第13話 下馬するに及ばず

 三日後、ゲベルはナイン以下馬廻五人とシャイラ率いるスフィンクス騎兵五人、それに雑色ぞうしきに口取りされた荷駄馬数頭を引き具し、チベ川の浅瀬を渡りマギ岳へ向かってぽっくりぽっくり馬を進めていた。

 ゲベルは編笠にいつもの毛皮の胴服を小袖の上から羽織って、ゆらゆら鞍上で揺られていた。途中、出会った百姓たちに機嫌よく声をかけ手を振ったりしている。だが、従う者たちは物々しい。馬廻もスフィンクスも鎧姿で、しかもスフィンクスたちはいつでも騎馬鉄砲を放てるよう、早盒はやごうを高紐に掛け、胴火の火が消えぬよう時折火口を回している。

「お前はマギ岳に参るのは初めてであったな」

 ゲベルが後ろを振り返ってナインに話しかけた。

「表のやしろは何度かございますが、奥殿おくでんに進んだことはございません」

 馬を並べてナインが答えた。

 八年前、精霊神アルタルを奉じるエルフの巫女集団がイスの谷に流れ着き、マギ岳を聖地と定めてそこにやしろを築いた。有体に言えば、祖国で宗門争いに敗れて国境くにざかいを越えてはるばるこの地まで落ちてきたのだ。神聖連合に加わっているカルフィール・エルフ自治領は精霊信仰の支配する宗教国家で、宗教論争の敗者は異端と見なされて狩り殺されても文句を言えない。

 ゲベルは、谷の入り口で彼女たちを出迎えたとき、少なくない者が疵を負っていたことを思い出した。ゲベルは彼女たちを快く手当して食を与え、手厚く出迎えた。入植者の中には亡命してきたエルフが少なくなかったからだ。それ以来、巫女たちは社に籠り、精霊アルタルに祈りを捧げて半ば隠退した日々を送っている。今では里の者たちもマギ岳とは呼ばず、巫女岳と呼ぶようになっていた。

「それで、何の御用で参られますのか」

 ナインが問うた。

「此度の陣触れでは、エルフの動員に裏から口添えしてもろうた。礼をせねばならぬ」

 谷のエルフは今回の出陣で弓達者百二十と陣夫五十が出兵し、手負い討死も出している。

「直接、殿が出向く程のことではございますまい」

 召し出せばよいものをとナインは言った。

「そう申すな。相手は仮にも一派の巫女頭みこがしら。礼を尽くして損のない相手だ」

「どうだか」

 ナインが半眼でゲベルを睨むように見つめた。

「何だ、何か申したいことがあるのか」

「いえ、何も。ただ、巫女岳の社はエルフの美女びんじょ揃いであろうと思うただけでございます」

「何を申すか」

 だが、ナインは動じず、口の端に皮肉めいた笑いを浮かべた。

 代官所の濡縁での一件からナインが回復するのに一両日かかった。以来、ナインは眼つきや言葉の端々にけんにじませるようになっていた。

(これはいかんなあ)

 ゲベルは打飼袋うちがいぶくろを取って、煙草を探った。


 クビルの山城を遥か左手に眺めながら進んでいると、前方の河原に武装した兵の一群が屯するのが見えた。その中から騎馬が一騎、こちらに駆け寄ってくる。小振りな鍬形の前立をした三十六間の筋兜に茶染の韋包かわつつみ二枚胴の武者が馬から降りようとするのを、

「よい、下馬するに及ばず」

 すわえを振って止めた。だが、武者は構わず飛び降りてゲベルの馬前に片膝をつき、庇に指を掛けて顔を上げた。グールの灰色の顔がゲベルを見上げる。

「ようお越しなされまいた」

 ゲベルは苦々しく笑い、

「ナバロよ、出迎え無用と申し伝えたはずだぞ。それを城主自ら出張って参るとは」

「しかれども、代官様が我が城の眼下をお通りあるを、みすみす櫓より見送るなど出来るはずもござらぬ」

 ゲベルは軽く舌打ちをくれ、

「マギ岳の社に参るだけだ。それを城主自ら城を手薄にして如何いかがする」

 だが、ナバロは聞いていない。

「ならばせめて社前まで先手つかまつらん」

 と勝手に決めて、馬首を巡らせて大きく竹のむちを振った。長槍兵と鉄砲兵たちが路上に出て列を組みはじめた。

 ナバロが得意満面な顔で振り返る。ここで口論しても始まらない。ゲベルは長々と嘆息した。


 しばらくして、ゲベルは鞍に左脚を乗せながら、

「ナバロよ」

 と低い声で呼んだ。

「は」

「社参りの精進落としにクビルに寄ってから話す積りであったが、今のうちに申しておく」

「何でござるか」

「クビルには砲が二門あったな」

「確かに八斤砲が二門ござる」

「先日の戦で、敵から十斤野砲を三門、六斤騎砲を四門分捕った。うち六斤砲を二門、汝に預ける」

「騎兵用の短加農でござるか」

 まあ、無いよりはましでござるが、と余り嬉しくなさそうな顔をした。八斤砲より小口径で砲身も短く、威力と射程で大きく劣る。ナバロの落胆を見透かしたように、ゲベルは続けた。

「馬鹿にしたものではないぞ。鍛冶場で量ったところ、目方は五十貫余、筒だけならば三十貫足らずだ」

 ナバロは大きく目を見開いた。

「八斤砲の六分の一でござるか」

「うむ」

「陣地変換には便利そうでござるな」

「それだけではないぞ」

 ゲベルはにたりと笑顔を浮かべた。

「エイレンが囲まれたならば、汝は六斤砲を牽いて敵の後背を巻くのだ」

「ははあ、なるほど」

「数日のうちに整備も終わる。今のうちに曲輪に掩体を用意しておけ」

「承り候」

 ナバロは何度も頷き、何事か考え込むように黙り込んだ。恐らく、新たな砲の運用を考え込んでいるのだろう。


 道はやがて山中に入っていった。馬の脚が辛うじて立つ険しい山道だ。巌畔がんばんを十町ばかり登り、そこから獣道に似た藪の隙間を進むと、ようやく道が広がった。尾根の向こうに檜皮葺ひわだぶきの大きな社殿が見える。農繁期で参拝する百姓の姿もなく、周囲は清々しい静寂に包まれていた。一行はようやく足を止めて汗を拭い、森の気を胸一杯に吸い込んだ。と、スフィンクスのシャイラが、

「殿様」

 押さえた声で囁いた。ゲベルも気づいた。身近に動くものの気配がする。

「うむ」

 答えて気配のほうに目を向けると、

客人まろうどよ」

 藪の中から声がした。

「クビルから参られたか」

 ナバロが庇うように前に出て、 

「これなるはイスの里の代官である。今日は斎主さいしゅ様にみつぎをせんと参った」

 と答えると、今度は、

かんばせを拝見」

 反対側の藪から声が聞こえた。

 ゲベルが苦笑しながら笠を取ると、頭上の梢が震え、木の葉とともに黒いものが降ってきた。

 山に棲む猿ではない証拠に、烏帽子を被り汚れた単衣を着ている。

「これは御代官様。ようお越しなされました」

 エルフの男がわざわざ泥を塗った顔を上げて、笑みを浮かべた。

「いつもながら、用心深いことだ」

「お許しを。つい金気かなけの臭いをまとわせて、用心するなと申されるほうが無体でございますよ」

 ここで馬から降りられますようと言って、ゲベルたちを中へ促した。ゲベルはナバロに顔を向け、

「道中の警護、苦労だった。明日クビルの城に寄るが、今度こそ出迎えは無用ぞ」

「承りました。お待ち申し上げておりますぞ」

 そう言って、ナバロは兵を率いて来た道を戻っていった。


「ささ、中へおざれ」

 案内のエルフに促されて扇の形に編まれた杉の小枝の飾り門を潜り、ゲベルたちは中へ入った。

 突然の代官来訪に、屋形はちょっとした騒ぎになった。すぐに遣戸やりどが外され藺草いぐさの敷物が並べられた。雑掌ざっしょうの巫女が進み出て膝をつき、

「御代官様には急なお越し、いったい何事でございましょうか」

 物腰は丁寧だが、言葉には急な訪問に対する棘があった。

「うむ、参拝ついでに此度こたびの出陣における斎主様の御力添えへの返報に参った」

 戸口に向けて顎をしゃくった。そこでは、雑色たちが荷馬の背から荷を下ろしている。

銭貫ぜにつらなどお持ちしてもこのやしろでは役にも立つまいと思い定め、上澄み酒に白布しらぬの生絹すずしを持参した」

 途端に巫女の顔がぱっと明るくなった。

「それはそれは、斎主にかわり御礼おんれい申し上げます」

「それともう一つ」

「はて」

 巫女は微かに疑うようにゲベルを見つめた。ゲベルは真面目な顔を寄せて声を低め、

「斎主様の名にも関わる大事が出来した」

「え」

く、斎主様にお会いしたい」

 雑掌が顔色を変えて奥に引っ込んだ。

「こうでも言わねば、会えぬからな」

 ゲベルはナインに悪戯っぽく笑いかけ、出された茶を啜った。

「よろしいのですか」

 ナインが心配そうな顔をした。

「良いのだ。たまには斎主の顔を見るのも大事よ」

 小半刻も経った頃、雑掌が戻ってきて居住まいを正した。

「斎主がお会いいたします。まずは具足を解き、金物かなものは全てお外しあれ」

「うむ、承知した」

 ゲベルは悠然と帯から小脇差を鞘ごと抜き、板床に置いた。


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