂いて壇にべますからね」

 心臓が凍りつきそうな冷えきった声で囁いた。顔面に貼り付けた笑顔の仮面に青筋が立っている。

「それも悪くないかもしれぬ」

 ゲベルは抜け抜けとささめき返し、にたりと笑った。


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