ソウの香り

高位女官の朝は早い。

身支度を整えるため主より2時間早く起きる必要があり毎朝ソウは奮闘している。

ソウは今まで右大臣家では末娘として甘やかされてきたし、左大臣家では別邸に住んでいたから無法地帯に近かったため自分が朝起きるのが遅かったことを王宮にきて初めて思い知らされた。

ソウ自身は側室になることを望んでいるわけではないからあともう1時間寝ていても構わないのだが高位女官としての規則として起きなければならない。

自由が聞く分、規則ももちろん増える。

ただ、髪に時間をかけない分読書をしていた。


ソウはスホ付きの高位女官として働き始めてから2週間目を迎えていた。

毎日スホに気が付かれないようにびくびくしながら生活している。働く分には大して問題はなかった。

別邸に住んでいた時、最初はすることが無く侍女たちに混ざって家事をしていたし、見合いをさせられるにあたって本格的に嫁ぐために教育された。

そのおかげで仕事はほぼ完璧に出来ている。

ただ問題は食事の時やふとした瞬間にスホと話すことだった。正直、初日の夕餉の後月を見ながら話した際も内心ひやひやしていた。まるで8年前のソウに話すように、スホが気が付いていない振りをするかのように話していたから。

ソウはそんなことを考えながら髪をまとめていた。

だけど、嬉しかった。それも事実だった。髪色が綺麗だともう一度言ってくれた。自分を心の中に住まわせてくれると言ってくれた。それだけで十分だった。あれからスホとは初日ほど深い話はしていないし、このまま自分がうっかりとなにか核心に近いことを口にしなければ大丈夫のはずだ。


髪をまとめて少し早いがスホを起こしに行こうと自室を出る際だった。外から声が掛けられた。

「ソウ、いま大丈夫か?」

警備隊員の者で臨時のスホの世話係を務めていた者だった。

「ええ、大丈夫。今出るわ」

身支度を整えて部屋から出ると彼から袋を差し出された。

「これ、警備隊で手違いがあって返却が遅くなったようだ。すまない。これはお前の持参品だろ?」

自分の持参品たちをまとめた袋だった。

王宮に入る際に持参品の検査があったのだ。

もちろん宝物の扇も入っていて没収されていないかずっと不安に思っていた。中を確認するように言われて急いで確認する。…あった。ほっとした。

ソウはわざわざ持ってきてくれたことに礼を述べて持参品を部屋に置いて行こうと部屋の中へ戻った時だった。

扇を自室に置いていくことに不安になった。

どうしようか迷った末に懐に入れておくことにした。

「この位の小ささなら分からないはずよね」

時間に余裕があったため、他に持参品は何があったか確認すると愛用していたキンモクセイの香も入っていて付けることにした。

この香りは自分を落ち着けてくれる。

今のソウには落ち着きがいちばん重要なもののような気がしてならなかった。

だけどソウはこれが自分の落ち度になるとも落ち着きをむしろ無くすとも思ってもみなかった。


スホを起こしに部屋の前で声をかける。

「スホ様、失礼します」

スホは寝起きが悪くて朝のみ無断入室を許可されていることを前任から聞いていたため部屋に入った。

スホがぐっすり眠っていて全く起きそうにない。

「スホ様、スホ様、朝です、起きてください」

声をかけるが反応すらない。

よほど疲れているのだろうか。それでも起こさないとスホが朝の王様との対面に遅れてしまう。

無礼だとは思ったがソウは腕を掴んで遠慮がちに揺らした。

「スホ様、スホ様、起きてください。王様とのご対面に遅れてしまいます」

実際は時間にかなり余裕がある。寝起きが悪いため早くから部屋に向かうように、とも言われていた。

うー、と唸り声をあげてスホはまた寝てしまった。

ソウもどうしたものかとお手上げである。

昨夜は遅くまで起きていたのだろうか。

スホの机の上に大量の本となにかを書いた紙が散乱していた。

もう少しだけなら、一時くらいなら寝てても大丈夫かしら…。(一時→10分)

ソウはあと少しだけ、と思ってぐっすり眠るスホの隣にちょこんと座った。

こんなに間近でスホの寝顔を見るのも久しぶりだった。せっかくなのでじっと見てみる。

スホの肌は陶器みたいに白くて、黒髪がより映える。目元は涼やかだけど二重の瞼で中和されている。睫毛が長いから中性的な印象があるけれどきゅっとしまった口元や高い鼻が凛々しさを加えている。知っているようで知らない顔に見える…8年って長いのね。


ソウがそんなことをしていたら一瞬で一時経っていて、本当にスホが起きなくてはならなくなった。

ソウは焦ってスホを起こす。

「スホ様!スホ様!起きてください!これ以上寝ていたら遅刻してしまいます!お願いです!起きてください!」

今度ばかりは遠慮などなしに肩を掴んで揺らす。

ソウの焦りが反映された大声にスホが気がついたのか目を覚ました。だけどまだ目が虚ろだ。

そんなスホの事情はお構い無しにソウがスホの身支度を整えていく。スホに朝の対面時に着る衣を着せて髪を簡単に整えていく。

この時ばかりはすごく従順な大きな子供のようだ。

スホが寝起きが悪いのは有名な話で朝の対面も遅刻することが多かったためか髪を整えるのも簡素的でも大目に見られていた。

準備が整って何とか間に合った。ソウはスホを部屋から送り出そうとする。まだ寝ぼけてふらふらしているスホの後ろ姿を見ていたら衣の襟が裏返っていることに気がついて、スホを呼び止めた。

「衣の襟が…」

ソウが背伸びしてスホの襟を直す。

スホは背が高くて、比較的身長のあるソウでも背伸びをしないと届かない。

一体昨夜何時に寝たのだろう。こんなにふらふらしているスホ見たのはこの2週間で初めてだった。

ふいに背伸びをしてスホの顔にソウの手首、そして首が近づいた時。

「あれ…ソウの香りがする…」

スホが小さく呟いて、え?とソウが聞き返した。


その瞬間だった。

スホの顔の近くにあったソウの手がぐいっと引っ張られてスホに思い切り抱き締められた。

ソウは一瞬本気で意識が飛んだ。

窒息するんじゃないかって言うくらいの力だった。

はっとして、全力でスホの胸を押し返し抵抗する。

力で敵うはずもなくどんどんと胸を叩く。

「スホ様!スホ様!」

ソウの声が届いたのか、必死の抵抗が伝わったのかスホも我に返ってソウを自分の腕の中から解放した。スホが放心して、状況を把握したあと赤面する。でもこの後の朝の対面の時間が差し迫っていて2人がこのことについて話をする時間は残されていなかった。


ソウはスホの出ていった部屋で自分の心臓の音が太鼓の音のように聞こえた。

多分ソウは今熱がある。



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