第14話 写る女

 舞台に吹き込む風が心地良い。陽向の髪がなびく。

 彼女は鬱陶しそうに顔を背けると、私の方を向いた。陽向が見ているのは、本当に私だろうかと疑ってしまうほどに、その瞳に色は感じられない。


「真友たちは一緒じゃねえの?」


「下の通りでお土産見てるわよ」


 やっぱり通りに居たのかと言う思いが、ため息となって排出される。余計に体に疲れが現れ、手すりにもたれかかる。


「探しに戻らないのね」


「また戻るのだるい」


 半分は本音だ。

 陽向は「そう」とだけつぶやくと、再び舞台の外の景色に目を向ける。彼女の綺麗な顔立ちや透き通るような肌は、横顔だからこそ気付くことができる。陽向の心の内は見えないのに、私の心だけが透けて見られているような気恥ずかしさが、彼女を正面から捉えることを拒否している。


「ここ、清水の舞台って言うの」


 彼女は、まるで独り言のようにつぶやく。


「昔は、ここから人が飛び降りていたそうよ」


「ん?自殺の名所だったのか?」


「そうじゃないわ。願いが叶うのよ」


「はあ?」


 私は舞台の下を覗き込んだ。落ちて軽い怪我で済むような高さではない。体が浮き上がる感覚がして、両足に力が入る。こんなところから飛び降りたから何だと言うのか。


「ここから飛び降りて、生きていれば願いが叶うのよ。所謂願掛けね。飛び降りるくらいの覚悟があれば、大抵の願いは叶えられるってことよ」


「下らねえ。落ちて死んだら意味ねえじゃん」


「例え死んでしまったとしても、必ず成仏できるっていう特典付きよ」


 陽向が冗談めいて言うことのそれ自体がおかしくて、口元が緩む。息を吐くような笑いが零れた。


「それこそ下らねえな。成仏だの死後の世界だの、死んだこともねえくせに」


 神も仏も信じてはいない。私の運命を誰かが作り上げていたり、操っているなんて考え方は耐えられない。私の強さは私だけのもので、この退屈な旅行は私の問題だ。だからもし神様なんてものが居るとすれば、それは私にとっての敵だ。私に何かを強いる、つまらない連中の一人に過ぎない。だから信じてなどやらない。

 私が唯一信じているのは、私がいつか死ぬという、ただそれだけの事だ。


「美月さんにはあるの?」


 いつの間にか、また私の方を向いていた陽向が問う。


「ここから飛び降りてでも叶えたい願いってある?」


 もしも真友が同じことを言ったとしたら、それは単なる無邪気な問いだと感じただろう。流れ星を見て何を願うとか、初詣で何をお祈りするかとか、そんな話はしょっちゅうだ。だが、陽向が真っ直ぐ私に向かって問いかけてくるその声色や、色の感じられない瞳からは、まるで試すような圧力がある。そんな無意味なことに、彼女が関心を持っているとは思えなかった。


「別に、ねえけど」


 願い。何でも叶えられるとしたら、私は何を望むだろうか。退屈な授業ばかりやる先公が死ねばいいとか、この下らねえ旅行が速く終わらねえかとか、そろそろ新しい服が欲しいとか、心底つまらないことしか思いつかない。命がけで、なんて言うと安っぽくて、逆に何も賭けていないように感じるが、大きなリスクを背負ってでも叶えたい願いなど思いつかない。

 いや、やっぱり―――――


「やっぱり真友さんのことかしら」


「んあ?」


 もしかして口に出していただろうかと思うほど、陽向に心の内を読まれたことに驚いて、間の抜けた声が出る。いつか真友が言っていた通り、陽向が超能力者に見えた。


「美月さん、真友さんの事好きだものね」


「何それ、きもい」


 絞り出すような声が、まるで本当にそうであるかのように聞こえる。

 私が真友のことを好きだと?そうじゃない、真友が私のことを好きなんだ。見ていれば分かるはずだ。

 陽向は小さく笑うと、風で乱れた髪を撫でる。


「そうね。あなたが好きなのは、あなた自身よね」


 喉の奥から熱が駆け上がってくる。初めて陽向に対する怒りを覚えた。

 真友の部活が終わるのを待っていたあの日。陽向との初対面の時以来に、彼女のことを睨んだ。


「陽向、今日のウチ機嫌悪いんだけど」


 彼女は「怖い顔ね」と言って、また小さく笑う。


「ごめんなさい。怒らせるつもりはなかったの。ただ、あなたが真友さんの事どう思っているのか知りたくて。試すようなことしてごめんなさい」


 手の感触に目を落とすと、陽向が私の手に触れていた。細い指の冷たさが、手の甲から血管を伝って全身に巡っていく。それが私の熱と溶け合う。霧のような女にも実体があったのだと、今更ながらに思う。

 そう、今更だ。今更私を試すようなことをして、何を企んでいるのか。それは陽向の変化なのか、元よりあったものを垣間見せているのかわからないが、彼女を知るほどに、余計に捉えられなくなっている。


「私ね、真友さんから相談を受けたの。あなたのことで」


 陽向は、私の手首に付いているミサンガを弄ぶ。

 真友が私に直接言えないようなことを、陽向に話したのは意外だった。言葉を選ばずに言えば、それは裏切りに思えた。


「そのことを私が言ってしまうのは気が引けるの。本当は真友さんが自分で解決しなきゃいけないと、私も思ってるのよ。でも真友さん、中々勇気が出ないみたいだから」


「私から聞いたことは秘密にしてね」と、念を押すように陽向は言う。

 私は、胸の中で煮えたぎるような濁った感情を必死に抑えていた。先ほどの陽向の馬鹿にしたような言い草に、まだ腹を立てているわけではない。陽向だけが知っている真友の秘密を知りたいと、逸る自分を誤魔化している。息が詰まるような感覚の中、陽向の言葉を黙って待った。

 舌打ちが聞こえた。


「真友さんの事、もっと信じてあげて欲しいの」


 信じる?私が真友を疑ったことなどあっただろうか。寧ろ、陽向にだけ相談を持ち掛けたそのことの方が、余程後ろ暗い何かを感じてしまう。私に対することであれ何であれ、不安に思っていることがあるなら、どうして私に話してくれなかったのだろうか。今まで真友のことを守ってきたのは私なのに、陽向に相談するのはなぜなのか。私が真友を信じていないのではなく、真友が私を信じていないんじゃないのか。

 やっぱり裏切りだ。


「意味わかんねえ。何の話?」


「真友さんはね、美月さんの事本当に尊敬してるみたいなの。いつか美月さんみたいに、強くてカッコいい人になりたいんだけどどうすればいいのかって、主にそういう話よ」


 全身がむず痒くなって、今にも搔きむしりたくなった。血液が耳の辺りに集まってきているのを感じながらも、それを抑えることのできない自分が嫌だった。あの馬鹿は何て話を人にしてるんだ。他人からそこまではっきりとした憧れの言葉を聞くのは初めてだった。

 今までの弱い奴らは、目で訴えかけてくるだけだった。瞳の奥に、羨望と救済を覗かせて私に縋ってくる。だが、確かな言葉で憧れを口にされると、恥ずかしい気持ちになるのだと、この時初めて知った。


「部活の県大会が終わってからも、変わらず自主練してるのはそういう気持ちの表れなのよ。この修学旅行だって、準備の段階から率先して取り組んでいてね、私も愛さんも本当に助かっているのよ。私は、美月さんの友達であり続けることに、そこまで気負う必要は無いんじゃないかって、そう言ったんだけどね。美月ちゃんの隣に立ちたいって、そう言うのよ」


「だから」と言いながら、陽向は私の手を優しく握る。


「真友さんを信じて、少し手を放してあげて。どんな形になるにしても、必ずまたあなたの所に戻ってくるわ」


 初めて聞く、陽向の子供をあやすような優しい声色に、体から力が抜ける。陽向が真友の為に、普段は見せない一面を見せてくれたことが素直に嬉しかった。口数は少なくとも、今まで彼女の仲に巡っていた友情をいっぺんに貰ったような達成感があった。

 私は陽向の手を握り返した。


「陽向、また何か聞いたら教えてくれ」


 二人の手の隙間から、光り輝く羽根が見えた気がした。



 私と陽向の名前を呼ぶ声に振り返ると、真友と愛が手を振りながら近づいてきていた。

 私は素早く、握っていた陽向の手を離す。


「美月ちゃん、これあげる」


 真友が私に箱を渡してきた。それは段ボールでできた十センチほどの正方形の箱で、上部の蓋が差し込まれる形で封がされている。愛が陽向にも同じ物を渡している。

「何だこれ」と私が言うと、真友は早く開ける様に急かす。

 箱に入っていたのは湯飲みだった。表面はなめらかに波打っていて、白地に青い模様が入っている。真友と愛も同じ物を取り出しているが、何やら含みのある笑いをこちらに向けている。

 何だ?

 陽向は何かに気が付いたようで、「これのおかげで遅かったのね」と言っている。


 もう一度湯飲みに目を落とした時、気が付いた。模様だと思っていたそれは文字だった。湯飲みの表面を一周するように、東雲 美月、南原 真友、西川 陽向、北条 愛の名前が三回ずつ書いてある。

 あまりにもダサいデザインに、腹を抱えて笑った。感想は箱を開ける前と変わらない。

 何だこれ。


「下の通りで、湯飲みに好きな模様を入れられるお店があってね、愛ちゃんと二人で書いたんだよ。修学旅行楽しみだったけど、やっぱり美月ちゃんだけ違う班なの寂しいじゃん。だから、四人でお揃いの物をご用意しました!」


 その顔に笑顔を咲かせた真友が、湯飲みを誇らしげに掲げる。


「美月ちゃん暗い顔してたから、これなら笑ってくれるかなって、愛ちゃんと相談して決めたんだよ。大事にしてよね」


 私は「クソダセえ」と言いながらもう一度笑った。陽向は「ありがたく貰うわね」と言ってもうリュックにしまっている。


「真友ちゃん、美月ちゃんに喜んでもらえて良かったね」


 真友の側にくっ付いている愛が、嬉しそうに言う。「ねー」と返事をした真友の後ろから、顔が覗いた。


「何々?何してんの?」


 集合時間が迫ってくる中で、京子と紗季も合流の為に集まって来ていた。


「おい京子これ見ろよ。真友がウチの為に作ってくれたんだよ」


 相手が京子だとわかっていたのに、自然と気さくな言葉が飛び出る。それに対する驚きが京子の顔に差す。だがそれも一瞬の内に消え去り、普段、紗季に見せているような笑顔に変わった。


「何それ、めっちゃ良いデザインじゃん。私にちょうだいよ」


「はあ?これはウチのだし」


 快活に笑う京子は、私の肩を叩いた。


「美月ってさ、真友ちゃんの前だとちゃんと笑うよな」


「何か文句あんの?」


「だからさ、ウチらとも仲よくしようっての!」


 京子は暑苦しいくらいに私の肩を抱く。その手には既にスマートフォンが握られている。


「皆で写真撮ろ!ほらほら早く入って。愛ちゃんも早く!」


 私の肩を抱いた京子を先頭に、六人で写真を撮る。アプリのおかげで、ばっちりメイクをした私たちの写真がそれぞれのスマートフォンに送られてきた。

 私は普段からあまり写真を撮る習慣が無い。だから、この写真に写っている真友の顔を見た時、彼女の写真を一枚も持っていないことに気が付いた。


 集合を呼びかける先公の声がする。

 それぞれが惜しむようにその場を後にする中で、私は数歩遅れてスマートフォンに映る真友の顔を眺めていた。掌に、真友の汗塗れの髪の感触が蘇る。彼女の泣き顔と、すすり泣く声。陽向から聞いた、私に憧れているという話。

 真友が飛び立とうとしているのは、私から巣立つためではなく、私と一緒に飛ぶ為だった。だったら彼女に生えた翼は、私にとって決して鬱陶しいものではないはずだ。「もっと信じてあげて」と言う陽向の声が、耳の中に木霊する。

 スマートフォンを閉じ、制服のポケットにしまう。

 私の両手には、光り輝く羽根の幻覚が見えていた。県大会の日に、真友の背中から奪った羽根。それを顔を覆うようにして押し当てる。深く息をすると、あの時の、真友を抱きしめた感触も蘇ってくる。

 私は指の隙間から、歩いて行く真友の背中を眺めていた。


 どこからか、舌打ちが聞こえた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る