第11話 どこの者だ

 ゲベルが生まれたままの姿のナインを抱えて途方に暮れていたころ、旅姿のクルーガは山中を足早に歩いていた。ほつれた編笠に褪せて薄くなった茶色の小袖と鹿革の袖無し羽織、括り袴に手甲脚絆、馬手めてに鉈を差した姿は山賤やまがつと変わらぬ姿だった。道といっても獣道と変わらない。昼日中ひるひなかでも道と気づける者も少ないだろうか細い道だ。そんな小径こみちを、クルーガは迷うことなく駆けるように進んでいた。

 山駆けとは抜け道歩きともいう。在地領主の関所が立つ表道を避け、数百年かけて山岳修験者たちが作った道を一気に歩き通す。

 しかもそれを星の光のみ頼りに行くのは、夜の眷族といわれるヴァンパイアなればこそ可能な荒業あらわざだった。

 彼は、城主のゲベルと勘定頭のラガンとの密議の後、『禍神』をイスの谷に招き寄せるべく夜道を駆けていた。城代の退屈で煩わしい仕事を押しつけた時のラガンの苦り切った顔を思い出し、思わず口許が皮肉に歪んだ。

 目的地のトランドまで普通の旅なら七日、早馬を使えば三日だが、困ったことにトランドは今、連合軍の占領下にある。敵味方の兵が充満している表街道や脇道を使うのは危険すぎた。それに、吸血鬼の神足歩行を使って昼夜山中を駆ければ四日で足りる。クルーガにとってはそれほどの距離ではない。そう考えていたクルーガが、途中で顔をしかめた。息切れしていることに気づいたのだ。

 クルーガは愕然とした。認めたくなかった。まさか自分が老いるとは。


 クルーガは腹立たしげに低く唸って立ち止まった。計るようにゆっくりと息を吐き、呼吸を整え、気配を探る。強い金気かなけがする。二人、いや二組か。

「どこの者だ」

 低く澱んだ呟き声がクルーガの口から零れ落ちた。

「先刻より私の先を行き後を行き、藪の中ばかり動いて苦労なことだな」

 ふいにふくろうの鳴き声が止んだ。急速に膨らみ上がる殺気に感応したのだ。素人め。クルーガは薄い唇を不快に曲げた。

 ただでさえ遅れがちだというのに、全く付いていない。誰が傭ったのか心当たりが多すぎて見当がつかなかった。まあいい、全員殺してから探ればいい。抑えようとしているのに、身体の震えを止められない。久しぶりの流血の予感に全身が煮えたぎっているのだ。にたりと笑って、クルーガの姿が闇に溶けた。


 翌朝、東の空が白々しらじらと明るくなりはじめた頃、エイレンの城では銅鑼が鳴り、二の丸の根小屋から人の群れがぞろぞろと湧き出てきた。

「御在陣の方々、出合いそうらえ。軍功詮議でござる」

 城の使番の叫び声が轟いた。

 二の丸の武者溜むしゃたまりに陣幕が張り巡らされている。ゲベル以下主だった者たちが据えられた床几に坐り、兵たちがそれを囲むように折敷いた。ゲベルは昨日までの黒錆色の働き具足と違い、色鮮やかな赤糸縅あかいとおどしの古風な腹巻を纏っている。こういう儀式にしか着用しない飾り具足だが、何故か寸法がゲベルの身体より不釣り合いに大きい。苦虫を噛み潰したようなゲベルの仏頂面が荒目の鎧袖よろいそでからひょこひょこ動く様が滑稽で、兵たちの間で小さく失笑の輪が広がった。

 やがて太鼓が鳴り、奏者番の者が進み出て、部隊長たちが選んだ武功の者たちの名を読み上げていく。

 厳密には、将兵たちはいまだ戦陣にある。こうして論功行賞を行うことで戦時編成を解き、兵たちは平時の日常へ戻っていく。本来は首実検も兼ねているが、ゲベルは首は打ち捨てるよう下知していたため、今回は省かれている。

 読み上げが終わると、再び太鼓が打ち鳴らされた。

「戦功の者ども、前へ」

 呼ばれた者たちがゲベルの前で右膝をついて頭を下げた。

「汝らの武功比類なく、感悦の至りである。褒美は後で取らせるが、当座の仮恩賞としてこれを与え、その武功を賞す」

 全員に新出来あらできの脇差をゲベルが手ずから渡していく。鍛冶場で鍛えた数打ちの安物だが、いずれ近いうちに、ゲベルの印が押された宛行状あてがいじょうを使者が持参することになる。

 全てが終わると、ゲベルは床几から立ち上がって、

諸悪しょあく本末ほんまつ無明むみょう當機とうき実検じっけん直義ちょくぎ何處かしょゆう南北なんぼく

 と大声で唱えた。死者の魂が迷わず浄土の門を潜り、生者に害をなさぬよう祈る魔除けの呪である。それから佩刀を抜いて高く掲げ、

「それ、勝鬨を作れや」

 全軍に叫ばせた。これで、名実ともに今回の出陣が終わった。

 兵たちがそれぞれの村へ戻っていく。既に大手門と東門の堀際では、兵たちの家族が父や兄弟や息子を待っていて、背伸びして盛んに手を振っている。普通なら彼らも二の丸に引き入れて帰還の宴を催すのだが、今回は魔王の薨去もあって行わない旨を村々にも伝えてある。


 兵たちがすっかり城から出て、城内は祭りの後のように静けさが戻ってきたが、まだゲベルの仕事は残っている。鎧を脱いで鎧下姿になると、ゲベルは勘定頭のラガンとともに代官所の公事場に入った。そこでは村々の年寄おとなたちが待ち構えている。

 簡単な挨拶を交わしたのち、奏者番の手で村々に差し戻す荷馬や荷車の目録が配られ、戦死者の家族や負傷者に与える見舞金が手交されていく。

 こういった手続きは半ば儀式化している。今回は既に徳政が約されていて、さらに分捕った馬を下げ渡されたことで年寄たちも目立った不満もなく、何度もゲベルに頭を下げて小躍りして去っていった。ただ、村争いで怪我人を出したエレインの郷主ラントとホフテ村の村長むらおさケイルを除いて。


 二人は改めて平伏すると、加害者であるオゴーリ村の狼藉を恐れながらとつらつらと訴え、うやうやしく訴状を差し出して、

「どうか御代官様におかれては、厳正なる御仕置きを賜られますよう」

 と述べた。二人とも態度はしおらしいが、値踏みするような目でゲベルを窺っている。

 ゲベルは茶を啜り、深く考えるようにしばらく間を置いて、

「汝らの申し条、いちいちもっともである。また、立ち騒ぐ村人を鎮めたことも殊勝」

 落ち着き払った顔で言った。

「怪我したイグラとやらは十分に養生させよ。イグラを怪我させたオゴーリ村には乱妨者どもを引き出させ、十分詮議して然るべき裁きを下そう」

 だが、二人は納得しない。特に亡命エルフであるケイルより、十年前にゲベルに付き従ってイスの谷に入植して、労苦を共にしてきたラントは強硬だった。

「さて、それは何時いつのことでございましょうや。いつも御代官様はアンテの者どもに手緩う見受けられます」

 慇懃な口調とは裏腹に押し殺した声で言った。

 それまで黙っていたマンティコアのラガンがのそりと頭を上げ、

「郷主よ、無礼なるぞ」

 低く叱りつけるように口を挟んだ。だが、ラントは怯まない。彼も何度もゲベルに従軍して修羅場を潜ってきただけあって、肝が据わっている。

「御手討ち覚悟で申し上げてござる。このままでは、それがしも郷の者に示しがつき申さず」

「手討ちと申したか」

 ラガンの牙の間から低い唸りが漏れ、尾の毒針が低く構えられた。

「望み通り、その口、引き裂いてくれん」

 ケイルがたちまち青ざめた。だが、ラントは引かない。グールの灰色の顔を朱く染め、

没義道もぎどうおっしゃり様かな。非違をたださずして、何の御代官様か」

 殺せるものなら殺してみよと胸を張った。 


「もうよい」

 ゲベルが面白くもなさそうに手を上げて両者を制した。

うぬらの小芝居は見飽きた」

 それからラガンとラントらを見回し、

「皆も承知の通り、アンテ城のガイラス・アマド殿には入植の折りに様々に世話になり、儂にも遠慮があった。そのため、村境むらさかいのホフテ村には何かと迷惑をかけてしもうた」

 ラントとケイルは驚いてゲベルを見返した。上の者が下に率直に非を認めることなど滅多にない。ゲベルのような在地の代官なら尚更だ。謝るくらいなら殺すべしという殺伐な時代である。

 ゲベルは目を剥く二人に構わず、更に言葉を続けた。

「だが、この度の沙汰は見逃せぬ。イグラに打擲ちょうちゃくに及んだ者どもには、必ず裁きが下るであろう。当座の引き出として、これを与える」

 ぱんと手を叩くと、待ち構えていたように引き戸が開いた。納戸役の者たちが反物を乗せた折敷を捧げて入ってきて、ラントとケイルの前に積み上げた。

「木綿が十反ある」

 グールとエルフが目を丸くした。

「五反で臥せっておるイグラの小屋を掛け直してやれ。彼の者は独り身と聞いておる。もうすぐ梅雨だ。雨露は体に毒であろう」

 意外な言葉に二人が絶句した。

「残り五反をホフテ村の者どもに下す。村人はイグラの日々の世話を命じる。決しての者を飢えさせることなかれ」


 二人が反物を抱えて退出すると、ゲベルは冷め切った茶を一息に飲んで、大きく息を吐いた。

「これでよかったか」

「まずまずの御裁量」

 ラガンが満更でもないふうに答えた。

「ただ、十反はちと惜しうございましたな」

「構わん。どうせ、使い道のないものだ」

 吐き捨てるように言って、煙草を咥えた。都の貴人たちに贈るはずの財物の一部だ。今は連合軍の軍勢が都に迫り、それどころではあるまい。

「殿は、いこう百姓に優しすぎる」

 ラガンが詰るように顔を向けた。

「そうか」

 火打石の切り火を麻の繊維に移しながら、ゲベルは答えた。

「善政を気取っておるうちはまだいいが、民は優しくすればするほど際限なく付け上がりまするぞ」

「この地は搾れるほど豊かではない。せめて笑いの絶えぬ里にしたい」

「そういう綺麗事を抜け抜けと申すのが、殿の悪い癖でござる」

 ラガンが、ふんと鼻を鳴らした。

「綺麗事などであろうか。本心からそう申しておる」

 ゲベルは大きく口を開けて煙を吐いた。ラガンは煙草の煙に顔を顰め、

「綺麗事を抜かしながら、同時にアンテの城を乗っ取らんと良からぬことを企んでおる。殿は大悪党でござるな」

「生き残るために足掻くのが悪人なら、儂は悪と呼ばれても微塵もやましくはないぞ。それに」

 うずくまるラガンに灰色の目を向けた。

「汝もこういうのは大好きだろう」

「確かに」

 マンティコアは黄色い瞳を歪めて、楽しそうに唸り声を上げた。


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