第13話 旅する女
県大会が終わると、季節はあっという間に過ぎて行った。暇な夏休みに、気怠い文化祭。特に下らなかったのは修学旅行だ。私だけ別のクラスだったから、真友とも愛とも陽向とも行動できなかった。それは仕方ないとしても、よりにもよって京子と同じ班になるとは思っていなかった。
京子とは相性が悪いとか言うレベルを通り越して犬猿の仲だ。初めて京子と顔を合わせた一年の時、私が挨拶代わりに睨みつけたのをずっと根に持っている。私が京子を睨み、京子も私を睨んだ。そこから数秒の沈黙の後、激しい口喧嘩に発展した。私が他クラスの生徒から不良と呼ばれるきっかけになった出来事だ。それからと言うもの、お互いに、相手のやることなすこと全てが気に入らない。観光地を巡る順番も、目的地だって噛み合わない。結局、同じ班の紗季が決めたスケジュールに従う形で折り合いを付けた。
京子と紗季は仲が良い。このクラスで一番最初に彼氏持ちになったのが京子で、その次が紗季だった。そんな共通点があるからか、すぐに意気投合していた。
周囲の女子達の反応は大きく二つの流れがあった。二人の会話の中に散りばめられる惚気に嫌気が差す者。「彼氏持ち」と言う肩書にすり寄って、あわよくば自分もその空気の中で生きようとする者。私はそのどちらでも無かったが、後者の奴らの態度にはいつもうっとうしさを感じていた。
逆に男子達からは、影でモテるようになったようだ。特に京子が彼氏と別れてからはあからさまだった。一度彼氏がいた相手だと、「自分でもいけるかも」と思うのか知らないが、京子の彼氏は他校の人間なのだから、そもそもこのクラスの男子達に希望など無い。どいつもこいつもつまらない奴ばかりだ。
二泊三日の修学旅行の行先は、奈良と京都だ。一日目の奈良は、移動時間の関係で学年全体での行動が主になる。退屈なツアーガイドの話を聞きながら、曇り空の下、クラスごとに列になって歩く。神社だか寺だか知らないが、かび臭いだけの古びた建物の何がそんなに面白いのか理解できなかった。時折、列が乱れた関係で隣の列の陽向と会話ができる程度だったが、彼女も退屈そうで安心した。
朝昼晩の食事は、クラスごとに割り当てられた席で班ごとに食べる。つまり、この修学旅行の間の食事は全て、京子の顔を見ながら食べることになる。不味いったらありゃしない。
隣のクラスのテーブルに目を向けると、真友たちが三人で食事を取っている。彼女達は同じ班になれたようで良かった。どういう基準でクラス分けがなされているのかは知らないが、四人の中で私だけ別のクラスだというのが不思議でならなかった。食事を取っている真友たちの顔が、心なしか普段より楽しそうで舌打ちが出る。
テーブルの位置は大して離れていないのに、真友が手の届かないところにいる気がした。何も不自然であるはずがないのに、割り当てられたクラスや、所属している班と言う枠組みのせいで、彼女との間に壁があるように思えた。椅子ごと運んで同じテーブルに座って、真友たちを困らせてやろうかと言う妄想ばかりが頭の中を巡る。
真友が笑顔なのは嬉しい。でもそれが遠くにあると、彼女が笑顔であればあるほど、私の心は冷えていく。真友の周りだけが輝いていて、私は暗い闇の中に静かに沈んでいくような、そんな寂しさがあった。
だけど、それを孤独感だと自分で認めることはできなかった。
孤独なのは私のいない真友であって、真友のいない私ではない。そう言い聞かせている自分が心底醜くて、また舌打ちが聞こえた。
「ちょっと、聞いてんの?」
いら立ちを隠そうともしない京子の声が飛んでくる。
「あ?」
「だから、明日のスケジュール確認するって言ってんじゃん」
こいつの声を聴いているとため息が出る。
「ウチは紗季について行くから何でもいいよ。勝手にやってて」
京子の瞳に怒りが宿る。それを察した紗季がなだめようと口を開きかけたが、京子の方が速かった。
「あんたさあ、周りの迷惑とか考えたことあんの?いつも勝手に不機嫌になってさ。そういう子供っぽいとこホントに嫌いなんだけど」
「うるせえな。新しい男見つかんないからってウチに八つ当たりするのやめろよな」
「そんなこと関係ないでしょ!」
私たちの間にテーブルが無かったら、今頃掴みかかっていたに違いない。八つ当たりしているのは私の方だという自覚は辛うじてある。私がイラついている相手は京子ではなく自分自身だ。
「二人とも一旦落ち着いて」
紗季が恐る恐る止めに入る。何でお前が泣きそうになってんだよ。極端に被害者面するところが気に入らない。誰が一番子供っぽいんだか。今時髪型をおさげにしてる奴なんか居るかよ。
「美月、せっかく同じ班になったんだから、仲良くしよ?どうせなら楽しい旅行にしようよ。京子もその方が良いでしょ?」
「せっかく」、「どうせなら」と言う言葉に、仕方なく付き合ってやってるんだという心根が感じ取れてしまうのは、きっと過剰反応だ。それでもやっぱり気に入らない。
私の舌打ちが聞こえた後は、三人とも黙って食事を済ませ、時間が過ぎるのを待っていた。
学年委員長の玲子の号令と共に食事を終え、各自部屋へ向かうためにぞろぞろと立ち上がる。このタイミングならと、真友たちの方へ足を向けると、またしても京子の声が飛んできた。
「美月、さっき紗季が言ってた通り、私も楽しい旅行にしたいとは思ってるの。だから一時休戦にしない?私もちょっと態度悪かったしさ、反省してる」
そう言って手を差し出してくる。
無理やり蟠りを解消しようとするその姿に吐き気がする。自分だけ寛容な人間になったつもりで、大人びた態度を取れる自分自身に酔ってるだけだ。「私はもう気にしてないけど、アンタはまだ根に持ってんの?」と、私のことを下に見てる。
急に小学校三年生の頃を思い出した。真友に意地悪をして泣かせた男児と、私が喧嘩をした。殴り合っているところに教師が止めに入って、そのままクラス全体を巻きこんだ「仲直り会」に発展した。周囲に居た他の児童の証言から、最初に真友を泣かせた男児に原因があることはすぐに明らかになった。
そこから、教壇に立つ教師と、クラスメイト達が見ている前で、男児が真友に頭を下げて謝るという、これまで幾度となく見てきた光景が現れた。一ミリも悪いと思っていない顔で「ごめんなさい」と言う男児に対して、泣きながら「いいよ」と言う真友。これで一体何が解決するのだろうかといつも思っていた。真友は泣くほど傷ついたのに、相手は何を失ったのだろうか。それすらわからないのに、相手の行いの何を許せば良いのかわからなかった。
どうして、「いいよ」以外の言葉の方が許されていないのかがわからなくて、腹立たしかった。恥を忍んで謝っているのだからお前も許せと、そう言われている気がした。形だけの儀式で、何の価値も無かった。寧ろ、謝るだけで許したことで、増々下に見られているのではないかとすら思った。
その時の雰囲気を、京子の態度から感じた。
本当にどこまでも気に入らない女だが、これ以上は面倒くさいとと思うのも本音だった。
「ちょっとじゃねえだろ」
私は力の全く入っていない手で、京子の手を握る。彼女の隣に立つ紗季の顔がやけに満足そうで、こいつも自分に酔っているんだと思った。
再び部屋に向かおうとした時にはもう、真友たちの姿は無かった。
舌打ちが聞こえた。
多くの生徒が心待ちにしているのは、この二日目の自由行動だろう。自分たちで目的地を決め、自分たちでスケジュールを組む。その自由さを班の仲間と共有できる。教師共からあれやこれやと指図されない時間を、この京都で満喫できる。そんな魅力があることは私にも理解できる。隣に居るのが京子でさえなければだが。
昨日休戦協定を結んだ手前、私も無駄に突っかかろうとは思わない。それとなく相槌を打って、少しでも楽しい旅行とやらの邪魔だけはしないでいる努力はした。
徒歩とバスを使って最初に辿り着いたのは金閣寺だ。ここに来るか、伏見稲荷大社に行くかで京子と揉めたのを思い出す。
私は稲荷大社に行きたかった。真友たちが稲荷大社だけは行きたいと言っていたからだ。完全に別行動でも、同じ場所に行ければ、後で話題を共有できる。そういう個人的な目論見があることは認める。だけど京子が、昔家族で訪れた時に、時間ばかり食われて疲れるだけの場所だったと言って反対した。それに、金閣寺と稲荷大社の両方に行こうとすると、学年全体の集合地点である清水寺を一度通り過ぎることになるため、そこでも時間の無駄だと主張してきた。班の自由行動は時間が限られている。なるべく色々なところを巡ろうとすると、時間をうまく使う必要がある。結局、紗季の一票で金閣寺に決まった。
池の向こうに見える金閣寺は、その名の通り金色の寺だった。背後に見える森や山の中心に、取って付けたような金色が輝いていて、まるでおもちゃの城の様だった。逆にそれが面白くて、親から借りてきたデジカメで写真を撮る。退屈なイベントでも、後で真友たちと共有できる話題が増えれば良いと思った。真友は何て言うだろうか。
紗季に促されて三人での写真も撮った。これもいつか思い出になるのだろうか。
金閣寺を後にしてからは、有名どころは京都御所位なもので、残りは名前も知らないような寺をいくつか見て回った。こんな時間を過ごすくらいなら、素直に稲荷大社に言っていた方がましだと思ったが、口には出さなかった。
道中は、紗季の彼氏である雄太の話を、延々と京子が聞き出していた。紗季本人も、まんざらでもない様子で雄太の愚痴を言っている。京子も負けじと元カレの文句をまくしたてる。そんなに嫌なら付き合わなければ良かったのにとは思うがそうじゃない。彼氏の愚痴を言えるのは、彼氏がいる奴だけだ。直接的に惚気を聞かせるわけにはいかないから、遠回しに愚痴を言ってぼやかしている。だから、恋人に対する愚痴と言うのは特権だ。これが嫌で、この二人から距離を置く一部のクラスメイトもいた。
だが京子にはもう彼氏はいないし、新しい相手も見つかっていない。そう陽向から聞いている。
紗季の遠回しな惚気に対して、元カレの粗を探す京子の必死さが滑稽だった。本来であれば、京子の様な性格の奴が、紗季の様な地味な女と気が合うわけがない。しかし、同じ「彼氏持ち」という肩書に目が眩んだ。一緒にクラスのカーストの上に立った気でいたんだろう。周囲からすり寄られるのも、距離を置かれるのでさえ特権気分でいたはずだ。だが、あっという間に京子は彼氏と別れた。京子は焦っているはずだ。同じ肩書でも、地味な紗季より自分の方が上だと言う傲慢さが滲み出ていた分、逆に、紗季に下に見られているのではないかと言う敗北感が許せないはずだ。二年になれば、学年全体でも彼氏持ちがちらほらと現れ始め、いよいよ存在が埋もれ始めた。「ちょっと前まで彼氏がいた」という、何の魅力も無い特性以外、何も持っていない女なのだから。
だから私の目には京子が滑稽に映るし、何よりもつまらない女だと思う。
集合時間まであと三十分と言うところで、清水寺に辿り着いた。事前学習の授業など微塵も聞いていなかったため、ここにどんな価値があるのか知らないし興味も無い。本堂へと続く坂道には、お土産屋が連なり、どこに目を向けても同じ校章を付けた奴らがいた。
三つほどの男子の班が群がって、ガチャガチャの前に居る。カプセルを取り出す度に、「風神だ!」「千手観音だ!」と騒いでいる。多分、家に帰ったら捨てるやつだろそれ。
「美月はお土産見ねえの?」
昨日に比べると大分穏やかな雰囲気の京子が言う。
「ウチもう疲れたから先に本堂の方行ってるわ。あっちでまた合流ってことで」
相手の返事を待たずに歩き出す。
本堂に向かいながら辺りを見渡しても、真友たちの姿は無い。通りから見える範囲しか探さないのは、一軒一軒店の中に入ってまで、彼女たちを探す自分の姿に耐えられないからだ。
清水寺の本堂はただ大きいだけで、昨日今日と見てきた建物との違いは無いように思えた。私とは全く関係のないこの場所に居ると、たった一人で取り残されたかのような気分になる。この旅行で私が得られたものは、少しづつ心の底に溜まる澱の様な、じめじめとした何かだけだった。つまらない。気に入らない。この心のざわつきを、どうやって収めれば良いのかわからない。
舌打ちが聞こえる。
そんな薄暗さを吹き飛ばすように視界が開ける。そう言えば、清水寺の本堂は別の呼び名があった気がする。確か、清水の舞台。本堂の一部が凸の形に突き出ていて、そこには壁も柱も無く。手すりの様な物が囲っているだけだ。
そこには、同じ校章を付けた奴らだけでなく、一般の観光客までもが、身を乗り出さんばかりに手すりの奥の景色に見入っている。そのいくつかの背中の一つに、私の瞳は引き寄せられた。
綺麗な黒髪を肩甲骨の辺りまで垂らした女。
「暇そうだな、陽向」
「お互い様でしょ」
霧のように静かな女がそこには居た。
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