第5話 敵を追い詰めるのだ

 十字路北側の斜面から三町のところで、ゲベルは歓喜に目をぎらりと光らせた。亡命エルフからなる弓兵中隊とダークエルフの鉄砲中隊に支援されたグール主力の猟兵中隊が、やっと配置についたという報告だった。彼らは、ゲベルが指揮する最強の部隊だった。

「儂が行くまで、現在地で待機するよう伝えて参れ」

 息を弾ませている若い伝令に言い、愛情の籠った手でその背中を押しやると、彼の周りを絶えず蠅のように付きまとっている馬廻たちを見た。彼が楚を振るだけで、すぐに一人が傍らに馬を止めた。

「正面の指揮を執れとハンに伝えよ。ハカとレグス、それに砲兵中隊がハンの指揮に入る」

 それから首を回し、

「おい、マレイはどこだ」

 双方が断絶的に放つ銃声を聞きながら、彼はトロルの砲兵隊を探しに行った。ナインが木立の後ろから現れて手を上げ、

「こちらへ」

 と奥へ彼をいざなった。木立の中を進んでいくと、トロルたちが次々に立ち上がり、黙って頭を下げた。

「敵の騎兵は片づけた」

 ゲベルは叫んだ。

「次は歩兵隊だ」

 マレイは醜怪なつらに微笑みを浮かべ、張り切っていた。彼の部下のトロルたちが、自分の八斤砲の横に整列し、ゲベルを見つめた。

「マレイ、始めるぞ」

 ゲベルは馬に跨ったまま告げた。

「砲には二倍散弾を填めよ。そして、攻撃が始まったら最前列の兵とともに前進し、遅れないようについていけ。よいか、敵が反撃してきたら、そいつをぶっ放せ。連中は驚くぞ」

 目を輝かせるゲベルを見て、マレイはぽかんと口を開けた。

「我らに突撃せよと申されたか。大砲を引っ張って」

 ごくりと唾を呑み込んだ。

「護衛もなく最前列を、でござるか」

「そうだ、マレイ」

 ゲベルは平気な顔で言った。

「大砲は奪われることになっておる」

 彼は馬首を巡らせ、振り向こうともせず、猟兵中隊と合流するために走り去ってしまった。

 マレイは阿呆のように口をだらりと開けて立ち尽くした。その背後で、手下てかのトロルたちが火門の口薬に火を点けたときのように顎を引き、爆発の衝撃に備えて体を緊張させていた。


 戦場をもっとよく見ようとして、ハドラスは廃屋の屋根に登った。遠眼鏡を構えると、大公軍の総大将は彼方の丘を眺めた。

 味方の歩兵隊が、槍や銃を前に傾けて、その丘を登っていく。先頭の兵たちがようやく十字路近くの丘に辿り着き、顔を真っ赤にして息を弾ませていた。

「何もかも滅茶苦茶でござる」

 マグラは、かやに半ば埋もれたハドラスの厳めしい顔を見上げて大声で言った。

「カーデスの騎兵連隊は総崩れでござる。奴らが放棄した陣地線を奪い返す前に、それがしの部隊は、まず最初に逃げてくる連中と戦わねばなりません。おまけに我が兵は駆け通しで疲れ切っております。もし、魔族どもが一斉に攻め寄せてくれば、酷いことになりますぞ」

「前進を止めさせるな。敵を追い詰めるのだ」

 ハドラスは頑固に言い張った。マグラは腹立たしく背を向け、味方の戦列を少しでも立て直そうと足早に歩き去った。そこでは強行軍で困憊した兵たちが、生い茂った藪につまずいたり転んだりしながら、よろよろと進んでいた。


 ゲベルが馬に鞭をくれて往還を西へ走らせていると、路傍の藪の中から山車だしのような巨体を震わせて巨大な蟹の甲羅のような鋳鉄製の頭甲のホイル・デーモンが這うように姿を現した。

「ティグレか」

「さん候」

 黒灰こくかい色の装甲の奥から平板な声が響き、紅玉色の単眼がゲベルを見下ろした。

「モスカ殿らは、そこの杣道そまみちを使い、奥へ分け入ってござる」

 右の前腕の三本爪を振り、林の奥を指し示した。彼らホイル・デーモンたちは、モスカが率いる四百余をここまで強行輸送してきたのだ。

「うむ、苦労」

 ゲベルは大きく頷き、

「ハンが正面から仕掛ける。汝らはハンが往還の線を越えたら、左翼に回りシャイラに後詰せよ」

 そこでは、スフィンクス騎兵たちが敵に決定的な打撃を与えるべく展開していた。

「ハン殿らを助勢せずともよいので」

「ホイル・デーモンが展開できる地形ではない。敵は騎砲を連れておる。一人ずつ狙い撃ちにあうぞ」

 赤い単眼がっとゲベルを見つめている。左翼までは遠すぎる。ホイル・デーモンはオートマトンと呼ばれる絡繰からくり仕掛けの自動機械だ。一般的な作業用オートマトンとは比べ物にならない高い知性を誇る戦術情報処理用の魔結晶石を備えているが、表情を作るような上等な機能はない。だが、それでも不満そうなのがゲベルにも有り有りとわかった。

「了簡せよ。戦場を横断して展開するなど、汝らにしかできぬことだ」

「我らにしかできぬことか」

 微かに単眼がうごめいた。

「うむ、気に入り申した」

 右腕の三本指の鉤爪を二度三度と振った。それを合図に、どう隠れていたのか、手下てかのホイル・デーモン六十騎が、往還の左右の茂みから湧き出てきた。

「それでは」

 ティグレはそう言い残すと、ホイル・デーモンの群れを率いて、地響きを立て泥を跳ねながら東へ走り去っていった。


「者ども、立て」

 森の中を、馬上のゲベルの怒鳴り声が響いた。猟兵中隊と第一鉄砲中隊のグールとダークエルフ、それに弓を手にしたエルフたちが、木陰からのろのろと起き上がった。ゲベルは青灰色の顔を紅潮させ、目が燃え上がるようにぎらついていた。

「儂は、ハンに正面から攻撃するように命じた。彼奴きゃつの銃撃が聞こえたら、お前たちは突撃せねばならん。そうすれば、我らは敵軍を叩きのめせるのだ。よいか、敵を粉砕するまで、死んでも後退するな」

 出会う兵たちに同じ言葉を繰り返しながら、ゲベルは馬を進めた。敵の抵抗は、ここが最も激しいはずだ。ゲベルの戦線は大きな半円の弧を描き、それより小さく強力な大公軍の半円を包むように展開していた。

 やがて、モスカがゲベルの到来を知って駆けてきた。ゲベルは馬上から猟兵中隊長を見下ろし、

「よいか、我らはあの丘を奪わねばならぬ。あの丘こそ戦の切所せっしょぞ」

 そう言って、愉快そうに笑った。

 正面と両翼の三つの部隊が大公軍の中央に向かって同時に突き進み、両翼から締め上げて最後には敵自身の力で崩壊させるというのが、ゲベルの策だった。


 ゲベルは更に進み、林縁に馬を止めて丘を見つめて耳を澄ました。

 戦場が静まり返っている。音と動きが全て停止したなかで、ただ鳥の鳴き声が聞こえた。ゲベルは鐙に立ち、じっと沈黙に聞き入っていた。全身が身構えていた。耳はそばだち、頭は小首を傾げ、肩は強張り、手は手綱を握っていた。

 やがてゲベルは打刀を抜き、高々と掲げた。

「懸かれ」

 押し太鼓の乱打が高らかに鳴り響いた。

「汝らはイスの誇りぞ」

 ゲベルは木陰から湧き出した兵たちを激励した。

「大公軍は弱卒じゃくそつ揃い。これより一蹴せん」

 四百の声がひとつの喊声かんせいとなって轟き、鎧を軋ませ、勢いよく広い野原を突進した。瞬時に大公軍の陣地から、どっと鯨波が上がった。大公軍の鉄砲兵が激しい銃火を返し、猛烈な反撃を加えようと立ち上がった。

 ゲベルは刀を高く上げ、猟兵中隊の打物兵と鉄砲兵の散兵線の背後を進んだ。

「穂先を低く構えよ。鉄砲は早撃ちするなかれ、逸って外す勿れ。弓は鉄砲から離れるべからず」

 その時、彼の近くで白煙が上がり、轟音とともにゲベルの馬が倒れた。ゲベルはすぐに近くの馬廻へ走り寄り、彼から馬を取り上げた。敵方から砲煙が上がり、今度はゲベルもしたたかに地面に叩きつけられた。ゲベルは鞠のように跳ね起きると、再び部下の馬を探した。だが、今度は見つからなかった。

 ゲベルの突撃隊は、丘の上から撃ちおろす絶え間ない阻止射撃で撃退され、彼の馬廻たちも散り散りになっていた。

 兵たちはよろよろと後退していた。多くの兵が前向きの姿勢で退却した。敵に背を向けていない限り、退却の汚名を着させられないかのようだった。

 ゲベルは忌々しげの戦場を見回した。大公軍の大砲がぱっと煙を上げ、猟兵たちがばたばた倒れ、同時に衝撃とともに砲声が耳に届いた。

「腑抜けどもめ、退がるな、戻って戦え」

 ゲベルは、兵たちを押し止めようと両手を拡げて叫んだ。

「戻れ、逃げる者は斬り殺すぞ。精兵せいひょうの誇りはどうした。さあ、戦列に戻れ。くそどもが、戻れ、篇乃古へのこを切り落とすぞ」


 とうとう、ゲベルは一人で前進しはじめた。最初は一人だったが、いつの間にか鉢金兜に袖も脛当もない粗末な古具足を着たエルフが弓を構えて、彼の横を歩いていた。エルフ種は成年に達すると加齢による容姿の変化が止まるため、外見から年齢を推し量ることはできないが、この亜麻色の髪のエルフはまだ顔に幼さが残り、子供といってもよかった。

「どうだ、この男を見ろ」

 ゲベルは、後方で小さくなっている連中に怒鳴った。

「こういう男が三十人もいれば、大公軍の糞野郎どもをぶっ飛ばしてやれるのだ」

 男たちはぽつりぽつりと隊列に加わり、やがて全員が戦列に戻った。逃げ散っていた馬廻たちも戻ってきた。ゲベルはそのうちの一人から馬を取り上げて鞍に跨ると、嬉しそうに勇敢なエルフの若者を見た。

「幾つだ」

「へえ、十五でさ」

「自分のやったことがわかるか。でかしたぞ、小僧」

 打刀を肩に担ぎ、銃声に負けないようにゲベルは叫んだ。

「どこの出だ」

「クビル郷のユアザ村でさ」

 エルフは不機嫌そうに答えた。

「でも、もう帰れねえ。家の馬を盗んで殿様の軍役に志願しただが、馬鹿馬めが豆を喰いすぎておっんじまった。このままけえったら、おらあ婆様に打ち殺されちまう」

「そうか」

 ゲベルは一頻ひとしきり腹の底から哄笑し、戦いに戻った。


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