第17話 青リボンの女たち
この夏にできたばかりのショッピングモールは、真っ白な外観にフルーツバスケットのロゴを付けた三階建ての建物だ。そこに陽向と愛を連れてショッピングに来たのは、ただの暇潰しのつもりだった。真友を失った私たちは、もう今までと同じではいられなかった。陽向も愛も、そして私自身も、お互いの間に見えない線を引いて、決してそこを越えることは無かった。
陽向は、また静かに日々を過ごしている。でももう彼女の無関心な態度は信じない。本当は、いつも怯えている自分の心の内を探られないように、必死に隠しているだけだ。
愛はまだ、真友を失ったという傷が癒えていない。それは私だってそうだが、彼女は偶に私の家に来ては、真友との思い出を語って、私の胸で泣く。いつか、私や陽向までもが突然居なくなるのではないかと言う恐怖に、心を擦り減らしていた。
私はずっと、頭の中がぼんやりとしている。何に対しても、積極的な気力が生まれなかった。何かを得ても、いずれは失ってしまうと言う虚しさが、私の人生をより一層下らないものに見せていた。最近は舌打ちよりも、ため息の方が多くなっている気がした。
だからこそ、陽向と愛のことはこれ以上失いたくないと思った。彼女たちの心の支えで居続けることが、私の心の支えでもあった。
私は三階にある、フードコートの一角に居た。陽向や愛とは少し離れた、壁際のソファー席にもたれかかるように座って、ある女の言葉を待っている。
武田 華。こいつの顔を見ていると、真友の事を思い出す。真友が連れてきた友人。楽しそうに話していた二人の顔。舌打ちが聞こえた。
真友が死んで、こいつが生きていることが理解できなかった。華が言葉を発する度に、私の脳裏に真友がちらつく。そのいら立ちを、態々隠すようなことはしなかった。
お前さえいなければ、と言う思いが、私の語気を強くさせる。そんなことに意味はないのだと分かっていても、私は華に詰め寄ることしかできなかった。
華が涙を見せる。その顔に真友が重なる。
醜い私は無意識のうちに、華の頭に手を伸ばしていた。頭を撫でる感触が、もしかしたら真友と似ているのではないかと言う期待が、頭の中を支配する。
気持ち悪い。自分の事が気持ち悪い。
私は舌打ちを三回して、醜い自分を追い払った。
「その話を信じろって?」
震える声で語られた華の話は、およそ信じられるものではなかった。まさか真友が、華に振られたショックで自殺したとでも言うのか。その出来事のどこを取っても納得できなかった。真友の心を動かせるものを、ずっとそばに居た私よりも、この女の方が持っているとは思えない。一体どんな心境の変化が起きたのか、確かめる術はもう無い。
それとも、本当に真友は華のことが好きだったのだろうか。
私のお嫁さんになりたいと言っていた真友の可愛らしい顔が、虚ろな目で歪んでいく。
「それは、信じて貰うしかないけど」
「お前が嘘をついていないのは何となくわかる。だけど、お前が嘘をついていないことと、それが事実かどうかは別の話だろ。もう、真友は居ないんだからな」
それに、陽向が見たという二人の会話の雰囲気とも食い違う。どちらかが嘘をついているのか、誰も本当の事を知らないのか。
薄ぼんやりとした頭の中に、さらに濃い霧がかかる。
「だったら、美月の話も聞かせてよ」
「ウチが知ってるのは、お前が真友を自殺に追い込んだってことだ」
「何で私がそんなこと!」
「ウチだってそれが知りてえからこうして話してんだろ!」
話はいつまでも平行線だった。舌打ちが聞こえた。
「結局美月だって何も知らないんでしょ?私だって真友の気持ちに気付いてあげられなかったよ。真友のことを大事だって思いながら、あの子の事何も知らなかった。だから、私たちは同じなんだよ」
体の熱が喉の奥から駆け上がり、脳天に達する。空になった紙コップを握りつぶした。
「同じじゃねえよ」
私たちの間に落ちてきた沈黙が、終了の合図だった。その後一言も発することはなく、お互いに席を立つ。握りつぶした紙コップを、乱暴にゴミ箱に投げつけた。
もうこれ以上、私が真友に近付くことは叶わないのか。決して真友を理解することはできないのか。
陽向たちの元に戻ると、紀伊野 亜香里の姿が見えなかった。その代わり、亜香里が座っていた席の隣に、陽向が移動していた。
「え?亜香里どこ行ったの?」
自分の席に戻った華は、食べかけのオムライスを見て困惑する。亜香里が居た席の隣に腰かけている陽向は、華の声など聞こえていないかのように手元の画面から顔を上げない。
「ちょっと、西川。亜香里どこ行ったの?」
陽向がゆっくりと顔を上げた。顔に垂れた髪を耳にかける。色を感じさせない彼女の瞳が、静かに華を見つめる。
「亜香里さん、体調が優れないみたいよ。華さんには伝えておくから先に帰るようにって私が言ったのよ」
「なにそれ………」
納得のできない華は、スマートフォンを取り出すと電話を掛け始めた。肩と頬でスマートフォンを挟むと、食べかけの料理を片付け始める。
華は私と陽向を一度ずつ睨むと、食器返却口へ歩いて行った。
その背中をじっと見つめる陽向を見て、自分でも理解できない気味の悪さを感じた。
「陽向、亜香里に何した」
陽向はゆっくりと私に向き直り、目だけで笑う。
「どうして私が何かしたって思うの?亜香里さんが突然体調を崩しただけよ」
「私の事信じてくれないのね」と言う陽向の声が、何故か私を馬鹿にしている様に聞こえた。
「もういい、帰るぞ」
私の声に合わせて、愛がリュックを背負って立ち上がる。俯きがちなその頭を優しく撫でる。愛は私にぴいたりとくっ付いて歩き出した。陽向が後に続く。
目の前に、電話を掛けながら立ち塞がる華の姿があった。
「美月、何か分かったらちゃんと教えてよ」
華はそれだけ言い残すと、背中を見せて足早に去って行った。華が最後に見せた表情には、やるせなさの中に一縷の希望が混ざっていた。
私も、同じ顔をしていただろうか。
三人でバスに乗り、自宅へと向かう。陽向が最初に降り、その二つ先のバス停で愛が下りる。運転手の脇にある精算機に硬貨を投入した後、愛は私に小さく手を振っていた。
私の自宅の最寄りのバス停はここからさらに五つ先だ。だが私は次のバス停で降りると、バスが通って来た道を逆方向に歩き出した。途中何度も足を止めて引き返そうかと考えた。何も今日でなくても良い。でも、今思い立ったなら、今解決するべきだ。これ以上取り返しのつかないことが、私の知らない所で起きないために。一度深呼吸をすると、歩く速度を少し上げた。
私は、クリーム色の外壁に黒色の屋根を乗せた二階建ての建物の前に立って、ある女に電話を掛けた。
『はい』
彼女の感情のこもらない声が、スピーカーから聞こえる。
「今から家行って良いか?」
『さっき別れたばかりじゃない』
私は通話を繋いだまま、インターホンを押した。耳元で聞こえているものと同じ声で『はい』と返事があった。
「陽向、話がある。開けろよ」
インターホン越しに軽く笑う声が、耳元からも聞こえる。
「あなた本当に面白い人ね」
目の前のドアがゆっくりと開く。まだ化粧も落としていない、さっき会ったばかりのままの陽向に出迎えられる。ドアの閉まる音が家の中に響く。
「何か飲む?」
「いや、いい」
「そう。じゃあ私の部屋で話しましょうか」
リビングを通り過ぎた先にある階段を上がっていく陽向の背中を追いかける。彼女の部屋に入ることを許されたのは初めての事だった。中学の頃から思い出しても、陽向の家に来たことは数えるほどしか無い。その全てが、リビングまでしか入ることを許されなかった。階段を一段上がるごとに、気持ちが揺れ動く。
私はこれから陽向を問い詰めるつもりだ。それなのに、私の方が試されている感覚が拭えない。
明るいベージュ色をした木製のドアの前に立つ。陽向がドアノブを捻って、私を誘う。
白のカーテンに薄ピンクのベッド。部屋の中央には白い丸テーブルとクッションが二つ。その下には、白地に黒の花柄が映える絨毯が敷き詰められている。
「お好きなところにどうぞ」
私は被っていた帽子をうちわ代わりに顔を扇ぎながら、絨毯の上に胡坐をかいた。カチッという音が背後で聞こえる。陽向が、部屋の鍵を掛けていた。
「鍵?」
「だって邪魔されたくないでしょ?」
この家には私たちしかいない。最初から邪魔する者など居ない。誰が、誰の邪魔をするのか。
「態々家に来るなんて、一体どんな話?愛さんには聞かせられないような話なのかしら」
陽向はドアの前に立ったまま、私に笑いかける。それは気味の悪い、ねばついた視線と共に私まで届いた。
「あの日の真友の事でもう一度話がしたい。だから、陽向も座れよ」
陽向は軽く笑い声をあげると、胡坐をかいている私の足の上に、向かい合わせに座る。両足を私の腰に回して、私のうなじに手を掛けて首を固定する。甘い香水の匂いが、肺の中に入ってくる。
「おい、何やって――――」
「真友さんが亡くなったのは、もう半年以上も前の事でしょ?今更その時のことを掘り返そうなんて、やっぱり私の事信用してくれてないのね」
「さっきの華の話と、お前の話は全く違った。だからもう一度確かめたいだけだ。あの日のお前は気が動転してパニックになってた。だから記憶に勘違いが混ざっているのかも知れないだろ。思い出したくないのはウチも同じだけど、もう一回聞かせてくれ」
陽向は片手で口を押えながら震え始めた。最初は泣いているんだと思った。しかし、その震えが大きくなってくると、彼女が笑っているのだと分かった。
「お前、何笑ってんだよ」
「だって美月ったら、いつまでたっても真友が真友がって言ってるから可笑しくって」
堪えられなくなった陽向は、高い声で笑い出した。それはもう楽しそうな笑い声だった。
陽向は、私だけでなく真友の事も馬鹿にしている。今すぐにでも怒りが私を支配しているべきなのに、私はあっけにとられて、言うべき言葉を発せずにいた。
「思い出す必要なんてないわよ。だってほら、こうしていつでも見ることができるんだから」
陽向はテーブルの上に置かれたスマートフォンを手に取ると、画面を私の方に向ける。そこには、一本の動画が映し出されていた。
映っているのは山百合の屋上だろうか。貯水タンクとフェンスの間の影らしきところから、隠れるように撮影されている。画面の中央には、フェンスの向こうを眺める女生徒の姿があった。その横顔は、見間違うはずもない、南原 真友のものだった。
私の口から、真友を呼ぶ声が漏れる。それを聞いた陽向は、鼻から息をするように笑った。
画面の向こうの真友に、別の女生徒が駆け寄って来た。武田 華だ。風が強くて、二人が何を話しているのかよく聞き取れない。陽向に目を向ける。
「ほら、ここから良いところだからよそ見しない」
陽向は音量を最大まで上げた。風のぶつかる音が部屋の中に響く。画面の中で何かを決意した表情を見せる真友は、真っ直ぐ華を見つめている。
『私ね、華のことが好き。友達としてじゃなくて、一人の人として好きなの』
あの日から幾度となく思い起こしてきた声。もう二度と聞くことは叶わないと覚悟していた真友の声が、陽向のスマートフォンから流れる。頬の肉が引きつり、息が詰まる。
華の言っていたことは本当だった。だとしたら、嘘をついているのは………。
どうしてこれを最初から見せてくれなかったのか。そもそもどうしてこの動画があるのか。何の目的があるのか。次々と浮かび上がる疑問に、私は口をパクパクと動かす。画面と陽向を交互に見ながら、霞のかかる頭の中から言葉を探す。
「陽向、これは」
私の唇に、陽向の唇が重ねられる。反射的に体を逸らそうとする私の首に、陽向の腕が絡みついて離さない。唇の隙間からもっと柔らかい何かが入ってくる。リップクリームの苦みが口の中に広がる不快感に、私は陽向の顔と胸を手で押して突っぱねる。
「ごめんなさい。初めてだった?」
息の上がる私に、陽向はいたずらっぽい笑みを向ける。
「やっぱり初めては真友さんが良かった?でも安心して。真友さんのファーストキスも私だから。真友さんはもう居ないけど、間接キスならいつでも私とできるわよ」
「お願いしてくれたらいつでもね」と言った陽向の顔に、破裂音が鳴る。私に頬を張られた真友は、上体を崩して絨毯の上に肘をついた。頬に手を添えながら、それでも笑っている。
「美月は本当にすぐ手が出るんだから。真友さんが亡くなった日に思いっきり引っ叩かれたところ、腫れて大変だったのよ」
陽向は体を起こして、再び私のうなじに手を掛ける。私はその手首を掴んで振り払う。
「いい加減離れろ」
「そんなに睨んだって怖くなんてないわよ。それよりもっと真友さんの事知りたいんじゃないの?」
陽向はスマートフォンを操作して、また別の動画を見せてきた。映し出されているのは、暗くなり始めた放課後の教室。そこに真友の姿がある。私がそれを認めると、画面が閉じられた。
陽向が笑いながらひらひらとスマートフォンをチラつかせて、私に笑いかける。陽向の手の中にあるそれを引っ手繰って画面を開いても、ロックを外すパスワードが分からない。その姿に、陽向がさらに笑い声をあげる。
「ねえ美月。大人しくしてたらちゃんと見せてあげるからさ。少しの間私の好きにさせてくれない?」
陽向が私の耳を撫でながら囁く。
「ウチにどうしろってんだよ」
「だから、大人しくしててくれればいいの。抵抗しちゃだめよ?」
陽向の唇が私の唇に重なる。私の汗ばんだ肌を撫でながら、細い指がシャツの裾から入ってくる。それが徐々に上がって来て、ブラジャーの形を確かめるように胸に到達する。陽向の舌が、私の口内に入ってくると同時に胸を揉まれる。
私は全身に力を入れて、視界の先にある壁を睨みつけていた。
唇が離れ、私のジーンズのベルトに手がかかる。
「陽向、もういいだろ」
それは懇願に近かった。
「んー、これからが楽しいとこだと思うけど。まあ、私たちの友情に免じて許してあげても良いかな」
陽向が画面を開いて私に手渡す。彼女は私に抱き着きながら首筋に顔をうずめる。
動画を再生すると、画面の中の真友が振り向いた。ポニーテールと、青リボンが揺れる。制服が半袖だから、季節は夏ごろだろうか。
『陽向ちゃん話って……あれ、玲子ちゃん?それに皆も………。何でここに』
複数人の笑い声が重なる。
『真友さんの事相談したら、皆心配して来てくれたのよ』
『アンタ女が好きなんだってね』
陽向の声以外は判別できない。真友が明らかな狼狽を見せて後ずさる。
『え、その話は秘密って………』
カメラが真友に近付いていく。画面の端から出てきた女生徒二人が、真友の両肩を掴んで押し倒した。暴れる真友の足を、別の女生徒が掴む。
玲子が映る。彼女は真友の上に馬乗りになると、制服を脱がせ始めた。
『ほら、女の子とこういうことしたかったんでしょ?気持ち悪い子。でも私たちは優しいから、そんな真友ちゃんでも受け入れてあげるからね』
真友の小麦色の肌と、水色の下着が露わになる。悲鳴を上げながら暴れる真友の口を、肩を抑えている一人の女生徒が塞ぐ。ショーツ一枚にされた真友が、今度は無理やり立たされる。その間ずっと、陽向の笑い声が聞こえている。
『ほら、ちゃんと立ってよ。真友ちゃんが良い女か、私たちが見てあげるからさ』
『最後の一枚は自分で脱ぐのよ。私、真友さんの裸見てみたいわ』
画面に映る女生徒の一人が、怯えた視線をカメラに送る。
真友は前屈みになりながら、必死に抵抗していた。漏れる彼女の嗚咽の中に、私の名前が混ざっている。
真友は後ろから蹴り飛ばされ、床にうずくまる。
『出た出た、東雲 美月。美月が居ないとホントに何にもできないんだな』
『私あいつの事嫌いなんだよね』
そう言って真友の体を踏みつける。
逃げろ。逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ。私の所まで逃げて来い。必ず助けてやる。私が守ってやる。強くなくていい。どこにも飛べなくてもいいから、私の所まで逃げてくれ。
泣きながら掠れた声で真友の名前を繰り返し呟く私の頭を、陽向が優しく撫でる。「大丈夫、大丈夫」と耳元で囁かれる。
玲子が真友のショーツに手を掛けて、無理やり脱がそうとする。真友はさらに激しく泣き叫びながら抵抗する。
『嫌!いやああああ!美月ちゃん!美月ちゃん助けて!』
「はい、ここまでね」
陽向が私からスマートフォンを取り上げた。画面を閉じ、無造作にベッドに放り投げる。
「続きが見たかったら、一緒にベッド行きましょ」
「お前、真友に何の恨みがあるんだ」
「ああ、理由が知りたいの?じゃあ今度は美月からキスしてくれる?そしたら教えてあげるわ」
私は陽向の顔を睨む。呪い殺すような恨みを込めても、ぼやけた視界では、彼女がどんな顔をしているのかわからない。でもきっと楽しそうな、それでいて馬鹿にしたような笑みを浮かべているに違いない。
「そんなに睨んだって少しも怖くなんてないわよ」
陽向は私の額を指先で弾く。陽向が笑う。
「仕方がないわね。特別に教えてあげる。別に真友さんに恨みはないわよ。と言うか、誰も憎んでなんていないわ」
「じゃあ何で」
「あなたに興味があるのよ。昔言わなかった?あなたの方が面白そうって。丁度あの頃は玲子で遊んでたんだけど、いい加減飽きて来てたのよね。偶然あの子の秘密を知ったおかげで、私の言うこと何でも聞いてくれたわ。あ、玲子の秘密知りたい?でも駄目よ。私だけが知ってるからこそ、玲子は私のものになるんだから」
陽向は私の腰に回した足を解いて膝立ちになる。上から私を見下ろすと、両手で私の頬を包み込んで上を向かせる。
「次は偶然に頼るんじゃなくて、自分の力で手に入れたいって思ったの。特に美月みたいな、自分が一番特別な人間だって思い込んでいるような人が良かったの。そんな人を自分の想い通りにできるなんて、それ以上に面白いことって無いじゃない?だから、あなたが私のものになってくれそうな手札を、私なりに頑張って集めたつもりよ。気に入って貰えたかしら?」
陽向は、添えた親指で私の涙を拭う。激しい不快感と共に、喉の奥から酸っぱいものが上がって来た。
「華さんへの愛の告白も私が仕組んだんだから。貴重でしょ?愛しの真友さんの告白音声なんて。確かに相手は華さんだけど、そこは脳内変換で楽しんで頂戴。でもまさか、そのあとすぐに自殺するなんて思わなかったわ。裸の動画は平気なのに、嘘の告白の方は耐えられないなんて、面白い子よね。そのおかげで、予定してたより手札は少なくなっちゃったけどね。それでもまだまだいっぱいあるわよ。美月が私の事を馬鹿正直に信じてくれたおかげで、代わりに私が真友さんと濃密な時間を過ごせたわ。私たちの友情に乾杯したいくらいね」
「華が居ただろ」
「ん?」
「放課後は華が一緒に居たはずだ。あいつもグルなのか」
「そうそう、華さんね。あの子のことは計算外だったわ。折角美月の事遠ざけたのに、貴重な放課後や下校の時には、二人でべったりなんだもの。さっきのは偶々教室での動画だったけど、まだ見せてない方の多くは夏休みに撮ったものね。玲子や私の家を使ってね。
あ、そうよ!そのベッドの上ももちろん使ったわ。今一緒にベッドまで行ってくれたら、真友さんにしたことと同じこと、美月にもしてあげるわよ。大丈夫よ、安心して。痛いことはしないから。さっきみたいに大人しくしててくれればいいから。ね?」
私はうめき声を上げながら陽向の胸ぐらに掴みかかると、そのまま押し倒した。彼女の上に馬乗りになる。私の拳と、陽向の左頬の辺りで鈍い音が鳴った。
痛みに顔を強張らせた陽向が私を睨む。
「良いの?私にそんなことして。もう二度と真友さんに会えなくなるわよ。それにあの動画なら、美月以外にも需要はあるのよ。そうねえ、金田工業の奴らにでも高値で売りつけようかしら」
陽向の顔が余裕に満ちた笑みに戻る。私は再び拳を振り上げた。
「殴るならどうぞ殴って。そしたらこの話はおしまいよ。でも、今すぐその拳を下して謝ってくれたら許してあげる。だって、私とあなたの仲だもの」
私は握っていた拳を解いて、腕を下げる。陽向は満足そうに私の太腿を撫でた。
「良い子ね。本当に美月は良い子。カッコ良くて、強くて、特別な、私だけの美月よ」
陽向の剝き出しの肩に、私の頬から雫が落ちる。その度に体から力が抜けていく。泣き叫びそうになる自分の口を、必死に手で押さえた。
ゆらゆらと、空から一枚の羽根が落ちてくる。光り輝くそれは、ゆっくりとした動きで私の目の前を踊る。
両手ですくい上げる様に羽根を受け止めると、自分の顔に押し当てた。大きく息を吸う。
汗塗れの髪を撫でる感触。匂い。耳元で感じる息遣い。真友の泣き顔。揺れるポニーテール。私に駆け寄ってくる笑顔。
吐く息と共に、頭の中にかかった霞も溶け出していく。
私は両足に力を入れて、陽向の体を締め付ける。彼女はうめき声を上げながら抵抗した。
「ちょっと、いい加減退きなさい。自分の立場が分かったなら、さっさと言うことを聞いて―――」
私は陽向の白くて細い首に手を掛ける。そして彼女の瞳の色を確かめながら、力を込めて締め上げた。
陽向の顔が驚愕の色に染まる。足をばたつかせながら、私の手首と、ジーンズから覗く素肌に爪を立てる。目を白黒させながら、息を吸おうとしているのか、もしくは何かを言おうとしているのか、口を無暗に動かしている。
私はその顔を、最後まで見つめていた。
夜を呼び込んだ部屋の中に、私の息遣いだけが響く。陽向の顔をした何かの上に、私は胃液を吐き出した。頭が激しく痛む。
絨毯の上を這うようにして、自分の体をベッドまで動かす。その上にあるであろう陽向のスマートフォンを手探りで掴むと、ベッドを支えにして立ち上がる。壁を伝うようにして扉までたどり着くと、ドアノブを回す。何度回しても扉は開かなかった。
ドアノブに手を掛けたまま膝から崩れ落ちる。
私の意識は、そこで途絶えた。
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