第2話 勘違いいたすな
日が落ちて、ようやく連合軍の追撃も
「やっとこれで清々いたしましたな」
敵の間者が混じっていても不思議ではなかったとハンは言った。
だが、ゲベルは気の毒そうに眉を寄せ、
「いずれ、連合軍は隊伍を整えて追ってくる。あの中の何人が生き残れるか」
既に魔王軍の敗報は
ゲベルの言葉にハンは何か言いたそうだったが、諦めたように小さく笑った。
「我らとて、無事帰れるかわかりませんぞ」
ゲベルは答えず、身を傾けて乗馬の足許を見下ろした。前日までの雨で路面はしとどに濡れ、先行する兵たちに踏み荒らされている。馬の蹄に泥がこびりつき、兵の足も
「これでは、最後尾は沼の如くでしょうな」
ハンが忌々し気に顔を
「
「はて」
ハンが問い返そうとしたその時、隊列の動きが止まった。ほとんど時を置かず、
「殿」
前方から、兵たちが
「どうした」
「殿に御注進、と」
間近にいたグールの槍兵が、ゲベルを見上げて告げた。
「何事だ」
問おうとしたが、苦笑いして口を閉じた。直接出向いたほうが早い。
「見てくる。ハン、ここは任せたぞ」
ゲベルは馬腹を蹴った。その背を追いかけるように、
「殿が通られる。寄れ、道を開けよ」
ハンの声が飛んだ。路上に立ち尽くしていた兵たちが、両脇に寄って道を空ける。その間を、ゲベルは泥を跳ね散らしながら馬を駆けさせた。
「どうした、何があった」
ゲベルの声に、先頭を任せていたナインら数名の馬廻が振り返った。その後ろに、山径を塞ぐ巨岩のような影がいくつも
「マレイよ、如何した。車軸が折れたか」
ゲベルは下馬しながら、ナインの背後の
岩の群が一斉に動いた。そのうちの一つがのっそり近寄ってきて、
「殿」
岩がぼそりと錆びた声を出した。岩ではない。砲兵隊長のマレイだ。八尺六十五貫の巨躯に
「この堕天使殿が、この先の橋は渡れぬと申されて」
困り果てた目でナインを見つめた。
「私自ら確かめました。十町ほど先の木橋でございますが、橋板が半ば朽ち、人馬や荷車はなんとか渡れてもこの砲は無理でございましょう」
ナインは平然と答えた。
彼らの八斤砲は、山道での運用を考えて並の砲より幾分は軽く作られている。だが、それでも目方は三百二十貫、筒だけでも百七十貫ある。
「迂回路は」
「ございません」
ナインはきっぱり言い切った。
「そうか、やはり無理であったか」
ゲベルは唸るように呟いた。
「大砲は諦めるべきか」
トロルたちがぎくりとしてゲベルを見た。
「まさか、この砲を捨てよと申されるか」
「
「御味方は先に行かれて苦しからず。我らのみ残り、砲を分解し担いで川を渡りましょう」
渡り切ったら改めて砲を組み立て、後を追うという。
「
確かに、山間部での荷馬や人力での移動を考慮し、この八斤砲は付属の槌や
「分解と組立あわせて二刻、いや一刻半ほど」
ゲベルは不機嫌に目を細めた。遅れはその程度では済まないからだ。
「後を追うと申しても、道は
「いざとなれば、我らも馬と共に砲を牽きまする。
泣きそうな声だ。気持ちはわかる。トロルにとって、砲は自分の誇りであり、分身に近い。ゲベルは大きく溜息をひとつくれ、
「ナインよ、その橋の桁は無事か」
「はい」
「わかった。主力は先行させる。ナイン、黒鍬衆のレインを呼んで参れ。歩板を並べて橋を補修させよ」
「かしこまりました」
ナインの指示で、馬廻が二騎、後方へ馬を走らせた。
ゲベルはトロルらを見返し、
「砲は
「有難し」
トロルたちが一斉に頭を下げた。
「礼など無用。急げ」
マレイが太い腕を振り、トロルたちが馬と力を合わせて砲を押し始めた。
「殿、ここまでしていただけるとは」
トロルは直情だ。マレイが眉を寄せ、焦茶色の瞳を潤ませて感極まった顔をした。
「勘違いいたすな。お主に
トロルから視線を外して明後日のほうに顔を向けた。
「トロルの
手慣れているだけあって、暗夜でも黒鍬衆のコボルトたちの動きはいい。僅かな槌の響きを除けば、橋の補強は無音無言で行われた。
ゲベルは橋台脇の平石に腰を下ろして、その様を眺めていた。
「この道を選んだは、間違いであったか。これほどの悪路とは。やはり、重騎兵中隊のホイル・デーモンらとともに天嶺街道を押し通るべきであったか」
ゲベルは気弱そうに呟いた。
ホイル・デーモンは六つの車輪を備えた魔物で、城攻めの
「しかし、表街道を進めば人目につきましょう。それに、
傍らに立つナインが答えた。
「うむ、そうだな。しかし、ここまで道が悪いとは」
大きく溜息をついた。
「ナインよ」
「はい」
「新道十字路まで後どれ位だと思う」
新道という名だが、名付けられたのはもう五十年以上も昔のことだ。
ナインはしばらく考えるようだったが、
「はて、あと一里、いや半里ほどでございましょうか」
「ふむ、間に合ったか」
ゲベルは呟いたきり暫く考えを巡らせていたが、
「目端の効く者を五名選び、先行させて十字路北側の低地に兵を伏せる適地を見繕うておけ。未明までにはホイル・デーモンどもも着くはずだ」
儂はこ奴らと行動を共にする、とトロルらを顎でしゃくった。
「もし敵がいれば、争うことなく必ず戻って参れ」
「そこで野営するのですか」
ゲベルは緩慢に首をねじ曲げてナインを見つめた。
「
ナインが怪訝な顔をして、ゲベルを見つめた。
「まさか、追手がかかっていると仰るので」
「おうよ、間違いなく隊伍を組んで追ってきておる」
「後方に出した物見はまだ戻っておりません。何故そう断じられますのか」
「決まっておる。儂ならそうするからよ」
腰の
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます