第7話 融通の利かぬ奴め

 イスという地は、起伏の大きな場所にある。ネレ河水系の支流の一つであるチベ川に沿う南北に細長い渓谷で、僅かな平地に人家と農地が寄り添うように蝟集している。

 その隙間を縫うように、汚れた具足姿の列が疲れた足取りで歩いていた。先触さきぶれの口上で、すでに村の木戸脇には出迎えの人々が彼らを待ち構えている。夫に抱きつくダークエルフの女房、頬擦りされて嬉しそうに悲鳴を上げるグールの幼児、母親の周りを跳ね回るスフィンクスの童女わらしめや兵に餅や酒を無理強いするトロルの老婆などで、祭りの行列のように賑々にぎにぎしい。本城であるエイレンに近づくにつれ、人数は次第に増えていった。


「やれやれ、見慣れた土地でござるが、やはりイスが一番でござるな」

 路傍で見上げる人々に太々しい笑みを浮かべて手を振り返しながら、ハンがわざとらしく晴れ晴れした口調で言い放った。

「そうよな」

 馬上で揺られながら、ゲベルが浮かぬ顔で応じた。

「無事に作付けも済んだよう。今年はきっと豊作でござろう」

「うむ」

 ハンはゲベルの生返事を気にすることもなく、

「帰城したならば、宴を催しましょうぞ」

「それはならぬ」

「え」

 ハンが怪訝な目つきでゲベルを見た。

「負け戦で宴など、烏滸おこの沙汰ぞ」

「しかし」

「連合軍の支隊を一つ追い返しただけだ。こちらは総大将が討たれたのだぞ」

「仰る通りでござるが」

 ハンが鼻白んだつらで口籠った。

 実際、ゲベルの頭の中は浮かれるどころではなかった。春先の出陣ということで、百姓の苦労ははかり知れない。ハンは一番といったが、この地は決して肥沃ではない。大河の支流が谷を縦断し、谷の北西にマギ岳という灰吹きの山があるせいであちこちで湯が涌くものの、高地が多く田より畑のほうが広い。この出兵も、村にかなりの負担を強いている。

(やはり、徳政を出さねばならぬか)

 確かに、在の者たちの気風は悪くない。食うに精一杯の農地しか持たぬが、多くが移民のせいか村人は互いに助け合い、上は身を削ってでも下の面倒を見るため極端に貧しい者もいない。五年前の飢饉でも、イスの谷からは餓死者は出なかった。だが、それは単に幸運だっただけだ。

 他にも一家の壮丁を喪った戦死者の遺族や不具になった者には見舞金を出さねばならない。魔王が死んだ今、それらは全て代官所の蔵から持ち出しとなる。戦とは何かと物入りなのだ。

(それだけならまだよいが、いや、よくないか)

 沿道の人々が言祝ことほぐ中、ゲベルの口から意外なほど大きな溜息が漏れた。

「殿様」

「なんだ」

 呼ばれて振り返ると、馬廻筆頭の堕天使が決まり悪そうに首を傾けている。

「一体どうした」

「もう少し、晴れやかなお顔をなされませ。後ろからでもわかります。まるで落ち武者のようでござる」

 ゲベルは不景気な顔でナインを見返したが、少し思い直して、

「よかろう」

 両の頬を深々と歪ませた。子供が泣き出しそうなつらだ。それを代官の精一杯の笑顔だと知る者たちのみが力無く笑った。


 代官所のあるエイレンの城は、チベ川に面した小高い丘の上にある。十年前、代官所を設けるにあたってゲベル自ら絵図を引いた城だ。西を流れるチベ川から水を引き込んだ水堀に囲まれていて、北に馬場、東に射場しゃじょうが、南に向かって城勤めの者の長屋が並んでいる。一見してよくある地方領主の居城だが、曲輪の石垣が低く縄張りが直線的なことが異様だった。

 大手門の前には、軍勢を迎えに出た居留守の者どもが控えていた。その中から、折烏帽子に黒い直垂ひたたれを着た男が進み出て馬上のゲベルに一礼し、

「無事の御帰城、御祝着にそうろう

 厳かに告げて顔を上げた。黒髪を総髪に撫でつけ、死人のように青白い肌、六尺足らずの痩せた体躯、鷲鼻の上に刃物で彫ったような細い目が静かに馬上のゲベルを見上げた。ヴァンパイアのクルーガだ。彼は城代として代官所の諸事を取り仕切っていて、代官のゲベルが不在の際の守城の指揮官でもある。

「うむ、大儀。変わりなかったか」

「そのことで話がある。実は」

「いや待て、待て待て」

 ゲベルは慌てて手を振った。

「細かい話は後で聞く。少しは空気を読め」

 疲れ切った兵たちの前で長々ながなが話すことではない。

「これはしたり。尋ねられたのは殿だ」

 その時、

「そこは、したることもなくと答えるのだ。融通の利かぬ奴め」

 クルーガの隣に控えていた茶褐色の獅子が巨体を揺らし、黄色い瞳でヴァンパイアを睨み上げて低い落ち着いた声で言った。実際は獅子ではない。体長九尺ほどの獅子の体に、十尺を超えるさそりのよう尾を備えたマンティコアだ。名をラガンという。随分な老齢だが、クルーガと同じく彼もゲベルと共にこの地にやってきた一人で、今は勘定方の束ねを務めている。

「しかし」

 ラガンを見下ろして、クルーガが不満そうに口を曲げた。

「もうよい。皆が見ておる。積もる話は奥で聞こう」

 ゲベルは苦笑いしながら言った。長い付き合いになるのに、このヴァンパイアは相変わらず要領が悪い。


 戦場から無事戻れたからといって、その足で家族の待つ家に帰れるわけではない。兵たちは家族と別れて二の丸に入り、そこで武具を整備する。その後、小隊長の点検を受けて四の丸にある兵具ひょうぐ蔵へ納めなければならない。彼らは今日は城中に泊まり、明日の論功行賞を受けて、城に常勤する番衆は城の南の長屋に、無足衆と呼ばれる自給の兵や軍役に動員された村人たちは自分の村に帰る。

「錆一つ浮いていても許さぬぞ」

「鉄砲は絡繰からくりまで全て外し、油を引くのだ」

「不具合のある者は必ず申し出よ」

 小隊長たちが大声で叫ぶ。特に、精密機械である鉄砲の整備は手間がかかる。鉄砲修理方の下人たちが工具や部品を持って走り回り、尾栓を抜き、洗い矢で銃口を拭っていく。巻紙を手にした物書きが兵たちの間を忙しく立ち回り、筆先を舐めて破損や亡失した品目を記入している。二の丸は蜂の巣を突ついたような騒ぎになった。

 その間に、ハン以下主な指揮官たちは三の丸の代官所に入り、合戦注文を書かされる。これにゲベルが目を通し、添書きと書き判を受けて軍忠状に変わって兵たちの名誉と論功行賞の根拠になるのだ。


 そのゲベルは、黒熊の毛皮の胴服を引っ掛けた具足下姿のまま書院の板間に坐り、沈痛な顔で煙草をくゆらせていた。魚油に細藺ほそい灯芯とうすみを差しただけの粗末な灯り一つで、部屋の中は薄暗い。

「全く愚かな戦をした」

 ゲベルは苦い顔で言い放った。十年間、この地で忠勤を励んできたことが、全て無駄になった。

「まさか魔王様が討たれようなど、誰も予想できぬことだ」

 クルーガが取り成すように言った。

「状況はどうなっておる」

「街道沿いに放った乱波らっぱ窺見うかみによれば、連合軍は魔王様の御首級みしるしを架けた竿を先頭に、一部をもって央山街道沿いの城を攻めつつ東へ進軍中とのこと」

 央山街道は、魔王国を東西に縦断する大街道だ。魔王国の大動脈といっていい。

「電撃戦とは肝太いことよ。一挙に都ウルサットをとす魂胆か」

「魔王様のくびを取り、好機と見たのだろう」

「そううまうまとは運ぶまい。ウルサットは金城きんじょうだ」

 魔王エメルダスの遺児ビュラスは齢五歳の幼児だが、ウルサット城は大陸屈指の名城だ。当時の城は、合戦となると城下町を焼き払い、兵は城に籠ることになっている。だが、ウルサット城は巨大な都を外郭の内に取り込み、城下の住民全てに軍役を課している。更に周囲の支城と連携していて、まず数万程度の軍勢では落とせない。

「それが、神聖連合に属する国から続々と増援が参陣しておる模様」

 クルーガがぼそりと言った。

「その数、十万を下らぬという噂だ。恐らくは国許で根刮ねこそぎに動員しているのだろう」

 連合に属する八国の軍旗が街道を次々に東へ向かっているという。

「連合も必死だな」

 ゲベルは腕を組んだ。

「我らも新王ビュラス様を御助勢せねば」

 ラガンが小さく唸り声を上げた。

「烏滸を申すわ」

 立ち上る紫煙に目を細めながら、ゲベルは呟いた。

「え」

 クルーガとラガンから同時に変な声が出た。

「なんという顔をする。そのような殊勝な諸侯などおらぬぞ」

「我らは魔王様直参でござるぞ」

 ラガンが首をかしげ、横目で詰るようにゲベルを見た。

「儂はもう、他人の旗の下など真っ平じゃ」

「しかし」

「ウルサットが落ちようが落ちまいが、もう魔王国は終わりだ。二度と一つの国としては立ち直れまい。あのエメルダスが死んで、餓狼のような各地の諸侯が黙っておると思うか。再び兵乱の世が来るぞ。もはや王室など頼むに足らず」

 聞く者にとっては叛意と取られかねない台詞を吐いて、ゲベルが悠然と二人の顔を見回した。

「守りを固めねばならぬ。このイスを侵さんとする外敵をふせぎ、民の暮らしを安んじるために」

「殿」

 ラガンが胡乱うろんな目を向けた。

「何だ。今、いいことを申したのだぞ」

「綺麗事は結構でござる。殿の真意を伺いたし」

 クルーガが小さく肯いた。ゲベルは暫く二人を凝視していたが、やがて大きく息を吐いた。

「では、申そう」

 肩を傾け、煙草を揉み消し、見得を切るようににたりとわらい、

「今まで、我らは魔王国のために西で光の者どもと戦い、東で魔王様に叛意を抱く諸侯を討ち、常に心に死を抱いて文字通り骨を削るように働いてきた。挙句にこのような北のの代官職だ。それでも我らは砂を噛む思いで御奉公に励んできた。

 我らは魔王に目見得めみえも叶わぬ、直接声が掛かることも許されぬ身分であるというのにだ。思えば、どうしてここまで犬の如く走り回っておったのかのう」

 ゲベルは煉獄の底から響くような笑い声を上げた。

「だが、その重石おもしが消えた。儂は決めたぞ。自分以外の誰かのためのような糞な理由では絶対にくたばらぬ」

 長く共に戦争という汚物を食らい続けてきた二人だけに聞かせられる言葉だった。ゲベルの語気に、灯明の炎が身震いするように揺れた気がした。


「これよりは、おのが利になる戦をする」

 ゲベルは確かめるように言った。

「その利のことでござるが」

「ラガン、何が言いたい。出陣前より銭は増えておるはずだぞ」

 道中立ち寄った町で分取った武具や生虜を売り払った銭連ぜにつらは、全て城の土蔵に納めている。

「兵どもに与える報酬かずけに討死手負いを出した家への見舞い金、兵具の修理に補充、ホイル・デーモンの修理、その上、殿は徳政を出すと申された」

 村人の借金や借米しゃくまいを帳消しにするだけでなく、種籾たねもみを無利子で貸し出す。罪があって逃げ出した者にも恩赦を与える。一年に限り労役などの雑税も取らぬ、とゲベルは大手門で村の名主たちに約束したばかりだ。領主は、事あるごとに利を放出して民の心を繋ぎ止めておかねばならない。

「人買いから得た銭で足りぬか」

「とても足り申さぬ。殿、買い叩かれましたな」

 ラガンは、尻尾の毒爪で器用に算盤を弾き、ゲベルの目の前に押し出した。

「やむを得ぬ。魔王軍大崩れの噂で街道沿いの町は持ち切りであったからな」

 ゲベルは算盤に見向きもせず、苦々しく煙を吐いた。人買いどもは進軍してくる連合軍に捕虜を高値で売り払って、莫大な銭を得るだろう。

「鹵獲した馬と荷車を村に分け与えよう。それで銭を浮かせられるか」

「それは、ロキがいい顔をしませぬぞ」

 クルーガは、イスの北東にそびえるマサイ山に詰めているダークエルフの名を告げた。

「あれも荷馬を欲っしておったな」

 ロキは、エイレン城の支城のひとつ、ガンガ城の城主だ。マサイ山の山腹に築いた山城だが、人里から遠く離れていて隠し城に近い。ロキはそこでダークエルフ三十五とグール百を指揮して煙硝の製造を行っている。貧しいイスの谷で人々が何とか暮らしていけるのも、膨大な煙硝を魔王国に上納していたからだった。

「麓に煙硝を運ぶ荷馬の遣り繰りに、いかい苦労しておりましたからな」

「だが、百姓どもも農馬を欲しがっておる」

 戦死した兵の多くが平時においては村の作男あらしこであり、重要な労働力だった。その穴を埋めねばならない。

「山道向きの脚の太い馬を十ひきばかり選んでガンガに送ってやれ。残りは村々に下げ渡すべし。だが、帰陣祝いの宴は催さぬぞ」

 城の祝宴となれば、祝い酒目当てに普段は近寄りもしない行商人もやって来る。それを心待ちにしている村人も多い。だが、これも代官所にとっては痛い出費だ。

 ラガンが算盤を引き寄せて弾き直し、

「やむを得ませんな」

 苦虫を噛み潰した顔で呟いた。

「やれやれ、敵が迫るやもしれぬというのに銭の心配とはな。代官職もまったい因果なものよ」

 ゲベルは吐き捨てるように言い、三人は遣る瀬無く薄く笑った。


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