二日月 中の3

ソウが部屋から下がってからスホはようやく息がまともに出来るようになった気がした。

あまりにも「ソウ」に似ている。と言うよりはソウであるとしか思えなかった。

だけどスホには彼女がソウだと言い切るには引っかかる点もいくつかある。

なぜわざわざ身分を落とす必要があるのか。

それに本当に彼女がソウなら名乗り出ると思っていたけれど名乗り出てこない。

それと…キンモクセイの香りがソウからしなかった。昔会った時にソウはキンモクセイの香が好きでいつも付けると言っていた。


我が国では実り豊かな国のため香にも色々な香りがある。バラや百合、オレンジのような香りが長く残る香が人気で男女問わず使う。しかしキンモクセイや蝋梅のような柔らかい香りの香はあまり好んで使う者はいない。

だからこそ記憶に残った印象のひとつだった。

だけどあまりにも似ていて、まるでスホの知るソウに似せて出来た人形のようで…それくらい似ているのなら本人なのだろうか?

もしくは双子?姉がいたが姉なのだろうか?飛躍しすぎているだろう。いや、香りだけで判断するのは危険過ぎる。

スホの中でどんどん混乱が大きくなる。

少し落ち着こう。

夕餉をソウが持ってくるまでに少し時間がある。

それまでに整理しよう。

そうやってスホが部屋の中をうろうろ1人で歩き回っているとイアンの声がした。

「スホ様、宜しいですか」

イアンが軍事演習が終わって護衛として戻ってきた。スホが声をかける。

「ああ、入れ」

イアンが部屋に入るとスホが部屋の中で行ったり来たりを繰り返して1人でぶつぶつと話している。

何事かと思ってイアンはスホの次の発言をじっと待っていた。


ここで心配して大騒ぎしないあたり、やはり親友である。イアンは付き合いが長くスホがどういう状態かある程度予想して次の発言を待っている。

しかし、ここまで落ち着きの無いスホを見たのはイアンも久々だった。

それでもスホが年相応に落ち着きが無い姿を見せるのは例えイアンだとしてもソウに関することだけだった。以前もソウの父の処刑の時はスホが騒ぎを起こしたのをイアンもよく覚えている。

スホが段々1人ではより訳が分からなくなってイアンに勢いよく言った。

「お前が見たといった女官!名前がソウだったんだソウ!しかも確かに絵に書いたようにそっくりなんだ。でも腑に落ちない点が多すぎて彼女がソウだと確信できない!」

「やはり似ていましたか」

「俺の知るソウを再現した人形のようにそっくりだったんだよ」

「腑に落ちない点は確かに多いですね…」

ここでスホがイアンに言った。

「イアン、敬語をやめろ。お前の言葉が頭に入らなくなる。大事な言葉を聞き逃すから」

「はあ…」

イアンも仕方なしに了解した。確かに実際スホは大事な話の時イアンに敬語を使われると他人行儀で聞き逃すことが多い。

友として、また兄弟のようにして育ってきたから違和感が多くイアンと話している気にならないのだろう、イアンはそう解釈している。

主にやめろという命令をされたら逆らう事は出来ない。イアンは敬語をやめて話を続けた。

「腑に落ちない点っていうのは、自分の身分を偽っていることか?」

少し悩んでスホが答える。

「まあ、それがいちばん大きいな。本人に別人だと言われた訳では無いけれど、俺の知る限り8年前に出会ったソウなら恐らく名乗り出ると思っていた」

「今朝、王宮の外で会ったと言ったよな?」

イアンの問にスホが覚えている、と答える。

「その時、多分一瞬で俺の事を誰か判断したと思う。たまたま試験を受けに来たことを役人伝えているところに出くわした形だが俺の顔を見るなり自分の顔を背けて隠した」

スホはもし彼女が本当に本人なら有り得る話だと思った。彼女は聡明だったから判断力もあった。

だけど判断してなぜ顔見知りのイアンに声をかけるでもなく身分を偽ってまでここに来るのかが理解できない。左大臣家養女ならばわざわざ女官にならなくても最悪、嫁がなくても後ろ盾はいくらでもある。そこが理解できない。

「とにかく、どっちにも確信が持てないんだ。別人なら別人と。本人なら本人と。はっきりさせる程の要因がまだ掴めない」

「無理ないだろ、会ったのほんの少し前のことだし」

イアンにさらりと否定されるがいつもの事なのでスホは気にしない。

「会ったら直ぐにわかると思ってたんだよ。とにかく次で分かるようにする」

そうスホが言ってから少し経って夕餉の時間になり、イアンはスホの隣室の自室に戻った。


外からソウの声がした。

「スホ様、夕餉をお持ちしました。入ってもよろしいですか?」

スホが答える。

「入れ」

ソウが夕餉を持ってきて準備良く配膳していく。

普通、貴族の娘なら配膳ひとつ最初はまともに出来ない。やはり別人なのだろうか…そんなことをスホが考えていた時だった。

スホが苦手なにんにくが使われた惣菜が夕餉にあった。スホは苦手だと炊事場の者に伝えたことがないので今日も普通に出てきてしまった。

スホが苦虫を噛み潰したよう顔をしていたのだろうか。ソウが声をかけた。

「スホ様、お加減が悪いのですか?」

スホが焦って取り繕った。

「あ、ああ、大丈夫だ」

ソウが心配そうに見て言った。

「お茶を淹れますね」

ソウが茶の準備をしている間にこの惣菜を食べてしまおうとスホが箸を手に取って口に運ぼうとした時だった。

「にんにくの香りがしない…」

スホのひとことに気が付いてソウが言った。

「あ、にんにくを使った料理でこちらの惣菜があまり好まれないとお聞きしたので炊事場で抜いていただいたんですが…余計なことをしたでしょうか?」

余計なことをしたかと焦ってソウが聞く。

スホも驚きはしたが怒っていた訳ではなかった。

「あ、いや、助かった。苦手だったんだ」

「でしたならよかったです」

ソウがにこっと笑って答えた。

一瞬、見惚れた。ソウはそんなことを気にもせずにスホにお茶を渡してきた。

「お茶をどうぞ」

スホも我に返ってお茶を受け取って普通に振舞おうとお茶を水を飲むかのように口に運んでしまった。

「あつ!」

お茶をこぼして思い切り火傷した。そして動揺を隠せていない自分が気恥ずかしくなる。いつもなら女官の前でこんなことしないのに。

ソウが大丈夫ですか!と服やスホの顔にかかったお茶を拭く。その間一瞬、ソウにじっと顔を見つめられたような気がした。スホが尋ねる。

「なんだ?」

ソウがぱっと弾けるように佇まいを直して謝罪した。

「申し訳ございません。大変な無礼をお許しください。その…スホ様のお顔があまりに麗しかったので」

「あ、ああ。気にしなくていい」

そう言って夕餉がそのままぎこちなく過ぎてソウは御膳を片付けに行った。


スホは何となく胸に違和感を感じていた。

先程ソウがスホに向けた謝罪。全く同じような言葉をどこかで聞いた。

必死に思い出そうとする。

いつだ、いつだ…。記憶を手繰り寄せていく。

そこで思い当たる節がひとつだけあった。

あ、8年前のあの日、ソウから言われた謝罪だ…!



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る