第12話 私めが何か仕出かしましたか

 やっと帰城の細々こまごました手続きが終わり、ゲベルは代官所西の廊下の濡縁に一人胡坐をかいて煙草を燻らせていた。茶の小袖に亜麻色の四幅袴よのばかまで、愛用の熊毛の胴服を着ていなければ城の下男にしか見えない。庭の反対側に、芝を貼られた土塁の角が大きく盛り上がっている。八斤砲の掩蓋掩体だ。エイレン城の外郭には同じような掩体が八基設けられていて、更に予備の露天掩体を二十ばかり備えている。その向こうにチベ川が流れ、対岸の山頂にメキラ城が見える。山砦さんさいといってもいい規模の小城だが、チベ川西岸を抑える要衝である。エイレン城を攻める敵軍は、メキラ包囲にかなりの兵数を振ることを余儀なくされ、西からの攻撃はほとんど不可能になるはずだった。

 田畑に大勢の百姓が取り付くように働いている。用水路では古いオートマトンが踏車ふみくるまを回して田に水を汲み上げていて、農家のわらべたちがその動きを熱心に見つめていた。その様を遠く眺めて、ゲベルは大いに満足して紫煙を吐いた。

「殿様」

 声をかけられて顔を向けると、そこに馬廻筆頭のナインが立っていた。

「お、おう」

 昨夜の記憶が蘇り、ゲベルは慌てて煙草を揉み消した。

「どうした」

 ナインは常のように落ち着いた所作で膝を折り、

脚力かくりきが戻りました」

 脚力とは、遠国御用の乱波を指す隠語だ。探索方支配のクルーガが不在のため、臨時にナインが彼らの報告を取り次ぐことになっていた。

「うむ。聞こう」

 ナインは小さく点頭し、松の木立に向かって、

御前おんまえに」

 と声をかけた。薄茶色の毛皮の塊のような人影が走り寄ってきて、沓脱石くつぬぎいしの前に平伏した。

「作法は無用だ」

 ゲベルの声に、塊が顔を上げた。エンザンという名のコボルトだ。クルーガ手飼いの乱波で、央山街道沿いの連合軍の状況を窺見うかみさせていた一人である。

 エンザンは小さく息を吸うと、

「既に、メガン以東の街道筋十二城のうち五つが開城との由」

 城の名を西から順に告げた。

「残る七城は」

「開城交渉や小競り合いはあるものの、大方は近隣の百姓に銭を撒いて付城つけじろを築き包囲に留めておるようでござる」

 城方の逆襲や城を救援しようとする後巻うしろまきに備えて攻城軍が築く城だ。

「連合軍主力の先手は、今どこまで来ておる」

「恐らく、今頃は都の外哨線に達したものと。今も、連合の増援が陸続と街道を都へ向かっており申す」

「早いな」

「それと」

 エンザンが声を潜めた。

「連合軍は街道沿いの村々に乱入、至る所で青田刈りをしておる由」

「何と」

 ナインが嫌な顔をして小さく呻いた。ゲベルも代官なのでナインの気持ちは十分に理解できる。取り入れ前の田を焼くのは最も卑劣な略奪行為だ。百姓の多くが田を見限り、村を捨てざるをえない。都市に流れ込んだ哀れな難民の姿を、ゲベルも幾度となく目にしてきた。

「して、ガシュウの様子は如何いかん

イスの里から南十里足らずに位置する町の名だ。魔王国でも有数の大族であるクルツ・メルナージ侯の本拠地でもある。連合軍がイスに攻め寄せるには、まずガシュウを落とさねばならない。

「メルナージ侯は栄螺さざえの如く領内の城々に兵を籠らせ、抗戦の構えでござる」

「侯は血気盛んなお方だからな」

「だが、今のところ連合軍がガシュウまで寄せてくる兆しはござらぬ」

 西四十里足らずのトランドを占拠し、そこから動かず物見を繰り出すばかりという。

「トランドに居座っておる連合軍はいずれか」

「ヒマナス共和国軍でござる」

「連中か」

 ゲベルは腕を組んで唸った。王権を認めず、共和主義という題目を唱えて人民会議なる怪しげな連中に率いられた国だ。

「ふむ、ならば当分は連合軍がイスまで攻め寄せてくる心配はないか」

「今のところは。梅雨明けを待って、ガシュウに寄せるものと」

 トランドとガシュウを結ぶネクテリ往還は険しい山道だ。雨で兵が無駄に消耗することを嫌っているのだろう。

 ゲベルは大きく首を縦に振り、コボルトの乱波を見つめ、

「よう調べた」

「辻々の乱波宿で仕入れまいた」

 乱波は独自の情報網を持っている。各家に傭われた乱波は、各地に散在する乱波宿につどい、そこで情報を交換し合う。乱波宿は人宿ともいい、臨時傭いの乱波を仕入れることもするという。

「そうか、苦労。次はトランドの共和国軍の動向を探って参れ。いつ兵を動かすか知りたい」

「は」

 ゲベルは沓脱石を降り、扇を広げて懐の皮袋から取り出した銀を数粒盛ると、エンザンの前に置いた。

「当座の褒賞かずけだ。路銀の足しにせよ」

「あ」

 エンザンはぽかんと口を開けて、ゲベルの顔と銀粒を見比べていたが、

「ありがとうございまする」

 地に頭を擦りつけた。

「そのような真似をするな。儂はそういう振舞いは好まぬ」

 ゲベルの言葉に、エンザンは銀をうやうやしく押し戴いて懐に入れた。

「これからも、代官所のために力を貸してくれよ」

 エンザンは何度も振り向いて頭を下げながら、庭の木々の間に消えた。


「殿」

 扇子を拾って縁に戻ったゲベルに、ナインが半眼で苦々しげに口を開いた。

「道ならぬ者に軽々しい成され様でございます」

 銀粒を与えるにしても、庭に撒けばそれで十分と言った。

 ナインのような武者は、不正規兵である乱波に対して多かれ少なかれ職業的偏見を抱いている。特にエンザンは常傭つねやといの乱波ではないため、銭次第で簡単に敵に転ぶ狐狸こりに等しい者と見做みなされている。だが、ゲベルは首を振り、

「大道芸と一緒にするな。の者の功は戦陣の物見と同じぞ」

 ナインは目を閉じて小さく息を漏らし、

「仰せの儘に」

 澄まし顔で小さく返事をした。

「それより」

 ゲベルは辺りを見回して声を潜めた。

「はい」

「あの、その、昨夜のことであるが、儂は全く気にしておらぬぞ」

「はて」

 ナインはきょとんとした顔でゲベルを見返した。

「ほれ、湯殿のことである」

「さて、私めが何か仕出しでかしましたか」

 迷いのない瞳で見返され、ゲベルは面食らった。

「も、もしかして、覚えておらぬのか」

「殿様と湯に入り、ささを頂戴いたしました」

「それから」

 ナインは思い出そうとするかのようにきりりとした眉を寄せ、眼を宙に泳がせていたが、

「よう覚えておりませぬが、確かそのまま室に戻り、寝入りましてございます。疲れておりました故、酒精がよく回ったのでございましょう」

「それだけか」

 ゲベルの窺うような目に、ナインは怪訝な顔をした。

「それだけでございます」

「そ、そうか、覚えておらぬなら、それで良い」

 思わず安堵の溜息が漏れた。

「何かあったのでございますか」

「いや、何もない。何もなかったぞ」

 とぼけてみせたが、射貫くような視線に思わずたじろいだ。

「う、うむ、実はな」

「はい」

 ゲベルは柄にもなく顔が赤くなった。

「儂と汝が口吸いした」

 ナインはっと恥じ入るゲベルを眺めていたが、突然ぷっと噴き出し、

「はは、お戯れを」

 腹を抱えて笑い転げ始めた。どうやらナインは本当に記憶を失っているようだった。

「う、うむ。戯言ざれを申してみた。面白かったか」

 ゲベルもナインに合わせて笑おうとしたが、力無く口が曲がっただけだった。

「いやはや、殿様は本当に冗談が下手でございますな」

 ナインは目の端に浮かんだ涙を拭い、

頓狂とんきょうなことを申される。如何いかに酔うたとはいえ、蚯蚓みみずを召された口と親嘴しんしを交わすなど」

 そこで言葉が途切れた。堕天使の眼が大きく見開かれ、口が呆けたように開いたまま固まり、

「あ」

 擦れた声が出た。硬直した顔の中で琥珀の瞳だけがそっと動いて、醒めきったつらのゲベルと視線が合った。次の瞬間、ぼっと弾けたように青紫色の顔が朱に染まった。

「思い出したか」

「は、はい」

 顔を両手で覆って俯きながら、小さい声でナインが答えた。蘇った記憶の恥ずかしい奔流がナインを打ちのめした。

「これはとんだ御無礼を」

 ぷるぷる震える指の間から、消え入りそうな声が忍び出た。

「構わぬ。どうせ蚯蚓みみずも喰らう口だ。儂の口は入るものを選ばぬからな」

 わざと明るく慰めるように声をかけた。

「まあよい。酔って羽目を外しただけであろう。忘れてしまえ。儂も忘れる」

「いいえ」

 ナインの口から出た消え入りそうな言葉に、ゲベルは眉を寄せた。

「おい、どういう意味だ」

 だが、ナインは顔を伏せたまま動かない。かけるべき言葉も見つからず、ゲベルは困り果てた。

「まあ兎に角、お前は酒乱の気がある。暫く酒をつつしめ」

 ナインが震えるように小さく頷いた。


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