嘘をついた罰
「お前、8年前に俺に会いに来たソウだろ…?」
ソウはこの時直ぐに否定するべきだった。
直ぐにスホに誰のことですかととぼけなければいけなかった。でも一瞬忘れていた。
あんまりスホがソウの瞳を真剣に見つめるから。
熱のせいで虚ろな目できっと焦点が合わないはずなのに。それでもスホは精一杯真剣にソウの薄茶の瞳を見ている。
熱を帯びた黒い瞳で見ている。
なんとなく全てを見透かされている気がした。
ソウの手が熱い。
スホが熱のある手で握っているから。
その手を握れる距離にいられるのは、ソウが嘘をついているから。そう思ったから。
私は真実より今の距離を大切にしたい。
今の私は貴方の心の住人になれずともそばにいられれば構わない。
ソウもスホの目を真っ直ぐ見つめて静かに言った。
「違います。私は女官になって初めてスホ様にお会いしました。きっと熱のせいで別の方と勘違いされているんですね」
ソウは微笑んだつもりだったけれど、果たしてちゃんと笑えていたんだろうか。
貴方の黒い瞳には一体私の顔はどんな風に写るの?
スホが熱で頭が冴えていなかったからかそれ以上追求されずに済んだ。そしてそこで話は終わった。
ただ、スホの手をソウが握ってそばにいた。
スホはそれから2日かかってようやく回復した。
ソウは煎じる薬草をもらいに王宮の医師の所へ言った。医師によると心の疲れが溜まっていたらしい。ソウはスホがたまにこうして熱を出すことを医師から聞いた。
かなり長い間スホを見ている医師だったため、高齢の男性だった。ソウがいつからなのか、と尋ねると医師からソウの知らなかったスホを知らされた。
「もう本当に幼少期からなんだ。特にハヨン様がお亡くなりになったあとは長く熱が出てね。でも一時期、8歳から12歳~13歳くらいまでは治っていたんだよ」
ソウの知らない、スホの弱い部分。
ソウはただ、そんなに前から…と思った。
それが自分と出会って自分が姿を消すまでだとは気付かなかった。
何か他にそれ以上に不幸なことでもあったのだろうか?心の疲れどころではない、なにか…そう思ってソウが医師に心配そうに聞いた。
「その間は他に何かあったんですか?」
ソウの問に医師がすぐに答えた。
「いや、さらに大きな不幸があった訳ではなくむしろ心の支えが出来たんだよ」
「心の支え…?」
それがあればスホは良くなるのだろうか…。
なぜ今はないのだろうか、そんなことを考えていた時だった。
「君は確か、没落貴族出身の高位女官だったね。では処刑された右大臣様の末娘のソウ様をご存知かな。彼女が1度だけスホ様を訪ねたことがあったんだ。その時から右大臣様の事件に反発して今みたいに軟禁されるまではこの症状は出なかったんだよ。同じ年にイアン君と出会って2人の存在が余程スホ様の中で大きかったんだね」
思いもしない展開で自分の名前が出てソウは思わず口を噤んだ。
知ってるも何も、それは自分だ。
もしかしてスホの心の支えが自分だなんて思いもしなかった。そして必然的にあることに気が付いた。それならスホの今の状況は、自分のせいなのではないかと思った。
「知っています、ソウ様…。お転婆だけど、本を読むことや裁縫も好きで、でもお喋りでわがままな、末娘でしたよね…」
ソウが放心気味な様子で歯切れ悪く言う。
ははは、と医師は笑った。
「なかなかの酷評だね。それでも貴族から王族までもとても評判の良いお嬢様だったんだよ。それになによりスホ様を笑わせたからね、彼女は。スホ様はその彼女が姿を消してからは1年程はこの王宮を抜け出しては騒ぎを起こしていたよ。彼女を探しに王都に行って。でもその事が王様にばれてしまってから以前のように王宮に軟禁されることになってまたこの症状が出だしたんだ」
ソウは驚いて医師を見た。
王宮を抜け出して自分を探してくれていた?
「王都に行ってらしたんですか…?スホ様が?わざわざ…?」
「ああ、毎回毎回イアン君と協力してね。宛もなくかなり探したとイアン君が言っていたしね」
…見つかるはずがない。
だってその頃ソウは王都に居られなかった。
形上はいつまで経っても罪人の娘であまりにもソウにとって王都は居心地が悪すぎた。
それが誰かに悪口を言われているとかではなくても、人の目が怖くなった時期だった。
その後は姉の嫁ぎ先にしばらく居てから母と母に再婚話が来るまで地方にいた。
スホはなぜそんなにソウを探していたんだろうか。
ソウがぽつりと言った。
「スホ様にとって、そんなにソウ…様は価値のある人間だったのでしょうか…?」
医師がにっこり笑って言う。
「それはもう。きっとこの世で1番だよ。なんせハヨン様が亡くなってから笑わなくなってしまって王宮内の全員が手を焼いていたくらい心を閉ざしていた自分の心を開かせたんだから」
ソウは話を聞き終えて薬草をもらってスホの部屋に向かって呆然としながら歩き出した。
この話を聞いてソウは自分が嘘をついたことは正しかったのだろうか?そう思った。正直、一度会っただけの自分なんて忘れてしまっていてもおかしくないと思っていた。加えてやはり自分のせいでスホは軟禁されているんだと知った。
どうして父の事件で反発したんですか?貴方の立場が悪くなるじゃない。
どうして私を探してくれたんですか?貴方には自由になって欲しかったのに私のせいで軟禁されているんですか?
スホに対していくらでも溢れんばかりに質問が出てくる。でもそれは8年前のソウとしての質問でいずれもできない質問ばかりだった。
ソウの質問は嘘をついた今になってはもうできない。それがソウが嘘をついた代償だ。そして嘘をつかないとそばにいることも出来ない自分が情けなく感じられた。
初めてスホと出会ったことを後悔した。
自分がスホの心の住人になってしまったことに、申し訳なく感じた。
この世に何百といる貴族の娘の中でなぜ寄りにもよって自分だったのか、なぜあの日何も疑うことなく父に着いてきてしまったんだろうか、結局貴方を1番苦しめる人間になってしまった。
「どうしよう…」
ソウはついに足を止めて泣き出してしまった。
それはなんの示し合わせか、スホとソウが初めて出会ったあの庭園の大きな木の下だった。
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