二日月 下

スホはソウが部屋に戻ってくるのを待っていた。

先程ソウがスホに言った謝罪の言葉が気になって仕方ない。

言い回しがただ単に似ていただけだが他人にこんな風に謝られた記憶が他にない。

スホは顔を凝視されることがよくある。

でもスホの顔をつい凝視して何かあるかと尋ねられて直ぐに理由まで述べられたのは今までソウしか居ない。なぜかあの女官の一挙手一投足が気になってしまう。

ソウが戻ってきたら少しずつ遠回しにでも本人かどうか確認してみようと思った。


「スホ様、失礼してよろしいでしょうか?」

ソウの声がして入れ、と答える。

夕餉のあとは基本的に使える主にもよるが就寝する準備を終えて高位女官は自室に戻る決まりになっていた。

ソウが入ってきてスホに尋ねた。

「就寝の準備は直ぐにしますか?それとも1度自室に下がった方がよろしいですか?」

スホはとにかく話をしてみなければ分からないと思ったのでソウに言った。

「いいから、少し座って話そう。今日は初日だし、そんなに完璧でなくて構わない」

ソウが少し驚いて、間を置いてはい、と返事をしてすとんとスホの左手前に座った。

さて、どの話題から糸口を掴もうか…。

スホは頬杖をつきながら考える。

そこで今日ソウが現れてから気になっていたことを聞いてみた。

「お前は髪をひとつにまとめて結っているよな。それは普通の位の女官と同じだがなぜた?高位女官は髪型の規則がないよな」


そう、高位女官のみ髪を自由にいじっていいという決まりがある。

これは高位女官が側室になり得る可能性があるからだ。他の高位女官たちは綺麗な簪や髪を垂らしたり工夫して、どうにか王族に見初められようとしている。

いつから出来た規則なのかは不明だが高位女官から側室が選ばれることが明確に明記され始めたのはスア女王の父王、第14代国王の時代からだ。

当時隣国の驚異に脅かされていた我が国の王には正妃との間に3人の娘がいたがなかなか王子に恵まれ無かった。焦った王が高位女官から側室を娶ることにした。しかしその側室との間に生まれた子も娘であり結局長女のスア女王が王位を継承することとなった。結果的にはスア女王の治世のおかげで我が国は隣国の驚異に脅かされることなく円滑に貿易をして行くことができるようになった訳だが。


それらの経緯も踏まえて高位女官はもとは貴族の娘であり身元の保証があるため側室に選ばれることが増えて行った。

なのにソウはその辺の女官たちと変わりない髪型をしていた。

ソウが答える。

「スホ様は高位女官から側室が出ることはもちろんご存知だと思います。だからこそ、私は普通の女官と同じ髪型をするのです」

ソウが含みのある言い方をした。

それはスホに限らず王族に見初められようという意思がないと言うことなのだろうか?

「どういうことだ?」

スホの問にソウが少し考えてから答えた。

どうにかスホに理解してもらえるように考えたらしい。

「スホ様はご存知でしょうか。スホ様付きの高位女官の募集がかかったこの1週間、大変身分の高い貴族の娘たちが何十人も我こそは、と試験を受けに来ていたことを」

それはスホは知らなかった。だからといって

「それがお前の髪型と関係あるのか?」

ソウが答える。

「私よりも身分の高い貴族の方たちが受けに来ていたのに合格したのは没落貴族の私です。もちろん彼女たちも面白くないでしょう。そして私は彼女たちのように少しでも王族の方々にお近付きになりたいという意志を持っている訳ではなく、父の邪な金目当ての気持ちで売られてここへ来たようなものです。ですから彼女たちに申し訳が立ちません。なのでもし次に欠員が数名出て高位女官が募集された際には私は去ろうと思います。そういう思いがありますので仕事に専念するという意味で着飾ることはしません」

なんとなく説得力があってスホもそうか、と納得してしまった。スホがソウの髪を眺めて言った。

「せっかく美しい髪色なのにもったいないな」

スホの率直な褒め言葉に驚いたのもあってソウが少しだけ頬を紅潮させた。

間が持たなかったのか、今度はソウが言う。

「でもスホ様こそ、そろそろ本格的に時期王妃の候補が絞られるんではないでしょうか?」

「ああ、そうだな…」

スホが他人事のように言う。

スホにとって今、時期王妃の候補たちには関心など微塵も無かった。スホの関心の矢印は目の前のソウという名の女官に向いている。


スホか立ち上がって丸い形をした部屋の窓を開けながら言った。

今夜は風が気持ちいい。

「確かにそろそろそういう時期だな。まあ、正直誰でも構わないんだけど。何人妻を娶ることになろうが、何人候補者が居ようが俺が心の住人として部屋を用意するのは1人だけだと決めている」

時期国王の妻が誰でも構わないわけが無い。

国にとって最重要時事である。

それでも目の前にいる女官がソウだとしたら、そういう風に思ってスホは続ける。

「そしてその住人は既に俺の心の中に住み着いてる。急に入ってきて、追い出そうにも出来ないんだ。その人は8歳の頃から俺の心の中に住んでる」

窓の外を眺めながらスホはまるで大切なものを扱うように、でも淡々と話した。

それはきっと目の前にいるのがソウだったとしたら大切で、ただの同じ名前の女官だったら淡々と話すべきことだという混乱したスホの気持ちが感じられる言い方だった。

「そう…ですか」

ソウが静かに答えた時だった。


スホが開けた窓からふわっと強い風が吹き込んで一気に空の雲が飛んで夜空に細い月が現れた。

スホが月を見ながら言う。

「今日の月はやけに細いな」

ソウがそれに答える。

「今日は二日月ですから」

「二日月?」

スホが聞き返す。聞き慣れない言葉だからだ。

「二日月は新月の次の日に昇る月です。新月には願いを叶える力があると言われています。その次の日に昇る月が二日月と呼ばれていて、細い糸の様だと比喩されます」

そこでソウがはっとしたように口を抑えた。

「王宮内で神力紛れの話はよくありませんね。失礼しました」

どうしよう、と口を抑えるソウを見てスホが柔らかく笑った。

「確かにそうだな、ではここだけの話、ということで」

スホの気遣いにソウが安心したようにはい、と答えた。

「そろそろ就寝の準備をしてもらってもいいか?俺はここでもう少し月を見てるから」

「かしこまりました」


就寝の準備をしに行ったソウを見てスホは思った。

あまりにも王宮に詳しすぎる。

確かに神力紛れの話は王宮内ではあまりいい顔をされない。それは初代王が人の力以外のものを忌み嫌ったことが起源だ。よって神官もいない。だが占いや祈祷の文化は時と共に王族も黙認するようになった。これは身分の最下層の民も知っている。

でもソウは教養がしっかりとされている印象がどうも強い。そんなしっかりとした教養を身につけられる貴族の家が没落するだろうか?

そしてもうひとつ。

王宮内は異常なまでに広い。初めて来たばかりの高位女官たちや警備隊員などはその日のうちに1回は迷子になって部屋に戻れなくなる。だがソウは迷子になったという話どころか時間ぴったりに部屋へやってくる。来てから半日しか経っていないのにありえない話だ。普通に考えてとても初めて王宮に来たものとは思えない。


二日月のように細い細い糸がソウから綻び始めている。スホがその糸を捕まえるのも時間の問題だ。

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